第31話 ボクちゃん 31 陸上競技 談話

ボクちゃん 31

陸上競技 談話



次は、水泳同様、陸上競技記録会である。


水泳と同じように、この町の一番広い小学校の運動場で行われる。



短距離の60メートル走、百メートル走、長距離の1500m走、走り幅跳び、走り高跳び、ボール投げ、対抗リレー、の種目が行われる。



それまでは、10日ほど前から、自校で練習する。



その間の、指導の熱、力の入れようには、言い様のないほどの熱弁が聞こえてくる。


そして、大会に望む。


当然、見物客も多い。



そして、運動会以上の盛り上がりを見せる。


大会場での児童の応援、教師の声も大きい。



運動場の隅にいても、その大きな声援が聞こえてくる。



叱咤激励の大声である。


場内のアナウンスも、またしても、ワールドカップである。




そして、大会のハイライトは、終盤の百メートル走、学校対抗リレーである。



そして歓声、歓声が迸る。



秋の青空の下、力一杯の演技が繰り広げられるのである。



児童達は、汗を流して、夢中になって競技に望んでいる。



午前中から始まった競技も、昼が過ぎて、午前三時半を回ろうとしている。




西の空が紅く染まって、夕陽が静かに顔を出している。


それでも歓声は止まらない。



全種目終わった後の閉会式は、山の紅葉と相まって、美しい景観が見られる。



夕陽と山々が重なりあい、自然の織り成すこの時期には、この季節独自の黄昏が浮遊している。



スックと立ち並んでいる児童の後ろ姿を見ても、満足感と成就感が漂っているかのようである。



そして閉会の言葉とともに幕が降りる。


この町を僕は、スポーツ王国と命名した。











とにかく、この町は何事に於いても熱心なのである。


その熱の入れようには、僕としては、感心させられるほどである。




僕の小学校時代には、こんな様相は見られなかった。



走り方の方法とか、テクニックとか、、、教えてもらった記憶がない。


この町のスポーツ関係は、僕としては、過去に経験のない行事ばかりだったのである。



と、ここまで書いてきたが、僕はもう書くのがいやになってきた。


書き始めた頃は何となく書いてみようと思っていた。


しかしどうも疲れる。


といってここまで書いてきたのだから最後まで、、、と思うが疲れる。



僕はどうも持久力がない。


いつも最後の土壇場で投げ出してしまう。


スポーツに於いても、持久走は、水泳、相撲同様、あまり得意ではなかった。



持続力がなくて、あまり粘り気がないのである。


根気がないのである。


もうこの辺で終わろうかとも思うが、、、やはり最後まで、、、とも思う。



また少し小休止して疲れをとってからにしよう。


僕はまたそう思った。



今日、図書館で「坊っちゃん」をペラペラと開いてみた。



レベルが違う。次元が違う。


とにかく比にならないのである。


愕然とした。



当初抱いていた夢が潰されたような衝撃を受けた。



とにかくくらべようがないのである。


当たり前のことであるけれども、区別さえもしょうがないのである。



僕は何が何やらわからなくなってしまった。



が、何とか最後まで、、、と再び決意した。



僕なりに書けるだけ書いてみよう、またまたそう思った。









ある日の会話である。


猫男先生が

「あの子はやさしい」

「あの子は気ままだ」

とか

「あの子はわがまま」「この子はまじめ」だと、


子どもの性格のことについて、変に批評し始めた。


カマ男先生も加わって

「そうだ、そうだ、僕もそう思う」と、会話が始まった。



原田先生は「子どものことだから、おおらかに見てやれば、、、」


井上先生は「小学校だけでは、何とも言えないですよ」



空手先生は「教えるべきことはしっかりと教えておかなければ、、、」と言う。



いろいろ児童に対しての意見が続出して、話が盛り上がってきた。



教師として、児童のことを批評するのは、良いことなのかも知れない。



けれども、僕としては、児童を話題にして、話し合いをするのは、好きになれなかった。



とにかく、この日の教師間の会話は、あまり聞きたくなかった。



「責任」という言葉かあるが、


僕はどちらかというと無責任なところがある。


変なところに責任を持つところもある。


未だに自分というものがわからない。


一見他者とは違うところがある。



自己を分析しても仕方がないが、自己を理解するのは難しい。


自己を観れば、自己矛盾に陥って苦しんでしまう。



言葉にしても統一性がない。一貫性がないのである。



行動面を考えても変なところがある。


自分で自分が嫌になる時もある。


真面目なところもあるけれども、無責任なところも持っている性格なのである。





過去の偉大なる哲学者の「汝自身を知れ」という崇高な言葉があるけれども、、、自分、自分自身というものを知ることはそうは簡単にはできないとも思える。



考え込んでも仕方がないけれども、どうも自分自身というものは理解しにくいものがある。



それにしても今日の昼休みの会話はあまり面白くなかった。


子供たちをだしにして、茶化しているかのような会話である。



聞いてて耳の痛くなるような会話だった。



九月の半ば、僕はスピード違反でこの町の警察に捕まった。


学校への通勤途上に500mほどの一直線の道路がある。


その朝、僕は遅刻しそうになったので、その道路で車のアクセルを踏んでスピードを上げた。



要するにスピード探知機に引っ掛かったのである。


俗に言うネズミ取りである。


少しは焦りもあったのかも知れない。


けれどもまだまだましなほうである。


もし、事故でも起こしていたら、、、と思うと寒気がよぎってくる。



事故でも起こしたものなら大変な騒ぎになる。


通勤途上の事故というのは、教師にとって大問題である。


致命的な事件として、地教委からは忠告、訓告を受けるし、事務所関係からも厳しい処罰がくるかも知れない。


警察関係も手厳しい。


その上世間の目も厳しいものがある。


やり玉にあげられる。


結局僕は、僕は三十日ほどの免許停止を受けてしまった。



そして自転車で下宿から通うことになってしまったのである。


一般の自動車道の県道を走り、川の側の細い道を通り、急な坂道を登り、池の淵のデコボコ道を通り、苦しい毎日が続いた。



が、仕方がなかった。


がんばって自動車で通勤したのである。



この自動車通勤は、試練だ、鍛練だと思って、歯をくいしばって、がんばって学校に通勤した。


少々苦労したけれども、「若い時の苦労は買ってでもせよ」という言葉を思い出しながら通勤したのである。



他の教師から見ればさぞかし滑稽だっただろうと思える。



カマ男先生などは、冷笑して、嘲け笑うような態度を示していた。


冷ややかな目で僕を見ている視線を感じた。



女の先生方は、気の毒がって、同情してくれているような目付きをしていた。



でも僕はあまり気にせず、罰だと思って耐え抜いてこの一ヶ月を通勤した。



用務員の松田さんは「先生、くじけないで、がんばって」と毎日のように僕に励ましの声をかけてくれていた。












10月も末、組合会議があった。


教職員の団結を図るものである。


ところが僕としては、この町の組合活動には、何処か賛同することができないものを感じていた。


別に批判する気はない。


しかし、常日頃を見てみると、校長、教頭に対しては妙に気を使い、言葉遣いにも慎重を期している。


普通なら、堂々と対等に話し合えるはずである。



別に気を使う必要性はないし、ペコペコ頭を下げる必要もない。





職員会議などで反発する場面も多々見られはしたが、、日頃の学校生活に於いて、一般教職員は平身低頭な面が多分に見受けられたのである、



対立して戦う場もあったものの、その姿勢を見ると、相反する面が重なりあい、簡単には理解できなかったのである。



要は目上のひとつを立てている、とは思えたが、僕としては何処が解せないものを感じていたのである。






団結を図り、同胞意識を持ち結束するのは、それはそれでいいと思える。




別に反発する気はないが、組合活動には参加しにくいものを、感じていたのである。






昔の僕の町の小、中学校の教師集団は、校長、教頭に対しては常に対等に向き合っていた。



各先生方は、個人個人断固とした自分の考えを持っていて、自己の主張を譲らない、そんな筋骨の先生方が多かったように思う。



そんな先生方には今思えば、学ぶ点が多かったように思える。



そしてまたまた僕の私見であるけれども、組合運動を考えた場合、最大の難点として、管理職と組合との両者を成立させなければならないところに難しさがある。両者の立場というものを両立させなければならない。いつまでも平行線を辿っていたのでは解決しない。管理職もある程度の容認も必要であるし、組合もある程度の妥協はやむを得ないと思える。平行線ではうまく事が運べない。ある意味での接点が必要である。



まあそれはそれとして、この町の組合運動には、見習う部分もあるし、参考になる部分もある。討論の場もかなり見受けはした。



しかし、この組合というものに、僕は何処か解せないものを持っていた。




加入してはいたものの、ぎこちない態度でせっしていたのである。



またこの町では、少々語弊があるかも知れないが、教師になったら、教頭、校長になることが目的であるかのような雰囲気が見受けられた。


どこの町でもそうであるとは思える。


この町の教職員は、ある程度の年齢に達すると、妙に教頭職を意識し始める。当然、今までの仕事を通して、教育職を熟知してきたということは、認めるところがある。


そして、勤務に励んできたということも、わからないことはない。



何十年ほど務めてきて、自己の年齢も考えてのことであるからかも知れない。



まあ、教師であれば誰でも考えることであろうとは思える。



か、教頭職というものに対してかなりの羨望を持っているかの節が強く見受けられたのである。








またこの町では、全面的に先生は先生として扱われる。


悪までも先生は先生なのである。


そして妙に先生を評価する。


評価して話題にされるのは付き物だとは思える。


が、何事に於いてもこうせせこましく見られれば嫌になってくる。


何度も言うように世間狭いと言えばそれまでである。


この町の考え方はどうも古めかしい。


正に片田舎というところがある。



かといって進歩的なところもないことはない。


ところが大半が昔からの伝統を保守しているような気配が感じられた。



この伝統を忠実に守っていこうとする体質がかなり浸透していた。



僕としても、この町に対して、教師を見る目がきつく、きつくに対してかなり偏見的ところがあると見えていた。



少し不平に思うものを感じてしたのである。



また疑問の心も、この町に勤務した当初から抱いていたのである。



まるで教師を商品のように扱ってくる。


少し腹立たしいものも感じていた。



どうも理解できないところを感受していたのである。



第一、教育の効果というものは、目に見えないものがあり、一概に結果は見出だせない。


結果とか効果というものが目には見えてこないのである。



それをひとつひとつ、ああだ、こうた、と換算のように評価するのだからおかしいと思える。



教育の効果というものは、当初二年や三年ではわからない。



その効果は、計り知れないほどのものもある。



人間の一生にも左右して、影響を及ぼすようなものもある。


この教育効果というものは、到底結果や効果が簡単には見出だせるものではない。



それをきつく評価するのだから、教師としてはたまったものじゃない。



この町に対してはいささか反感の気持ちも抱いていた。












またある時、例の猫男先生が

「こんな時代に於いて、教育活動の遣り甲斐なんかないよ」と言い出してきた。



くも助先生も「今の時代は目標なんか持てない、日々働くだけだ」と言ってきた。



それを聞いていた山岡先生は「今の世の中は到達しようとする時点を見失っているんだよ」



また猫男先生は「世間の目は厳しいし、積極的に活動する意欲も起こってこない、見通しが立たない現在に於いて、教師としての考え方がわからないし、見つかりもしない。ましてや愛情を持って接しても変に誤解される。端的には教育活動が行えない問題も生じている。」







この言葉に続いて山岡先生が言った。



「何事に於いても、仕事をテキパキと裁いていくのは、いいのかも知れない、、、が少しの疑問をかんじる。そして、単に行事を次々とこなしていくのが、果たして効率のあがることなのだろうか、、、疑わしいところを感じる。」



また、空手先生の言い分もあった。


「学校というのは、一体何が主体となって、動いていくものなのか、管理職が主体なのか、一般教職員が主体なのか、それとも全体が主体なのか、、、考え直す必要性があるように思える。また責任の所在はどこなのか、管理職が責任を持つものなのか、教職員のひとりひとりが持つものなのか、また全体責任なのか、責任の所在というものがわからない。考え直す余地があるように思える。」


この言葉に対して山岡先生は「ファジーとか曖昧さというのは信頼性に欠けるように思える。このファジー、曖昧さというのは決定的な困惑を招いてくる。さりとて明確なものはない。」


女教師である井上先生は

「教え子という言葉があります。児童は、我が子と同じような気持ちを抱きます。また児童の姿というのは、教師自身の姿であるようにも思います。」




くも助先生は

「小学生が成長して、中、高校生、大学生と年齢が増していくに従って、どんどん僕達から、かけ離れていくところがある。成長した児童に会うと、返って児童の方が、数段上の考え方を持っているように思える。」

そんな意見も出してきた。



原田先生は

「以前に聞いたのですが、、、、児童の育成については、学校に任せてください、、、こんなことを聞いたことがあります。でも、こんなことは言えないように思います。」




水野先生は

「このような実状が働くということなのでしょうか?わたしにはよくわかりません。」




僕は、このチリチリバラバラな意見に、頭脳が混乱状態に陥ってきた。






カマ男先生などは、、我関知せず、、、というような態度で、鼻を咬みながら、鼻の先を赤くして、職員室から出ていった。











またまた山岡先生の論である。「現在の世の中は支離滅裂である、その上、情報化社会の到来で、多様化対応できない状態に陥っている、世の中がムチャクチャで、常識さえも在るようでないような社会である、何が正しいのか、何が悪いのかさえもわからない、全く持って難解不明な世の中である、この現在を生きていくには、かなりの精神力が必要とされる、種々諸々の問題を打破していかなければならない、それほど急変した社会である、最新の科学技術を覇気したコンピューターが普及して、恐ろしいほどの社会変化が見られる、このコンピューターの出現というのは、ある意味に於いて、過去のルネサンス、産業革命に次ぐ衝撃的な改革、革命だとも思える、このコンピューターでの学習を考えた場合、これからの教育は、すべてコンピューターによって解決していくのではないかと言えるものがある、すべての教科、科目に於いて活用できると思える画期的な科学の導入であると思える」




「またこの急激に変貌した現在に於いて、人々は社会の中で迷っている風情が多分に見受けられる、何事も疑いだしたらきりがないが、情報さえも疑いたくなるような社会である、このような現在の中での教育というものを考えると、いつの時代でも言われていることであるが、やはり家庭が一番根本的な教育の場であると思える、まずは家庭から出発しなければならない、ところがこの時代に於いて、両親も自信を喪失している、子どもを育てる上に於いて苦しんでいる様子が見えている、我が子の教育について、自信を持って育てていくことができない困難な状態に陥っている、少子化社会の現在ではあるが、要は自分の親の教えを自分なりに咀嚼して子どもを育てていけばいいのである、、、ところがそれさえ見失っている、とにかく難しいものを、痛感せずにはいられない、また教育には、時代を先取り、未来を見据えて、児童、生徒を育成していかなければならない要素もある、この困難な情報化社会の中に在って、教育の考え方は並大抵な観念では、対処できないものがある、社会全体に於いても、教師自身、親に於いても、再構築すべき時流が来ている感がする、またこの現在の学校現場に於いての児童に対しては、体当たりでぶつかっていかなければならないとも思える、児童に見捨てられたら教師生命もなくなってくるような気がする、嘘や誤魔化しは通用しないと思える」



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