第10話 最悪な絵面

 伊織の配信を手伝うようになったきっかけは俺が天羽さんに告白しようとしたことだ。


 珍しくひとりで歩いている天羽さんを見かけた俺は『今がチャンスだ!』と思って告白した。


 が、様子がおかしい。返答がない。驚かせてしまっただろうか。怖がらせてしまっただろうか。そう思って恐る恐る顔を上げると――


「ごっ――ごめんなさい! わ、わたし、天羽さんじゃなくて……」


 折月伊織。そのときはそうだと気付かなかったが……とにかく、俺が天羽さんだと思っていた後ろ姿は伊織がコスプレ――『変装』した姿だった、ということだ。


 つまり、俺は天羽さんに告白しようとして同じクラスの別人に告白してしまったってわけだな。俺は殺してくれと思った。めちゃくちゃ恥ずかしい。というかなんで変装なんか……。


「え、えっと……わ、わたし、は、だめだから……その……」


 要領を得ない。言葉が途切れ途切れ、目がぐるぐると回っている。

 ……詰めるとマズいな。明らかに気が弱い。俺は目つきが悪い。相手に恐怖を与えやすい容姿をしていると自覚している。


 俺は自分の目を隠して言った。悪い、責めてるわけじゃないんだ。ゆっくりでいい。話したくないことなら話さなくてもいいから。……そんな、怖がらないでくれ。


「っ……! ご、ごめ、なさ……」


 大丈夫。謝らないで。……慣れてるから。


 俺は彼女が落ち着くのを待った。かなり待った。

 ……うん? なんか長くない? 状況がわからないんだけど……もしかしてもう居ない? 逃げられた?

 いやいいけど……それにしては足音もしなかったしな……。


 そう思っていると「……ぐすっ」と泣いているような声が聞こえた。

 ちょっとタンマ! 俺は目隠しをしたまま叫んだ。泣くのはやめて! 完全に俺が悪者になるから! 誰かに見られたら警察とか呼ばれかねないから! お願いします!


「――伊織に、何してるの?」


 そうしていると、そんな鋭い声が聞こえた。


 ……終わった。俺は思った。目隠ししてるうちに誰か近づいてきていたらしい。


 さて、言い訳を聞いてくれるかどうか……。俺は目隠しをやめて、その声の主のほうへと振り返った。


 青井蓮。いつも笑顔を浮かべているクラスメイトが、俺のことを強く睨みつけていた。




      *




 それから誤解を解いたりなんなりしてから伊織と話したら『自分が嫌い』『自分を変えたい』『そのために何かしたい』とのことだったので軽い気持ちで配信を勧めたら当たった。


 伊織は自信がない。特に自分で嫌っているところは『人とうまく話せない』ところだ。

 どうしても緊張してしまって言葉が続かず相手に迷惑をかけていると思って緊張して……なんて負のスパイラルに陥りがちな自分を変えたい。

 じゃあ他人と話す練習をしよう。ということで配信だ。


 もっとも『折月伊織』そのままでやるのはマズい。本名はナシだ。ってことで『伊月リオ』というキャラクターを演じることにした。

 いわゆるVtuberって線もなくはなかったし、伊織にも最初はそう提案されたが……伊織の目的を達成するためには『顔出し』は必要なことだと思えた。

 あと美少女だからな。これを利用しない手はない。元からコスプレもやってたからな……完全に宅コスで写真とかもほとんど上げていなかったが、そのクオリティが高いことは一目瞭然だった。

 伊月リオのアカウントを立ち上げて運用して……それもある程度は伊織にやらせたが、初期はかなり俺の手が入っている。

 いきなり過去の写真をぜんぶばら撒くわけにもいかないからな。出す間隔に関しては気を遣う必要があった。そのへんのタイミングはぜんぶ俺だ。

 結果的に成功したが、伊織のポテンシャルを考えればぜんぶ彼女に任せても問題はなかったかもしれない。


 伊織はゲーマーだったので配信機材の中で最も高価なPCに関しては既にあったし、他のものは他のもので俺が揃えた。

 当時の伊織は不登校児だったので時間は存分にあったから、立ち上げに関してはじっくりと行った。

 俺もその時期は学校を休んでたが……それくらいはな。あの頃は四六時中伊織といっしょに居たような気がする。

 で、軌道に乗ったなって判断してからは離れた。


 ……が、ひとつ問題があった。あまりにも手を貸しすぎたせいで伊織は俺が居ないと配信できなくなっていた。コンタクトもひとりじゃつけられないし……。

 でもまあ配信なんてそう毎日やるもんでもない。その間はゲームの腕を磨くか動画の企画でも練っておけばいい。


 そう思っていたのだが伊織は登校してきた。

 案の定アオイや俺以外とはほとんど話すことができなかったが……それでも大きな一歩だった。

 俺とアオイはわーいと手を上げてよろこんだ。伊織を胴上げしたい気分だった。胴上げした。伊織は目を回して気絶した。

 俺は土下座してなんでもしますと謝った。許された。


「……わたしのこと、見捨てないで、ね」


『なんでもする』の内容はそんなことだった。

 見捨てるつもりなんてなかったのでそんなことでいいのかと思った。

 しかし伊織もずいぶんと変わったものだ。最初は俺と話すのもぴぃぴぃ鳴くばかりだったからな。

 それでも少しずつ歩み寄ってくれて……まずその時点で頑張り屋さんだよな。めちゃくちゃ頑張ってる。

 不登校のひきこもりになるくらいコミュニケーションが苦手なのに俺と話すのにそんだけ頑張ってくれたわけだ。

 結果として今に至る。俺やアオイに対してはちょっと恥ずかしがり屋さんかなってくらいな美少女にな。

 俺は照れ顔が好きだ。そう考えると今の伊織の塩梅は俺にとって理想的とも言える。


 と言っても、伊織にとってはそうではない。まだまだ自信がないからな。

 そこんところは俺も変わったほうがいいと思う。もう少し自分を信じられるようになればそれがいい。


 配信では、もう緊張することもなくなってきたが……俺は話しながらゲームをしている伊織を見る。

 露出は少なく、普通にしているぶんには身体の凹凸もあまり強調されないような服装。

 今日のところはゆったりニットだな。体勢によってはスタイルが強調されることもある。

 しかし『体勢によっては』というのがポイントだ。伊月リオは胸で売っているわけじゃない。谷間なんて見せないし、わざと胸を強調するようなこともしたことがない。


 それでも胸がデカいことは事実だ。それによって視聴者が増えていることも間違いない。

 しかし、わざわざ強調しないことから視聴者もあまり触れはしないし、そういうコメントも少ない。

 むしろそういうのがあれば叩かれるか――今ではコメント削除の権限を付与した親衛隊によってすぐに消される。

 昔は俺が手作業で消していたが、さすがに限界があるからな。親衛隊をつくって育てた。

 その甲斐あってリオの視聴者層には胸目当てではなくあくまで『伊月リオ』に惹かれたのだと主張するファンが集まっている。


 要するに『俺は胸目当てじゃないし?』って言いながらちらちら胸を見るタイプのファンだ。こっちとしても表面上だけでも取り繕ってくれるなら言うことはない。


 ただ、これには問題もある。


「おぉー……でっかぁ……めっちゃ揺れてますよ、みんな。おっぱいが揺れてると……こう……嬉しくなるよね……」


 伊月のリオさんは割とこういう反応をすることである。

 自分がえっちな目で見られるのはめちゃくちゃ恥ずかしがるのに伊織は女体好きなんだよな。

 ゲームなんかでも女キャラに興奮するタイプだ。『おっぱいが大きいと嬉しい』とかフツーに言うからな。露出が多くても露骨に反応するし。

 中学生がよろこぶくらいのエロにいちばん反応するのでそういうときは『エロガキがよ……』なんてコメントが流れがちだ。

 ちなみに直接的なものになると興奮せずに小さくなって赤くなる。あざとい。


 とまあそんな感じで今日の配信も終わった。完全に切れていることを確認する。

 切り忘れは怖いからな。既に『お兄ちゃんに手伝ってもらっていて……』とは明言してるが、それでも男が映るのはマズい。炎上しかねない。

 少なくとも俺ならキレるし落ち込む。理屈じゃない。ヒューマンのオスはそういうものだと理解してほしい。ホモサピエンスの習性だな。仕方ない。


「し、慎くん……わたし、今日もがんばったよ?」


 お兄ちゃんと呼びなさい。配信が終わった直後だ。確認はしたがリスクがある。これは習慣づけておかなければいけない。


「う、うん。それで……その」


 伊織がもじもじしながら物欲しそうな目で俺を見る。かわいい。俺は声に出してそう言った。


「そ、そっちじゃなくて。……ううん、そっちも、あるんだけど」


 伊織はそそくさと細かい動きをしながら机の引き出しから封筒を取り出す。そして、それを俺に差し出して言った。


「わ、わたしのこと……褒めて、ほしいな」


 封筒の中身はもちろん金だ。俺は無償労働をしない。


 べべべべと金を数えながら、俺は伊織の頭を撫でる。


 やはり伊織にはヒモを養う素質がある。


 ぇへ、とだらしなく頬をゆるませる伊織を見て、俺の顔には穏やかな微笑みが浮かんでいた……。

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