第2話 勘違いされやすそうな悪人ヅラをした男
公正社会仮説というものがある。
端的に言えば『因果応報』なんてことわざを人間は信じてしまいがちだ――なんて話だな。
善行をすれば報われる。悪事をなせば罰せられる。俺たちヒューマンにはそんな認知バイアスが標準装備されている。
こんなことをすれば罰が当たるんじゃないか。最後には正義が勝つに決まっている……。
努力すれば報われる。自分を信じて夢を追い続けていれば、夢はいつか必ず叶う。
絶対にそうだとは思わないまでも、大なり小なりそういったことは信じてしまうものだろう。
成功をした者は努力していたから成功した。良い結果には良い行動がともなうはずだと信じてしまう。実際はそんなことがなかったとしても……家柄、環境、それから運。そういったものが何よりも重要だったとしても。
逆もそうだろう?
何かに打ち込んで失敗したときに『努力が足りなかった』なんて思うことはままあるだろう。
不運なことがあったとき、何か原因があったんじゃないかーなんて言われることもある。
犯罪の被害もそうだし、病気とかもな。感染症にかかったのは〇〇だからだーなんて非難は人類史において何度繰り返されてきただろうか。
ただ、こう思いがちなのは何も悪いことばかりじゃない。
人類が進歩してきたのは『努力はきっと報われる』なんて根拠のない――しかしまったく効果がないこともない偏見があるからだ。
それがあるから人は努力することができるし、希望を持って生きることができる。
因果応報なんて考えているから悪いこともしないようにするし……善行を積もうとする人間もちらほら出てくる。
公正社会仮説っていうのは『世界がそうあってほしい』という願いでもある。少なくとも、俺はそうだ。
努力している人間は報われるべきだと思う。頑張ったなら、相応の報酬は手にするべきだ。つらくて苦しいことを経験したならそのぶん甘やかされるべきだろう。
禍福は糾える縄の如し。災禍ばっかりなんてたまったもんじゃない。
もっとも、幸福のほうはずっと居座ってくれてもいいんだが。
俺は努力が苦手だ。ただ、だからこそ努力を続けている奴を見ると尊敬する。
自分にはできないあんなことをやっているのだから、どうか報われてほしい……なんて。
誰にでも思うわけじゃないが、親しい人間くらいにはそう思う。
努力は実を結ぶとは限らない。頑張りすぎは身体に毒だ。
俺はそう考えてしまう側の人間だ。だから、はなから努力しようとなんて思えない。
努力の人は尊敬するが、頑張りすぎって奴を見ると『休めばいい』とすら思ってしまう。
ウチの黒猫さんもそうだ。幼い身の上で死にそうになるくらいに頑張ったんだから休めばいいと思って甘やかしている。
「にゃあ」
しかし、彼女は今日も俺のことを起こすなんて仕事をこなしてくれた。
頑張ってくれたお礼にと抱きしめて撫で回す。バズ子さんはくすぐったいようにしながらも逃げずに満足そうに「ぅみぃ~」と声を上げている。やんちゃさんだった頃の様子は見る影もない。
日課の猫吸いを満喫すると、俺は朝の準備にと立ち上がった。
ぴょんとバズ子さんが俺の頭の上に乗る。これ以上成長すると首に負担がかかりそうだから今のうちにやめさせるべきなのかもしれないが……甘えられるのが嬉しくてなかなかできない。
まあ、未来の俺が困るだけだ。バズ子さんに困らされるなら未来の俺も本望だろう。
キッチンに向かい、当番表を見る。食事当番のところに『今日から二年生!』『慎一郎♡』と書いてある。
斎賀慎一郎。どこにでもいる平凡で善良な男子高校生の名前だな。もちろん俺のことである。
昔は姉さんが食事をつくってくれることもあったのだが、最近は専ら俺の仕事だ。俺のがうまいからな。
いつも通り手を動かす。と言っても難しいものじゃない。パンを焼いてその上にハムエッグを乗せるくらいの簡単メニューだ。片手間でできる。
だからついでに昼飯も作っておく。姉さんはほっとくとメシ抜きで済ませることがある。
何度もダメだって言ってんのに……。冷蔵庫に入れとくからちゃんと食べろよな。わかったか?
「ふぁい……」
寝ぼける姉さんがもっしゃもっしゃと朝メシを食べてうなずく。
ホントにわかってんのか? まったくよぉ……。俺もう出るからな。姉さんも二度寝とかはほどほどに。
「いってらっしゃ〜い……」
姉さんがひらひらと手を振った。
肩からタンクトップのひもがずれ落ちているが平常運転だ。
胸がこぼれおちそうだと肉親のものなのに反射的に視線が向かってしまいそうになって自己嫌悪に陥るからマジでやめてほしい。
「にゃあ」
ほら、バズ子も鳴いてるじゃん。
にゃあにゃあ鳴きながら姉さんの胸をサンドバッグにしている。それからこちらを見てまたにゃあと一鳴き。行ってらっしゃいと言ってくれている。
「行ってきます」
姉さんとバズ子にそう言って、俺は家を出る。
春風が頬を撫でる。
春、それは出会いと別れの季節。
これから一年をともに過ごすのは、いったいどんな顔ぶれだろうか。
期待と不安に胸を膨らませながら、俺は学校へと向かった……。
*
新入生に怖がられている。
学校前、制服に身を包んだ生徒たちが歩く道で俺は新入生たちの怯えた視線を一身に受け止めていた。
いや「ヒッ」じゃねえんだよ。何もしてないのに。どうしてそんなに怖がられなければいけないのか。甚だ遺憾だ。
これはできるだけ早く誤解を解かなければいけない。こんな顔をしていても実は善人っていう。ギャップ萌えだな。モテモテになるしかない。
そうして俺が『新入生にモテモテ計画』を考えていると「また悪巧みしてそうな顔して……ただでさえ悪人ヅラのくせに、自分からそう宣伝することなくない?」なんて声をかけられる。
この中性的な声……アオイか。俺は振り返って言い返した。
テメェだって新入生を勘違いさせるような格好してるだろうが。俺よりお前のが悪質だからな?
「何が? ボクはボクのしたいようにしてるだけだよ」
アオイはカバンを後ろ手に持ちながら、ふわり、と身を翻す。
膝上のスカートが揺れて、太ももが見える。際どい。ついつい視線が向かってしまう。
だがアオイは男である。青井蓮。中性的な容姿を完全に女性側に寄せた、見た目だけなら美少女にしか見えない男だ。
女装している理由は「ゲームと同じだよ。どうせプレイするならかわいい格好してるキャラを操作したくない?」とのこと。現実はゲームじゃないんだが?
「ただ顔がちょっとこわいだけの俺よりもアオイのがヤバいだろ。ほれ見ろ、新入生の男どもの顔を。アレは『あのかわいい女の子をチンピラの魔の手から救ってみせる……!』と思ってる顔だ」
「なにそれ。面白。じゃあもっと煽ろうか」
ぎゅーっとアオイが抱きついてくる。煽るためだけにそういうことするのやめてくれない?
しかし外見は本当に美少女なのだ。見知らぬ新入生が勝手にアオイに恋をして失恋している。NTRだな。何がだよ。寝てから言え。
絶望する彼らの顔が面白くて俺は見せつけるようにアオイを片手に抱いて身体をまさぐった。
ククク……お前らが喉から手を出しても手に入れられないものを俺は手に入れている……どうだ、羨ましいだろう。ハーッハッハッハ!
「触り方キモい」
ノータイムで殴られた。ぐぅっ……! 俺はその場でうずくまった。
アオイも男に身体をまさぐられる趣味はないらしい。同感だ。俺もまさぐられるなら美少女に身体をまさぐられたい。
アオイは鳥肌の立つ腕をさすっている。……自分から抱きついてきたくせにそこまで嫌がるか? さすがに傷つく。
とまあそんなこんなで自分のクラスを確認して教室に向かう。
去年に引き続き俺はアオイと同じクラスだった。知った顔が居ると安心するよな。
ふたり並んで教室に向かう。新入生以外からは恐れられていないので道中声をかけられたりするがうざいので適当にあしらう。
俺に声をかけてくんの男子ばっかりなんだが。逆にアオイは女子にばっかり声をかけられる。
俺を無視すんなよなぁ~! そうやって挨拶すると「してないしてない。斎賀くんもおはよっ♪」と笑顔で返される。
俺は許した。もしかしたらこの子は俺のことを好きなのかもしれない。照れくさくなって俺はへへっと鼻をこすった。
「斎賀こそ俺らのことを無視してるよな」
「それな」
うるせぇ! 散れ! 俺は俺のことを舐め腐っている男子生徒どもに眼光を浴びせた。
しかし効果がなかった。タイプ相性である。仕方ない。俺はアオイを使った。いけっ! アオイ! メロメロだ!
「何そのノリ。……それで? 君たち、ボクには挨拶とかないのかな」
「アッ……えっと……」
「あ、アオイさんには……その……無視してるとかじゃないんですケド……」
「斎賀のクソ野郎とは……対応が違うと言いますか……」
アオイは見た目だけは美少女である。完全に男なのだが、こいつらは未だにアオイの前ではわかりやすいくらいにキョドる。
普通の女子生徒の前よりもむしろアオイの前でのほうが挙動がおかしくなっているかもしれない。なんでだよ。着替えのときとかもアオイのほうを見ないようにするし……。逆にキモい。
そしてそれが女子生徒たちには不満なようで、彼女たちはアオイの前でキョドる男子たちに冷たい目線を送る。
アオイのことはかわいがっているようだが……自分たちよりもアオイに対して緊張する男子どものことが気に入らないらしい。
その視線は物理的な影響力を持ち、グサグサと氷の矢が刺さった男子どもは慌てたように女子生徒たちに言い訳を始める。「アオイさんは特別枠って言うか……」だのなんだの。
それに女子生徒たちが襟足を指に巻き付けながら「ふーん」と興味なさげな返事を返す。いつものパターンだ。
俺は俺のことが好きっぽい女子のことだけマークしてアオイとともに教室に向かった。告白されたらどうしようか。今から脳内シミュレーションを始めておかなければなるまい。
「鼻の穴膨らんでる。何か勘違いしてるね?」
「告られたらどうしようかなって思っただけだが?」
「えっ……どこでそう思ったの……?」
俺に優しくしてくれたからだが? 何を当たり前のことを言ってるんだか。
一般的な人間のオスは自分に優しくしてくれた女性に対して『もしかして俺に気があるんじゃないか?』と思うものだ。
もちろんほとんどの場合ただの勘違いだ。それくらいは俺たちもわかっている。
しかし、もしもがある。もしも俺に気があるなら……それを『勘違い』で済ませるなんて相手に失礼ってものだろう。
そんな自己正当化を経て俺たちは『もしかして俺に気があるんじゃないか?』という思いを『告られたらどうしようか』という思考に発展させる。論理的な思考だな。
人間のオスは笑顔で挨拶をされただけで『告られたらどうしようか』と考える生き物なのである。
「主語が大きすぎる……男が誰でもそんなこと考えるわけないでしょ」
アオイが呆れたように眉を下げる。アオイは男という存在をずいぶんと高く買っているようだ。
これはすべて人間のオスに共通する習性だと言うのに。まったく……。
俺はやれやれと肩をすくめた。アオイがイラッと眉を顰めた。
痛む頬をさすりながら教室に入ると、ガヤガヤと賑わう声に包まれた。どうやら出遅れてしまったらしい。もうずいぶんと揃っているようだ。
とりあえず自分の席に向かい荷物を置き、周囲をぐるりと見回した。大きな集団が目につく。教室のど真ん中で、多くの生徒がひとりの生徒を中心に囲んでいる。
その生徒が同じクラスだということは知っていた。しかし、実際に目にすると……どうしようもなく、心が浮足立ってくる。
万人に愛される天使、天羽優衣。
成績は学年一位から落ちたことがなく、運動神経も抜群。
天真爛漫という言葉をそのまま現実に引っ張りだせばこうなるのだろうと思えるほどに無邪気で明るく、誰からも好かれる人気者だ。
およそ欠点が思い浮かばない完璧超人――のはずなのだが、その振る舞いからか取っ付きにくさのようなものはまったく感じず、人懐こさしか感じない。
女子の平均よりも背が高いので、遠くからでもよくわかる。それでいて顔は小さく、胸は大きい。
ウェストをスカートで絞っているから太っているような印象は受けず、ピンと張り詰めているシャツが心配になるくらいだ。
スカート付近なんて布が引っ張られまくっているからすごい皺ができている。
ダボつかせれば胸も強調されないだろうが……彼女はそんなことをせず、堂々と胸を張っている。
そんなところも女子から厭われることなく慕われる理由なのだろう。
そんな彼女は周囲を生徒たちで固められているにも関わらず新しく教室に入ってきた生徒に必ず挨拶をしてくれる。
俺とアオイに対してもそうだ。パッと花咲くような笑顔を浮かべて、「おはよっ! 斎賀くん! アオイくん! 今日からいっしょのクラスで嬉しいよ〜! これから一年、よろしくね!」と手を振ってくれる。
「天羽さんはやっぱり人気者だね」
挨拶を返し、アオイが言う。学年の全員と友達らしいからな。
その容姿だけでも人を惹きつけてやまないだろうに、彼女は自分から色んな生徒に近づいていく。そして相手を魅了する。
誰にでも優しく、はっきりと友愛を示す女の子。……ほとんどの生徒から怖がられていた俺に対しても、優しくしてくれた女の子だ。
――斎賀くんは、優しい人だね。みんなも斎賀くんのことを知れば、きっと好きになると思うな。
そう言ってくれた彼女の顔は、今でも鮮明に思い出すことができる。
彼女に俺は救われた。
そして、彼女に恋をした。
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