第9話 天丼
まあいいよ? 裏アカとかはつくらないって約束だし匿名掲示板なんかも使わないって約束だ。それを守ってるわけだからな。
その点はむしろ褒めたい。えらい。でもだからってああいうの投稿するのはやめような? 俺ならいくらでも話聞くし……アオイでもいいだろ?
いや正直そういうのは俺だけにしてほしいけどな。俺は独占欲が強い。でもまあアオイならいいかなって感じだ。わかるか?
何があったのか聞かれたくないなら聞かないし……。嘘。聞くかも。気になるし。何があったん? って絶対なっちゃう。
今までもそうだったからな。伊織としてはそれが嫌だったのかもしれない。それはわかる。わかるが……控える努力はしていこうな。
伊織の家に着くとまずは説教だ。説教か? まあいつものことだな。
伊織はぇへ……となんかかわいらしく笑ってる。お前わかってんのか? いくら美少女だからって今の伊織は陰モード。俺もそうチョロくはない。
でもかわいいものはかわいい。俺しかこの地味女の本当の顔は知らないんだ。独り占めしたい。俺はぎゅっ……と伊織を優しく抱擁した。
「ゎ……」
伊織が小さく鳴いた。……ハッ! 俺は伊織から離れた。危ない。痴漢として通報されるところだった。
俺としても無理やりというのは本意じゃないからな。伊織もなんか複雑そうな顔してるし。唇尖らせて……怒ってらっしゃる? 怖がられるよりはいいか。
でも謝るべきか。謝るべきだよな。ごめんなさい。俺はぺっこりんと頭を下げた。
「それ、な、なにに謝ってるの……?」
いきなり抱きついたことだが……違うの?
「ち、ちがう。そっちじゃなくて……うぅ~」
なんだってんだよぉ~! 俺はキレた。ハグ以外に何か怒られるようなことしたか?
「と、というか、べつに怒ってたわけじゃ……」
じゃあなんだよあの不満そうなカオはよぉ~! そうやって詰めると伊織の顔がどんどん赤くなって「し、しらないっ」とそっぽを向かれた。
くそっ、かわいい。俺は照れている女に弱い。かわいい女の照れ顔ってなんでこんなにも魅力的なんだろう。もっと見たい。
しかし照れ隠しで手首を掴まれ斜め下に抜くように引かれたかと思えば脚を払われ転がされたところに足刀が振り下ろされた。アオイ直伝の護身術である。
これが照れ隠しで咄嗟に出るのって何? 俺は顔を抑えて床の上をゴロゴロと転がりながらそう思った。
「あっ……ご、ごめん」
謝るなら膝枕して患部をナデナデしてほしい。俺は罪悪感につけこんだ。
「っ……う、うんっ!」
伊織は満面の笑みでうなずいた。人を転がして足蹴にしておいてこんな純粋な笑い方できる? 俺は伊織がこわくなった。
もうちょっと申し訳なさそうな表情できなかった? しかし美少女に膝枕して撫でてもらえる機会なんてそうそうないので俺はすべてを許した。
むしろ美少女に撫でてもらえるならちょっと蹴られるくらいはいいだろ。いや蹴られたいわけではないが。断じて蹴られたいわけではないのだが。
「そっかぁ……」
伊織がわかってる感を出して微笑む。
ホントにわかってる? ねぇ? 伊織さん?
俺は不安に苛まれながらも、根暗美少女のムチムチ膝枕の誘惑から逃れることができなかった……。
*
そんなことをしに来たわけじゃなくてですね。
「はい」
伊織が正座になって応える。俺たちは形から入るタイプだ。と言うか伊織がめちゃくちゃに形から入るタイプと言える。キャラ憑依型のコスプレイヤーってわけだな。
翻って素を出すことを嫌う。『自分』の形がないからだ。キャラクターやらなんやらの『形』がなければ何もできない。それが折月伊織という少女である。
機材の設定を確認して伊織の衣装を決めて化粧をする。コスプレなんかだと伊織が自分でやったほうが間違いなくうまくいくのだが……配信では専ら俺の担当だ。
伊織がするとどうしても『他人』になってしまう。伊織自身の素の良さを出す方向性には絶対にいかない。それではいけない。伊織の目的に沿わない。だから俺が協力している。
と言っても、俺がするのはチョコッと手を加える程度のものだ。昔は姉さんのも手伝わされてたからな。姉さんと同じで伊織は綺麗系の顔をしている。
目はもとから大きいが……何より、形が良い。睫毛も長く、実際以上に大きく見える形だな。夜を閉じ込めているような目だ。
これが伊織の手にかかればまったく異なる印象に変わるんだからコスプレイヤーってすごいよな。伊織のはコスプレってよりは『変装』に近いが……。
とにかく、元からの良さを引き立てるようなメイクをすれば終わりだ。前髪を上げて顔色を良くして眉が薄いからちょっと強めにいじって……かわいい。あ~、かわい。美人すぎる。
これを間近で見れるのヤバいよな。俺もよく我慢できてるなって感じだ。唇に視線が向かう。リップも塗る。
そこまで濃いものじゃないが、配信ってなるとな。リアルとは見え方が違う。なくてもいいってわけにはいかないだろう。
薄桃色のリップだ。主張は控えめに、しかし艶のあるものを……。
「よし、これでいい。かわいい。完璧。最高だ。いつもだけどな。伊織はやっぱりかわいいな」
そしてこれを忘れちゃいけない。褒めに褒める。これ大事。
伊織は自信がないからな。自分の良さを引き立てる方向性だと『ホントにこれでいいのかな……』なんて疑い始める。
いやアホかと。バカかと。なんでこんなにかわいくて綺麗なのに自信を持てないのか。理解できない。
だから俺は何度だって言ってやるのだ。お前はかわいい。自信を持て。お前が信じられなくても俺がかわいいって言ってるんだ。それを信じられないのか?
俺を信じろ。お前よりも俺のほうが目は良い。審美眼で俺に勝てると思ってるのか?
そんなとこばっかり自信持つなよな。はっきり言って伊織の趣味は良いってわけじゃないからな? なんか変なぬいぐるみ集めてるし……。
なんだあの目つき悪いブサイク。愛嬌がないわけじゃないが……やっぱり趣味悪いよ。
だから俺を信じろ。伊織。お前はかわいい。俺がそう思ってる。俺のためにその姿で居てくれ。頼むよ。な?
そう言うと伊織は顔を真っ赤にしながらも受け入れてくれる。照れ顔も見れるしメリットしかないな。
「で、でも、慎くん……」
「お兄ちゃんと呼びなさい」
配信前だ。万が一を考えて俺のことは『お兄ちゃん』と呼ぶように決めている。断じて俺の趣味ではない。嘘だ。趣味である。
でも女性配信者のファンは繊細だからな。女を売りにしてなくても関係なく『男』との繋がりがないことを求める。
性に奔放ってキャラで売るか最初から男とのコラボで売るかすればその限りではないが……。とにかくファンっていうのは女に処女性を求めがちって話だ。
みんながみんなそうってわけじゃないだろうが、絶対にそういうファンは居る。そういうものだ。美少女だと特にな。
『美少女』ってだけで注目度は上がる。人気も出やすい。だが表だけしかないコインなんてもんは存在しない。注目度が上がればそのぶん叩かれやすくもなる。好かれやすいってことは嫌われやすいってことだ。
正しいか正しくないかじゃなく『そういうもの』だということは理解しておかなければいけない。俺はそういう考え方をする。
わざわざ弱点をさらすことはない。対策できることなら対策すればいい。どうしても嘘をつきたくない、男との関係があるって言いたいんだーなんて信念があるならそれを尊重はするけどな。
でもそれってそんな大事なことか? 俺はそうは思わない。そして伊織もそうだった。だからそういう方針にしている。
「お、お兄ちゃん」
リオぉ〜! 俺は伊織をぎゅっと抱きしめた。
お前はほんとうにかわいいなぁ。あ〜好き。マジで好き。ぜんぶがかわいい。なに? 俺をシスコンにする気か? もうシスコンになっちゃうよ〜。
……ハッ!
うっかり妹扱いしてしまった。俺はそそくさと伊織――リオから離れる。姉さんも俺に同じようなことをするが……リオはホントの妹ってわけじゃないからな。
しかしリオのお兄ちゃん呼びはやはり破壊力がある。何度経験しても慣れずにかわいがってしまう。
「……むぅ」
リオが唇を尖らせる。なに? 抱きしめて頭撫でたのが悪かった? いやまあ確かにちょっと髪型崩れたけどすぐなおすし……許して? ねぇ? リオ? 伊織さん? ちょっとー?
「そ、そっちじゃなくて」
じゃあなんだってんだよぉ〜! 天丼しやがって……!
俺が伊織に抱きついたら伊織が不満そうな顔するの、もう定番の流れみたいになってるだろうが……!
しかし定番の流れになったところで俺に損することはないなと思ったので俺はスンッと落ち着いた。抱きつけるし不満そうな顔もかわいいし悪いことべつになかったわ。これからもやっていこうな。
「……べ、べつにいいけど」
やったぁ! 俺はぴょんっと飛び跳ねた。
ほら、伊織もいっしょに! せーのっ!
「ぇ? え? ……せ、せーのっ」
やったぁ!
俺たちはその場でぴょんっと飛び跳ねた。
配信開始予定時刻まで、あと五分――
目つきの悪いブサイクなぬいぐるみが、俺たちのことを静かに見つめていた……。
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