第3話 ヒューマンのオスが持つ固有スキル

 高校入学当時、俺は謂れのない悪評に悩まされていた。ただ顔がちょっとこわいだけで周囲の生徒から怖がられていたのだ。

 もちろん俺は傷ついた。まだ何もしていないのに……。本当は心が優しい少年だということを誰にもわかってもらえなかった。

 第一印象は確かに大事だ。しかし、それにしたって視線が合っただけで『マズい』みたいな顔をされたら……こっちとしては、もうどうすればいいんだって話だろう?

 声をかけただけで相手を怖がらせるわけだ。こっちが悪者みたいになってしまう。


 俺は早々に諦めていた。だってそうだろ? 俺は何も悪くないのに……勝手に悪者にされるんだ。そんなやつらと、どうしてこっちから仲良くしてほしいと持ちかけないといけないんだ?

 そう思い込み、誰とも話さない期間が続いた。声を出すのは授業中、教師に指名されたときくらいなもんだ。


 人と話すことは嫌いじゃない。むしろ好きだ。でもそれは『嫌われてでも』と思えるほどのものじゃない。

 すべては誤解なのだから、話せばなんとかなったのかもしれないが……それがわかっていても、俺は誰かに話しかけようとは思わなかった。


 誤解が解けるかどうかもわからない。いつまでかかるかわからない。

 しかしその間、必ず嫌そうな顔をされる。怖がらせる。

 そんなことになるのなら、いっそのこと誰とも関わらないほうが気も楽だ。


 俺は本気でそう思っていたし、今でも間違ってはいないと思っている。 

 もちろん、それは間違っていないだけなのだが……当時の俺は、それこそがたったひとつの道だと信じ込んでしまっていた。


 そんな頃だ。俺が、天羽さんと出会ったのは。


 一年生の頃、俺は天羽さんとは別のクラスだった。

 それだから彼女のことは移動中なんかに見ることがあるくらいで、どういう人なのかは知らなかった。

 当時の俺は他人から距離を置かれていたし、自分から離れようとしているところもあったから。

 誰とも話さないだけではなく、話し声すら聞こえないようにしていたから……瞬く間に有名人となっていた彼女のことを、俺はほとんど知らなかった。『綺麗な子だな』とは思っていたが、それくらいだ。


 天羽さんと出会ったのは……話しかけられたのは、とある日の昼休みのことだった。

 人が居る場所には居られない。授業の間の休憩時間くらいであれば問題ないが……昼休みともなると、さすがに教室に居るのは苦痛だった。

 そもそも、俺が居たら他の生徒にとっても迷惑だろう。そんなことを本気で思って、俺は人気のない場所を探していた。


 見つけたのは校舎裏の花壇近く。……わざわざ『見つけよう』としなければならない場所にひっそりと咲く花を見ていると、俺はなんだか笑えてしまった。

 こんな誰も通らない場所に、どうして花なんて植えてるんだか。しかし……俺はその場に屈み込み、花の周囲を観察した。

 自然に咲いたわけじゃないな。整い過ぎている。つまり、世話をしている人が居る。


「――あっ!」


 声が、した。驚いたような声、ここに人が居ることを驚いているような声だ。


 俺も驚いた。そしてこれから起こるだろうことを思った。背後から暗闇の手が伸び目元を覆い隠す。

 何度も起こっていることだ。顔がこわい。悪人ヅラ。それだけで人に誤解される。

 いったい何をしようとしていたのか。警戒されて……糾弾されて。

 何を言おうとも信じてはもらえない。怖がられてしまうだけだ。

 だが、してもいないことを『した』ことになるのは我慢ならない。

 面倒だな……。憂鬱だ。ずんと暗く重い感情がのしかかり、肩を落とす。


「……斎賀くん?」


 そう、名前を呼ばれたことに驚いた。聞き覚えのない声。カーテン越しに差し込む陽光のような、やわらかい声だった。

 導かれるように振り返る。ちょうど太陽が居座っている位置だったから、一瞬、目を焼かれてしまう。眩しさに目を細めて――逆光の中に、天使の姿を見た。


 彼女は優しく笑っていた。


「やっぱり! 斎賀くんと、ずっといっしょに話したかったの。まさか、こんなところで会うなんて……斎賀くんも、お花、好きなの?」


 ぐぐいと顔を近づけ、無邪気に天使が笑っていた。

 花を見ようとしているのだろう。そう思いながらも、顔の近さに動揺する。

 あまりにも整った顔、まるまると大きな瞳に、コロコロと変わる表情。

 かわいい、という言葉を飲み込むのには大変な努力を要した。


 そう、努力だ。俺は努力ができない。つまり失敗した。


「……へ?」


 かわいい。そう口にした俺に彼女は目を丸くして……ふふっ、と微笑む。


「ありがとう」


 その、意外な反応に――動揺したり、照れたり、あるいは俺の顔でそんなことを言われているのだから怖がったり……そういった反応を予想していたのに、彼女は優しく微笑んでいた。

 天真爛漫な第一印象とも違う。明るく、元気に答えるのではなく……優しく、静かにそう言った。


 ドキ、と胸が疼いた。

 俺はまだ彼女のことをよく知らない。廊下ですれ違うことはあった。同じ学年だということくらいは知っている。

 だが、今見たこの表情が貴重なものだということはなんとなくわかった。彼女がとても魅力的な人だということは、痛いくらいに理解できた。


 俺は何か言おうとした。だが、俺はまだ彼女の名前も知らなかった。

 そんな様子を見て察したのだろう。彼女は「あー!」と思い出したように声を上げた。


「まだ名乗ってなかったね! はじめまして、斎賀くんっ。私の名前は天羽優衣! 学年のみんなと友達になることが目標の一年生です! ……よかったら、私と友達になってくれないかな?」


 そして、俺は彼女といくつかの話をした。そのときに話したことは、正直、よく覚えていない。

 緊張で言う必要もないことを言いまくった気がしたし……それでも、彼女は素直に明るく聞いてくれていたことだけが思い出せる。


 ただ、ひとつだけ――特に印象に残っている言葉がある。


「……斎賀くんは、優しい人だね。みんなも斎賀くんのことを知れば、きっと好きになると思うな」


 そう口にしてくれたときだけは――明るく、照らすような笑顔ではなく。


 どことなく寂しげで……遠くを見つめるような表情だった。




      *




 あの後、彼女に背を押された俺は勇気を出して他の生徒との交流を試みた。

 ひとりではくじけそうになることもあったが……俺には天使がついていた。なら恐れることは何もない。


 結果、周囲から『悪人ヅラ』『チンピラ』『不良漫画のモブ』と距離を置かれていた俺は『悪人ヅラ』『詐欺師』『チンピラ』『悪魔』『不良漫画のモブ』『顔のせいで勘違いされやすいけど実は優しいタイプ……なんてことはなくホントにクズ』と親しまれるようになった。


 なんでだよ。


 俺は未だに誤解されていた。誰がクズだよ誰が。勘違いされやすいだけで本当は善良な少年だということを理解してくれているのは天羽さんくらいだ。

 それに引き換えクズどもは……。俺はこんなにも優しい人間だというのに。天使のお墨付きだぞ? ん?


 椅子に縛り付けられながら俺は言った。しかしクズどもは聞く耳を持ってくれない。詐欺師だの悪魔だのひどい言い草だ。やれやれ。俺は肩をすくめた。


 証拠不十分で釈放された俺は苦虫を噛みつぶしたような顔をするクズどもを茶化しに茶化してその場を後にした。

 やっぱり俺のことを理解してくれているのは天羽さんだけだ。彼女だけが俺に優しくしてくれる。……ん? つまり……天羽さんは、俺を特別扱いしている……?


 俺はヒューマンのオス特有の勘違いを発動させた。いや、待て。天羽さんは誰にでも優しい。俺にだけじゃない。そんなことはわかりきっている。わかりきっているが……。


 その日の放課後、帰るときに天羽さんの姿を見かけた。珍しくひとりきりだ。周囲には誰も居ない。今だ、と思った。


 意を決して、俺は彼女に告白した。




      *




 そしてこうなったってワケだ。


 俺は回想シーンを終えた。ん? 結局どうなったんだって?

 それを書くには余白が足りない。ただひとつ言えることがあるとすれば……俺はまだ清い身体でいる、ってことかな。あと俺に黒歴史が増えた。


「慎一郎は天羽さんのこと好きだもんね」


 ニヤニヤと隣に居る悪友が笑う。うっせぇわ。ぜんぶ知ってるくせに。

 俺をクズクズ言う前にこいつのことも意地が悪いと罵ってほしい。いや小悪魔とかではなく。

 くそっ。容姿が良いって得すぎんだろ……!


「っ……し、慎くんっ。ぉ、おはよっ!」


 アオイを懲らしめてやろうとして返り討ちにあっていると、そんな震え声で挨拶された。

 オドオドした女子生徒だ。俺は絞め技を食らいながら返す。ああ、おはよう、伊織。伊織も同じクラスだったか。ラッキーだな。


 クールにそう言いながら俺の心はぴょんっと飛び跳ねていた。

 去年と同じだが……違うクラスだと心配すぎるからな。もちろんそれ抜きでも嬉しい。心置きなく話せる女子生徒が居るってだけでテンション上がる。

 やっぱアオイだけじゃな〜。華はありすぎるってくらいにあるが、男子と女子じゃあやっぱり違う。


 伊織――折月伊織は女子生徒だ。

 野暮ったく長い黒髪にデカい眼鏡。姿勢は悪く服もダボついているのでスタイルが悪く見える。素材は良いのに自分からダメにしている典型例だな。

 自信がなく控えめ。学校に来たらラッキー……なのは昔の話か。学校には来るが俺やアオイ以外とはほとんど話すことができない。もちろん天羽さんは例外だが……。 

 一応、それ以外の生徒とも話そうとはしている。間違いなく挙動不審になって毎夜のようにひとり反省会を開いているが、それでも昔と比べれば大きく前進している。

 漫画やアニメ、ゲームを好み、俺だけに心を開いてくれる女子……。つまり最高の女ってことだ。


「あ、アオイっ。慎くんが相手だからって、そんなことしちゃだめだよっ」


 伊織がぷんぷんとさっきまで俺を落とそうとしていたアオイに怒っている。

 まったく迫力がない。声もへにょへにょだし。アオイも笑って「ごめんごめん」と言っている。


「でも、慎一郎からやってきたんだよ? これは正当防衛だね」


「過剰だよっ。弱いものいじめになっちゃうもん……」


 今俺のこと『弱いもの』扱いしたか?

 俺は噛みついた。アオイがおかしいだけだからな? それに俺は暴力などという野蛮なものには頼らないことにしているだけだ。誤解されては困る。


「暴力にしか頼らなそうな顔してるくせにね」


「こ、こらっ」


 伊織ぃ……アオイがいじめる……。

 俺は躊躇なく伊織に甘えた。抱きつこうとしたがそれはアオイに止められてしまう。

 チィッ! 無理だったか。伊織が迎えるように開いた腕を恥ずかしそうに閉じた。かわいい。いいものが見れたので俺は満足した。


「……あ、天羽さんも、同じクラスなんだよね」


 照れ隠しに話題を逸らそうとしている。かわいい。俺は声に出してそう言った。


「っ! ぅ~……! あ、アオイぃ……」


「かわいいよねぇ」


「アオイまでぇ……!」


 伊織が裏切られたようにぴぃぴぃと鳴いた。

 このままだとべそをかくかもしれない。それはそれでかわいいが……。俺は伊織の話題に乗った。


 そうだ、天羽さんも同じクラスだ。ラッキーだよな。

 と言うか伊織にとってはむしろこのクラスじゃなかったらどうなってたんだよって話だよ。俺もアオイも天羽さんも居なかったら誰とも話せないだろ。

 もしかしたらそこんところも考えてくれたのかもな~。不登校児を増やしたいってわけじゃないだろうし……そう考えると、俺は伊織に感謝しなくちゃいけないのかもしれない。

 俺も伊織と同じクラスで嬉しいし……天羽さんと同じクラスなんだから。これはデカい。それだけで他のクラスのやつらを煽ることができるレベルだ。

 お前らのクラスに天使って居る? 俺たちのクラスには居るけど……えっ!? 居ないの!? うわぁ……かわいそう……。

 天羽さんと同じクラスだと毎日挨拶してくれるんだぜ? しかも話しかけてくれる。距離も近い。

 まあ、あまりにも魅力的すぎて感覚が麻痺してしまいそうになるって点だけが問題かな~。そういう意味ではお前らのことが羨ましいよ。

 これを経験したらきっと二度と元には戻れない。だから、お前たちは先に行け……!

 俺たちはここに神殿を建てる。天使を祀る神殿を、な……。


「慎一郎って自殺願望でもあるの?」


 アオイに呆れられてしまった。伊織も「あはは……」と苦笑している。

 冷静なフリしやがって……! お前らも天羽さんと同じクラスで嬉しいだろ!? 特に伊織! 


「そ、それは……まあ、嬉しいけど」


 ちら、と伊織は天羽さんを見る。みんなに囲まれて笑う彼女を見て、眩しいものを見たときのように目を細める。


「……天羽さんは、わたしの憧れだから」


 その言葉にはいったいどれだけの意味が込められていたのだろうか。俺は思わず声を失った。その横顔があまりにも綺麗だったから。


 そのまま伊織がこちらを見る。眼鏡の奥で大きな瞳が熱っぽく揺れていることがわかる。目を逸らすことができなかった。目を逸らしてはいけないと思った。


「慎くんは、天羽さんのこと――」そこまで口にして、伊織は言葉を止めた。迷うように手が空をつかむ動作をして、苦い顔をして目を逸らす。「……なんでもない」


 なんでもないってことはないだろう。俺は伊織が言おうとしたことを考えた。

 好きかどうかってことか? それならもちろん好きだ。付き合いたい。当たり前だろ?


「……慎くんは、そういう人だよね」


 ぷくぅ、と伊織が頬を膨らませる。何その反応。俺のこと好きなの?

 俺はヒューマンのオスが持つ固有スキルを発動させた。舐めるなよ……? 俺は簡単に勘違いする……!


 そんな俺をちらりと見て、伊織はぽつりと言葉をこぼす。


「……すればいいじゃん」


 おっ……お前なぁ! お、俺がどんな思いで……!

 俺は震える手で伊織を指差し糾弾した。それで告白したらちょっと申し訳なさそうな顔で「そ、そんなつもりじゃなかったんだけど……まさか、そこまで本気にされるとは」みたいなこと言うんだろ!

 知ってるんだからな! 経験的に! 俺のことをもてあそぶんじゃねぇ!


「経験……」


 伊織が憐れむような目で俺を見た。おっ、俺を……俺を憐れむなァアアアアア!


 そう叫びながら、俺は教室から逃げ出した。


 その目の端で、一粒の雫がキラリと光った……。

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