第8話 ツンデレ

 バズ子が頭の上から離れない。


「慎一郎、どうしたの〜? バズィーに甘えられちゃってるねぇ〜」


 姉さんはバズ子のことをバズィーと呼ぶ。いや、なんか起きたときからこうなんだよ。姉さんこそ何か知らない?


「ん〜……慎一郎が昨日からにやにやしてるから、それでかな〜」


 俺は口元をぐにぐにと捏ねて整形した。にやにや? してないが?


「なにか嬉しいことでもあったの〜?」


 嬉しいことかどうかと言えば微妙だが……俺は昨日のことを思い出した。天羽優衣。天使の秘密。彼女との契約のことを。


 あとなんか勝手に脱ぎだしてブラと谷間が見えたことも思い出した。


「あ、それ」


 これかよ。


 確かに嬉しいことだけど……もっと色々あっただろ、俺。くそっ、表情筋が正直すぎる……!


「にゃあ」


 ぽすぽすとバズ子が俺の頭を叩いた。何? 何が言いたいの? バズ子さん?


「昨日は始業式だったもんねぇ……クラス替え……高校生……うっ……まぶしい……」


 姉さんが目を細める。姉さんが高校生だったのもそう昔ではないだろうに。しかし俺も中学生とか小学生とかを見たら眩しく見える気がする。あまり人のことは言えない。


「ん……お姉ちゃんはもうそろそろ寝ようかな〜。お風呂だけ入って……ふぁあ」


 寝てなかったのかよ。道理で珍しく起きてると思った。しかしその状態で風呂に入るの危険だな。こわい。


「じゃあ背中流してくれる? 髪洗うのメンドいんだよね~」


「にゃあ」


 バズ子がぴょんと俺の頭から姉さんの頭に飛び移った。どうやらバズ子が俺の代わりに監視員になってくれるらしい。バズ子隊員。任せたぞ。姉さんが湯船で寝そうになってたら容赦なく猫パンチだ。


「にゃっ」


 ぽすぽすとバズ子が姉さんの頭を叩く。ちょっとはやいかな〜。


「バズィーが私と入りたいならしょうがないなぁ。……よいしょ、っと」


 そう言って姉さんはパジャマを脱ぎ始めた。ブラなんて付けていないのでただでさえ危うかった乳房が完全に――


「行ってきます」


 姉さんとバズ子にそう言って、俺は家を出る。


 春風が頬を撫でる。


 春、それは出会いと別れの季節。

 

 これから一年をともに過ごすのは、いったいどんな顔ぶれだろうか。


 期待と不安に胸を膨らませながら、俺は学校へと向かった……。




      *




 うっかり時を戻してしまった。

 下着姿くらいならなんとも思わないが、さすがに裸はな……。

 姉さんがどうと言うより他の女性の裸を見たときに悪影響を及ぼす可能性がある。エロ画像を見たときの感じ方の違いだな。姉さんのがスタイル良いなとか思いたくないんだよ。雑念が混じる。それはいけない。そういう話だ。


 ともあれ、学校だ。昨日あんなことがあったから天羽さんとはぎくしゃく――することもなく、何もなかったように過ごしている。


 天羽さんは誰にでも優しくしてくれるから俺が近付いても「ああ、また勘違いくんか」くらいにしか周囲には思われないだろうが、彼女からすれば気が気でないだろう。

 自分の秘密を知ってる相手にうろちょろされるとか脅迫でもしてるのかって気分になる。少なくとも俺ならそうだ。

 秘密を握った相手の視界の隅でうろちょろしてニッコリと笑うなんてことを高校に入ってから何度したかわからない。いや、べつに何もないけど? 笑いかけただけじゃん。何が悪いんだよ。ん? ほら、言ってみ? ん〜?


 とまあ天羽さんにはなかなか近付けないので俺は伊織と話そうと決めた。アオイでもいいが……どうせならそりゃ女子と話したいよ。

 俺はカッコつけて男どうしでしか群れないやつらと違って暇さえあれば女子と絡むことにしている。伊織は俺に優しくしてくれる貴重な女だ。暇さえあれば会話イベントを発生させて親愛度を上げたい。単純接触効果ね。

 そうしていると同級生の男から話しかけられた。名前は覚えてない。男の名前なんざ覚えても仕方ないからだ。


「斎賀ぁ! テメェ、親衛隊の仕事はどうしたよ……!」


 親衛隊の男は声を荒げながら潜めるというオモシロ芸を披露した。俺は眉を上げる。

 あ? それについては急用が入ったってチャット送っただろうが。リオのことなら俺に任せろ。

 ……いや、様子がおかしい。俺に急用が入るなんてことは日常茶飯事だ。サボることもあるからな。それなのにわざわざ指摘するとは……何があった?


「リオのアカウントを見ていないのか?」


 リオの? ……昨日から今に至るまで確認していない。天羽さんといちゃいちゃすることしか頭になかったからだ。

 ヒューマンのオスは性欲によって判断能力が低下する。その例に漏れず俺も判断能力が低下していた。賢くなる方法もあるにはあるが……。時間が惜しい。俺はスマホを開いてリオのアカウントを確認した。


『こっちからすればよかった』


『すぐ逃げるもん』


『わたしが悪いんだけど』


『あのときのことがなければ今はないんだけど』


『後悔ばっかり。後ろを見ながらしか歩けない』


『だからこそ……チャンスだったのになぁ』


 や、病んでらっしゃる……!


 俺はアチャーと額を抑えた。なんだこの匂わせポスト。案の定めちゃくちゃ心配されてるし。今までにもないことじゃないが……だいたい俺が対応してたからな。

 くそっ。後手に回った。まあリオがクソ根暗だってことなんて完全にバレバレだからいつも見るメンツは『まただよ』『定期病み期』『ネット弁慶 リアルではゴミ』って感じで反応してくれているが……。


 しかし長引かせるべきじゃないだろう。ジョン、ありがとな。助かった。


「ふん。お前のためじゃない。あくまでリオのためだ」


 親衛隊の男はその白いツラを赤く染めた。ツンデレみたいな言い方すんのやめてくれない? 勘違いしそう。俺は固有スキルを発動させた。すんなや。




      *




 リオ――伊月リオはコスプレイヤーである。リアルイベントなどに顔を出すことはないが、SNSに上げている写真のクオリティから数万ものフォロワーを有するコスプレイヤーであり、配信者だ。

 配信内容は主にゲーム配信。雑談配信などもするが、ほとんどはゲームだな。コスプレ姿を見せるのは稀だが……美少女だし胸がデカいので、そっちもそこそこの人気を博している。

 あと声がかわいくて話もたまに面白い。クソ根暗エピソードに定評がある。特技は声帯模写。本名は折月伊織。ゲームの腕はそれなり。得手不得手が極端。配信頻度は週一か週二。今週はまだ。


 ということで今日やろう。


「伊織。今日いけるか?」


「う、うんっ!」


 そういうことになった。

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