第7話 序の口

 天使みたいな美少女のこと甘やかして時給2000円ってヤバいよな。むしろ俺が金を払わなきゃいけない案件だろ。生殺しなのはアレだが……がはは! 人生ちょれぇ~~~!


 そう思っていた俺は今、死んだ魚のような目をして天羽さんの愚痴を聞いています。


 どうして死んだ魚のような目をしているかって?


 愚痴を聞くだけで今日の給料が一万を越しているから、ですかね……。


 いや、そう考えると良いんだ。むしろ良いんだよ。俺もそう思ってる。話聞くだけで一万なんだから。

 でも対面のバイトとかで五時間ずっと愚痴を言い続けてる客の対応をして一万って考えると……考えないようにしよう。なんたって相手は天羽優衣。天使のような美少女だ。それとこれとをいっしょくたにしてはいけない。


 そう、無償でやっているわけじゃない。それが大きいよな。俺だって天羽さんみたいな美少女の相手して金までもらえるとか逆に『いいんですか?』って聞きたくなるし。

 ただ、これが継続的に……これから何度も、と考えると……。


 ……うん。やっぱ、無償で引き受けたりしなくてよかったわ。


 たぶん無償で引き受けてたら途中でイラついてきてるからね。俺も話を聞くよりはするほうが好きなタイプだからな。五時間ぶっ通しで話せるかって言ったらまあ余裕よ。

 でもだからこそ人の話を『静かに聞く』ってのは苦手だ。『静かに』っていうのがな。俺からもどんだけ口出ししてもいいってんなら別だが……あくまで仕事だからな。

 あと、天羽さんも今までずっと頑張ってきたんだ。……この時間くらいは、ひたすら甘やかされてもいいだろう。


「――で、いちばん対応に困るのが『ウチの息子はどうか』なんて冗談よ。さすがに直接的なセクハラはないわよ? でも、冗談じみた言い方をされてもそれはそれでセクハラだから! 愛想笑いくらいしかできないと思うじゃない? でも愛想笑いをしたらそれはそれで変な受け取られ方する可能性もあってね……さりげなく否定の意志は示しておけないといけない。あるいは相手の言葉を『冗談』だって示すか、ね。私は『もう、冗談はほどほどにしなきゃダメですよ~!』なんて返しをすることが多いけれど……たまに『冗談じゃない』みたいなことを言われることもあってね。いや、そこは冗談にしておきなさいよ。そうなると本当に面倒で……」


 それは確かに困るな。俺は神妙にうなずいた。

 最初は学校の話がメインだったのだが……今は『家の付き合いで親世代とやり取りさせられるのしんどい』話になっている。


 親からも信頼されている彼女はそのあたりの付き合いもキッチリやらされているのだとか。お嬢様だからな。そうじゃなきゃ愚痴聞かせるだけで時給2000円とかなかなか払えないだろう。お小遣いを『甘やかしてもらう』ために使うのヤバくない? 天羽さんの場合は微妙なところだが……。

 下手したら将来ホストとかに引っかかるんじゃないか。いやでも他人を徹底的なまでに信頼できない彼女だから『もうバレてしまっている』相手以外に素を見せるのは嫌うか。つまり俺しか居ない。

 将来は天羽さん専属ホストとかどうだろう。交渉してみてもいいかもしれない。


「……さすがに、そろそろ終わりにしておきましょうか。もういい時間だし……私も、これくらいが限界ね」


 限界遅くない? 俺は思った。窓から見える空はすっかり暗くなってしまっている。

 途中で門限とかあるんじゃないかと尋ねたが「遅くなるって連絡済みよ。頼み事をされたり付き合いで遅くなることはそこそこあるから。……前なんて『今日のお礼に』なんて言われて早く帰りたいのにお疲れ会に付き合わされていや気持ちはありたがたいけどもうそれが疲れる原因なのよって言いたい気持ちを抑えるのが大変で」と新しく愚痴を展開されてしまったからな。どんだけだよ。


 こんな夜遅くにひとりで帰らせるとか心配〜みたいな話もしたけど「ああ、それなら大丈夫よ。駅直結のマンションだから」なんて言われたからな。豪邸とかじゃなくて駅近のマンションっていうのが『アッ、ガチのお嬢様ってそうなんだ……』ってなる。

 うっかり『へへ……』と笑いながらハエみたいに手を擦り合わせてしまった。危なかった。プライドを失うところだったぜ……。


「んん……」と艶のある声を出しながら天羽さんが伸びをする。俺もそれにならって伸びをするとバキボキと関節が鳴った。疲れていたんだろう。かわいそうに。


「疲れた?」


 疲れた。正直に答えると「そ、そう……」と苦笑される。なんだってんだよ自分から聞いといてよぉ〜。俺は文句を言った。天羽さんは笑った。


「ふふっ、そうね。ありがとう、斎賀くん」


 お、おう……。俺はキョドった。天羽さんの微笑みがあまりにも魅力的だったからだ。

 天使みたいな顔しやがって……。俺はギリと歯を食いしばろうとしたが失敗してにへらとだらしない顔をさらした。表情筋が正直すぎる。まるで素直な良い子の俺の性根を表しているかのようだ。飼い主に似るってやつだな。


「……ほんとうに、今日はありがとう。人に話すのって、こんな気持ちなのね。思っていたよりも楽になったわ」


 愚痴を聞くことに疲れはした。だが、そんなふうに穏やかな顔を見せられてしまうと、もう何も言えなかった。


 ほんの少しでも、彼女の力になれただろうか。彼女の重荷を軽くすることができただろうか。


 たとえ一時のものに過ぎなくとも、ほんの少しでも彼女を楽にすることができたなら――それ以上のことはないだろう。


 疲れた。疲れはした。でも、こんな顔が見られるなら。


 これくらい、何度だって付き合おう。


 べべべべと手渡しされた金を勘定しながら、俺の胸中は爽やかな青空のように澄み渡っていた―― 

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