第5話 お茶目な一面

 キラキラ光りすぎだろ。


 というわけで放課後、俺は志島先生の手伝いをしていた。倉庫整理である。こんなこと生徒にやらせるか?


 しかし汗を流す志島先生はセクシーだった。密室で年頃の男女が二人きり……倉庫がほこりっぽくなかったのであれば志島先生の汗のにおいでムンムンだったことだろう。惜しい。

 実際はマスクをしながら整理していた。色気のないことである。

 志島先生はタンクトップ一枚だったので谷間は見えたが。色気ムンムンである。


 それ以外にも細々としたことを手伝っているとすっかり遅くなってしまった。

 他の先生方に「斎賀くんは頑張ってるねぇ」「いつも志島先生や私たちのことを手伝ってくれて……ホント助かるよ」と褒めてもらってから帰る。

 いい気分だ。待ち伏せした甲斐あったぜ。俺は鼻の下を伸ばした。

 志島先生に「だからなかなか帰らなかったのか……」と呆れられた。


 思ったより遅くなってしまった。オレンジの空の下、いつもなら聞こえる運動部の声は聞こえない。

 始業式の日だからだろうか。そう言えば去年も始業式の日は部活をしてなかったような……。

 熱心な部活であれば休みなんてなさそうなものだが、例外はあるのかもしれない。

 まあ結構遅い時間だしな。教師側の事情もあるし、早めに帰らされたってだけなのかもしれない。

 そう言えば志島先生にも「助かった。すまんが礼は後日で頼む。早く帰れよ」なんて言われたからな。

 それでも居座って他の先生から褒められるのを待っていたのだが……もしかしたら迷惑だったのかもしれない。


 ミスったな。せっかく上げた好感度が……。

 俺は現金なことを思った。まあでも仕方ない。褒められたかったからな。俺はチヤホヤされるのが好きだった。


 今日の晩メシは何にすっかな~。そんなことを考えながら、俺の脳は昼休みの記憶を再生していた。天羽さん。彼女が頼まれごとをしているところ。


「……あんなに抱えたら、いつか潰れそうでこわいよな」


 彼女は天使だ。人が良すぎる。望んでしているのかもしれないが――望んでしたことだからと言って、いくらでもできるわけではない。

 むしろ『望んでしている』と思っていることのほうが危険だろう。自分はできる。望んでやっていることだから――なんて思えば、自分の限界が見えなくなる。

 だって本当に辛くないのだ。したいからやっていることなんだ。

 そうやって、抱えて、抱えて、抱えて抱えて――いつの間にか、とっくに限界なんて越えていた。

 そんな話は枚挙に暇がないだろう。


 そんなことを考えていると、自然と脚がいつかの花壇へと向かっていた。

 天羽さんとの思い出の場所。ほとんど生徒が通ることのない場所。単に『人気のないところ』を探したとしても、まず行き着くことはないだろう。

 そんな見つけにくい場所に咲く花のことを、久しぶりに見たくなった。


「――ん」


 珍しく、先客が居た。あの後ろ姿は……天羽さん?

 彼女がたまにここに顔を出すことは知っていた。そもそも最初に出会った場所がここなのだから、ないことではない。


 もしかしたら、花に触れることでリフレッシュしようとしているのかもしれない。天使だからな。イメージ通りだ。


 俺は声をかけることをためらった。邪魔しちゃいけない。

 天羽さんがひとりで居ることなんて珍しい。つまり、今はそれが必要だということなのだろう。


 ひとりにしてあげよう。そう思って、踵を返そうとした――その時。



「――ざっけんじゃないわよ!」



 そんな声が耳に届いた。


 …………うん? 今の声、いったいどこから……。


 俺は後ろを見てキョロキョロと辺りを見回した。誰も居ない。


 その割には近くから聞こえたのだが……校舎の中からだろうか。


 しかしここはちょうど校舎からも死角になる位置だ。窓もない。たまたま迷いこむのも難しいだろう場所である。俺と天羽さん以外、周囲に人の気配はない。


 であれば……幻聴?


 俺はそう思い込もうとした。


 が。


「そりゃ、私も『なんでも頼ってね』とは言ってるわよ? でも、それにしたって限度があるってものじゃない。『それ絶対私じゃなくてもいいよね?』ってことがどんだけあるか! それも私だから応えてくれるだろうって思って――断りにくいのよ! どうしても無理なものは断るしかないけれど、断るのにも気を遣わなきゃいけないし……なんで私がこんなに考えなくちゃいけないわけ!?」


 天使が地団駄を踏んでいる。


 遠い目をして俺は思った。これ無理だわ。もう自分を偽れない。完全に……天羽さんから出てる。


 天羽さんの姿をしただけの誰かだと思おうとした。後ろ姿だけなら――それでも無理があるほどに彼女のスタイルは整っているが――人違いの可能性はある。


 しかし、声は……普段の口調とは、まったく異なる。でも、この甘い声は。


「あー……私だって、人間なのよ。天使なわけないじゃない。そう勘違いされるぶんには、まあ、悪くない気分ではあるけれど――少しくらい、労ってくれてもいいと思うわ。世界は私をもっと甘やかすべきだと思うの。天使と見紛うくらいに美少女なんだから、全員跪いて私を甘やかすくらいでちょうどいいわよ。そう、そうよ! それなのに、みんな私を都合よく使って……! ざっけんなぁー!」


 甘い声には毒がある。


 その姿はいつも見る彼女のものとは違っていた。

 明るく元気な、いつも笑顔の優しい天使。

 そんな顔が嘘だったように、彼女は不機嫌さを隠そうともしていない声と表情で愚痴を吐く。


 いくらかそうしていると、スッキリしたのだろう。彼女がふぅと息をついた。


 そしてくるりと踵を返し、顔を上げる。


 その視線の先には目つきの悪い男が居た。


 そう、俺だ。


「……」


「……」


 俺たちは無言で見つめ合う。


 実際は一瞬のことだったのだろう。しかし、その時間は永遠のようにも感じられた。一瞬が永遠に引き伸ばされて――


 天羽さんが言った。


「わ、わぁ! き、奇遇だねっ、斎賀くん! 私はちょっと演技の練習を――」


 無理がある。


 俺は思った。天羽さんも同感だったのだろう。青ざめた笑顔が紅潮し、ふるふると震える。


「……私は天羽メイ。優衣とは双子で」


 無理がある。


「…………な、なんで何も言わないのよ」


 天羽さんの目が涙目になる。口調口調。もう誤魔化すのをやめたのだろうか。


 しかし俺に何と言えと言うのだろうか。俺としても何も言えない。あえて言うならば……迂闊すぎない? ということだろうか。

 そういうことは自分の部屋とか……もっと誰にも見られないところでするべきだろう。

 ……あるいは、それができない理由があるのかもしれないが。


「……な、何が狙い?」


 俺の視線に何を感じたのか、天羽さんが自らの身を抱くようにして尋ねる。

 え? 何が狙いって……何も狙ってないが? 戸惑っているだけだが?

 憧れの天使が愚痴を言っているところを見て、ショックを受けているだけだが?


 しかし俺は勘違いされやすい男。天羽さんの顔色が悪い。少しずつ青ざめていく。


「……あなたは、そんな人じゃないと思っていたのに」


 どんな人? 俺は思った。しかし何も言わない。何を言えばいいのかわからなかったからだ。


 そして彼女は勘違いを加速させる。

 仕方ないだろう。ずっと天使として振る舞ってきた。明るく元気な良い子として振る舞ってきたにも関わらず、ちょっとストレスを発散しようと愚痴を言っているところを見られてしまった。

 屋上で叫ぶとか海で叫ぶとかと同じことだったのだろうが、それを他人に見られてしまった。

 秘密を知られた。誰にもバラされてはいけない秘密を知られてしまった。

 どうしよう。どうすれば。

 窮地に陥れば人は冷静さを保てないものだ。それも急を要する状況。

 なんとかしなければいけない。誤魔化すか。それができなければなんとかして口を塞ぐしかない。

 口止めを。しかしどうやって? どうすれば相手はこのことを黙ってくれる?

 混乱した頭で考えることは普段なら出すわけがないような結論を導き出すものだ。


「ッ……」


 天羽さんはキッと俺を睨みつけた。天使に睨まれている。俺は落ち込んだ。


「か、身体が……目当て……?」


 俺そんなことすると思う?

 秘密を知ったくらいで脅迫するような人間だと思われていることが何より悲しい。 

 いや『そんな人じゃないと思ってたのに……』とか言ってたけどさぁ。……天羽さんにだけは、そんなこと思われたくなかったな。


 しかしそうやって俺が落ち込んでいられるのもそこまでだった。


 しゅるり、と天羽さんが制服のタイをゆるめる。


 そして、ボタンを一つずつ外していき――


「……こ、これで、ほんとうに、誰にも言わないなら」


 天羽さんの目が潤む。苦痛に顔を歪めて、ボタンを外して……下着が、見える。谷間が見える。


 そんな彼女に、俺は言った。


「外では、ちょっと」


 初めてが青空の下というのはアブノーマル過ぎる。


 なので、思わずそう口走ってしまった。




      *




 ということで「じゃ、じゃあ……行き、ましょう」とガチガチになった天羽さんといっしょに学校を出て電車に乗って繁華街に行ってホテルが立ち並ぶエリア近くに来たところで「いや、べつに身体目当てとかじゃないんだけどね。そもそも脅すつもりとかなかったし」と言ったら信じられないような顔をして見られてしまった。


 ちょっと誤解を解くのが遅かったかもしれない。

 俺はテヘッと舌を出した。


 お茶目な一面である。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る