第14話 ヘタレ

「あなたとの仲を疑われても『天使』だってことに支障はないもの」


 校門を出たところでどういうことかと尋ねると耳元でそう囁かれた。表情は甘い天使のままなので器用だなと思う。ただしツメが甘い。唇を読めるような生徒が居たらどうするんだ。ちなみに俺は読める。便利だからな。精度はそこまで高くないが……。


「俺としては、天羽さんは俺との仲を隠すつもりだと思ってたよ」


「私も最初はそうしようと思ったんだけど」思ったんかい。「よくよく考えてみると、あなたとの仲を疑われても私にデメリットはないのよね。……『天使』であることに支障はない。これからのことを考えるとあなたとはどうしてもいっしょに居る時間が長くなるだろうし――そう考えると、あなたとの仲を勘違いさせておいたほうがいいと思って」


 そうか? 俺ならたぶんめちゃくちゃ落ち込むが……天羽さんはあまりにも『天使』過ぎるからな。俺のこと好きじゃね? と思うことは多々あるが、生きる世界が違う感じもある。一周回って受け入れられやすいのかもしれない。

 そして恋人が居るんじゃないかと思われたことにより頼まれごとを断りやすくなる、というのもあるかもしれない。あるいは『それよりも優先する』という箔をつけることができる、か……? 言われてみれば悪くない手だな。俺は納得した。


「問題があるとすれば、斎賀くんの悪評に巻き込まれられかねない、ということだけれど……」


 悪評とかないよ。まあでも天羽さんは元から距離が近いところあるからな。割と誰にでもスキンシップとるし……。いきなり人に抱きついてもおかしくないくらい距離が近い。今回のことだって、天羽さんなら恋人でもない男子にしてもおかしくはない。俺の評価に巻き込まれるかどうかは微妙なところだろうな。


「……距離、やっぱり近いかしら」


 天羽さんがすっとぼけたことを言った。近いよ。近くないとでも思ってたの? もしかしてアレ天然? 


「女子はあれくらいが普通だし、男子はよろこんでくれるし……特にデメリットはないから」


 お、男の純情をもてあそびやがって……! 俺は義憤に駆られた。しかし距離が近くて俺が損することはない。むしろ得する。できれば俺だけにやってほしいが。俺は独占欲が強い。


「誰にも見せたことない私を知ってるんだから独占欲はそれで満たされておきなさいよ」


 それもそうだな。俺は納得した。「納得するのね……」と天羽さんが何か言いたげに口をもにゃもにゃさせていたが無視して尋ねる。


「それで、俺たちはどこに向かってるんだ? 『話がある』ってことだったが……契約のことだろ?」


「そう」と天羽さんはうなずき、笑顔のまま声の調子を落とす。「……あなたが何も言わないから気が気じゃないのよ。噂を広めているわけじゃなさそうだけど」


 広めてないならよくない? そう言っても信じられないから難しいんだろうが。


「もっとも、いちばん言いかねない相手には言ってなかったみたいだけれど。……伊織ちゃんの様子を見ると、ね」


 わざわざ伊織が居る前で俺にいきなり抱きついたのはそういう理由か。伊織が俺やアオイと仲が良いのは知られている。俺が誰かに漏らすとすれば伊織かアオイか。そう考えるのが当然だろう。アオイは嘘つきだ。探っても簡単にはボロを出さない。しかし伊織は違う。わかりやすい。嘘をつけない。だから確認した。そういうことだろう。


「昨日俺が伊織といっしょに帰ったからか?」


「そうね。ふたりきりで話していたんじゃないかと思うと……ね」


「確かに昨日は朝まで伊織の部屋に居たけど、天羽さんのことは話してない。伊織の反応を見たならわかってくれるだろうが」


「えっ」


 いきなり天羽さんが固まった。ん? どしたん?


「……あ、朝まで、部屋に? そ、それはアオイくんもいっしょに、とか?」


 いや、ふたりきりだけど……それが?


「あっ、えっと……悪いことしたかしら」


 うん? ……ああ、俺と伊織が『そういう仲』だって思ってる? まあそうか。そりゃそうだよな。そうだよな〜! 俺は強く同意を示した。なんでそれで付き合ってないんだよホントに。やることやってないとおかしいだろ。なぁ? 天羽さんもそう思うだろ?


「……あなたって、もしかしてヘタレ?」


 呆れの混ざった声でそう言われた。


 俺は泣いた。


 優しさと臆病さは近いものだ。傍から見ればそのふたつを判別することは難しい。


 相手を傷つけないための気遣いは、はたして優しさなのか、弱さなのか。


 あるいは、そのどちらでもあるのかもしれない。




      *

 



 時間があると言っても天羽さんは忙しい。今日は家の用事とのことだ。モデルの仕事だろうか。撮影にしては時間が遅いから打ち合わせか何かか? 春服の撮影は既に終わっているだろうから……初夏から夏にかけて、あるいは秋か。それくらいの時期だろうな。


「それで、今週末なんだけど」


 駅に着いたあたりで彼女が言った。そろそろ別れる時間だ。いつまでもこうして話している時間はない。


「午後に……時間は少し読めないけれど、夕方くらいになると思うわ。万が一があるからスケジュールも空けてるの。だから、そのときに……例のことを、してほしいの」


 例のこと。俺たちの間には一つしかない。甘やかし契約だ。俺もその日なら問題ない。伊織の配信をするかどうかってくらいだ。朝昼と少し出るが、夕方まではかからないだろう。

 しかし、思ったよりも早かったな。一昨日したばかりだったからもっと日が空くかと思っていた。まあ前のは愚痴を聞いただけで『甘やかし』ではなかったからな。そっちの欲も満たしたいのかもしれない。


「と言うより、たまたま時間が空いてるからね。これを逃すと次はまた一週間後とかになりそうだし……。そんなに待てる気がしないわ」


 あっ、やっぱりかなり限界なんだな。そんなんで今までどうしてたんだとも思ってしまうが、一度吐き出すことを覚えてしまうと耐えることも難しいのかもしれない。


「正直週に一度はお願いしたいわ」


 逆に週に一度でいいの?


「……時間が取れるかどうかわからないもの」


 天羽さんが遠い目をした。これ触れるとヤバいやつだな。俺は話題を変えることにした。


「それで、場所はどこにする? そのあたりは文面でやりとりしてもいいが」


「わざわざこうやって話してる意味くらいわかってるんでしょう? ……この件を文面に残すほど、私は他人を信用できないわよ」


 だろうな。文章という『証拠』は残したくないだろう。場所くらいなら問題ないとは思うが……それ以外でボロを出す可能性はある。警戒するなら徹底的にするべきだ。


「だから今伝えるわ。……と言っても、これもお願いなんだけど」


 お願い? ……場所で、わざわざお願いすることがあるだろうか。俺が行きにくいような場所か。あるいは――俺の許可が必要な場所?


 彼女は言った。


「斎賀くんの家に、お邪魔してもいいかしら」



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