第25話 ボクちゃん25 雑談

ボクちゃん 25

雑談



さてさてここで小休止したい。物を書くということは、これだけ気力、体力のいるものなのか、と痛切に感じた。

書いていて、肩に力が入り、ペンだこも痛くなり、正に相当な気力、体力がなければ書けないように感じた。



これほど疲れるとは思ってもみなかった。


書き始めて、どれだけの時間を費やしただろうか、、、




誠に疲れる。語り文体のせいなのか、それとも文言のせいなのか、本当に疲れる。

神経がまいってしまう。


特に視神経がやられてしまうし、酸素が欠乏して、呼吸ができないようにもなってくるのである。


過去の文豪の心労を感じた。









僕は文学の勉強をしていない。


文学というものがわかるはずもない。


全くと言っていいほど文学という学問は勉強していない。



第一僕は文学部出身ではない。


無知文盲同然である。



文学というものを知るよしもない。


それに僕は大学時代ほとんど遊び惚けていた。


勉強、学問は上の空だったのである。


文学とは程遠い縁のない生活を送っていた。



徹夜でマージャンをしたり、ボーリングやビリヤードをして遊んだり、、、



今から振り替えってみると、自分でも呆れるほど遊び惚けていたのである。



とにかくこのボクちゃんも文学とは程遠いものであると思える。


が、とにかく書いてみよう。書けるところまで書いてみよう。そう思った。


ところが、やはり疲れる、神経がすり減ってしまう。


しばらくやすませてくれ。


今日はゆっくりて休みたい。


ひとまずここでペンをおく。


二、三日ほど休ませてくれ。






ある日のことを思い出した。


教室に入ったとたんに拍手が沸き起こったのである。



理由はわからなかったが、、、



社会科の授業の時だった。



授業の最後のほうになって「わかったか」と言ったら全員「はーい」と言う。


教室が、割れんばかりの返事である。


「本当にわかったか」と念を押すと、全員が張り上げた声で「はーい」と言う。



張り裂けんばかりの音声である。



疑いたくなるような気もしなくはなかった。



けれども、僕の気分は上々になったのである。




とにかくこの町の児童は底抜けに明るい面を持っている。


この明るさは何処から来るのだろうと、考えさせられる点がある。



僕が過ごした小学校時代とは、全く異なる雰囲気と匂いである。



敢えて言うなれば明るすぎるのである。


明るいことは良いことだとは思うけれども、度が過ぎているのである。





将来何になりたいかとの問いかけもしたことがある。



「大金持ちになりたい」「保母さんになりたい」「先生になりたい」、クラス全員に聞いたけれども、それぞれ違う夢を抱いていた。



小学校四年生、幼稚なものである、と言ってしまえばそれでおしまいであるけれども、、、


誰でも幼い頃は、こんな夢を持っている、ということは言うまでもないことである、、、、







そう言えば、僕も中学時代に同じ質問をされたことがある。



僕はこの質問に対して「映画俳優になりたい」と答えたことを思い出した。



その次の日、僕の中学高の先生が、何か意味ありげな顔をして、ニヤニヤと僕の顔を眺めていた。



今から思えば恥ずかしい気がするが、、、、



僕は何でもやり始めたら止まらないところがある。


猪突猛進的なところがあって、ストップがきかないのである。


ぶっ倒れるまでやる。


ぐうの音をあげるまでやる。


悪く言えば手を抜く方法を知らないのである。


要領が悪いのである。


高校時代の運動の練習をしていた時でもそうである。


同級生、先輩達も、僕の練習風景を見て、驚いていたようである。



また僕は、大胆なところもあるし、繊細なところもある。


持論として、大胆且つ繊細、この言葉が僕の秘めたる思いだった。



とにもかくにも、この日の授業は面白いものだった。


教室全体が熱気を帯びて、室内は歓声、歓声でにぎやかになり、教室は張り切れんばかりになったのである。


それはそれとして、今ではこんな僕の気質がクラス全員に知れ渡ったの、全員服従の様相を呈していた。



だからクラスで騒がしい時は、一言浴びせるだけで児童は静かになる有り様になったのである。



小学生に対して理論立てて説得する気はもうとうなかった。




すっかり人気者になったけれども、あまり気にはしていなかった。頓着していなかった。



しかしながら、女子児童が「先生、先生」と言って近寄ってきて、「おんぶして」とか「膝に座らせて」て言われたり、男子児童に肩をもんでもらったりした時には、一種の王様にでもなったような気分がしたものである。









「郷に入らずんば郷に従え」ということわざがあるけれども、僕としてはそんなことは、全く無頓着だった。



ただ自分として悔いの残らないように仕事をいていけばよいと思っていたのである。





「理想というのはあくまでも理想であり、理想でしかあり得ない。実現するはずがない。社会、学校あらゆるところを見ても、理想は理想でしかあり得ない。現実にはあまりにも種々様々な複雑な問題があり、理想はあくまても理想なのである。いくら理想を掲げてもその実現には計り知れない労力が必要となってくる。理想的という言葉があるが、この理想的ということが最もふさわしいと思える。そしてそれを目指すことが一番いいのかも知れない。現実においては比較にならないほどのギャップがある。理想は理想として常に頭の中に描いていればそれでいいのかも知れない。しかし実現するはずがない。」とは山岡先生の弁である。









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