第24話 ボクちゃん 24 記録会
ボクちゃん 24
記録会
そして町内水泳記録会が行われる。
この町の教師集団三十人ほどで、計画と準備と進行を図る。
そして各小学校の児童の代表、二百人ほどが一斉に競い会うのである。
舞台はこの町の中央にある小学校のプールである。
背泳はなかった。
主にクロール、平泳ぎである。
放送係の教師が「一コース、何々君、二コース、誰々さん」と、オリンピックが顔負けするような放送を、ウグイス嬢の如く呼び上げる。
子ども達は、七、八コースを懸命に泳ぐのである。
優秀なタイムを出した児童には、記録賞としてメダルが手渡される。
今まで練習してきて、真っ黒に日焼けした五、六年生男女が、プールサイドにズラリと並んでいる。
応援も各人各様で、学校ごとによって違う声が乱れとんでくる。
自校の児童が勝てば、当然応援の声も高くなってくる。
ワイのワイの、ワーのキャーの、またまた大騒ぎである。
お祭りのような賑わいである。
熱い熱い太陽光が、プール全体に照りつけて、児童の黒い肌に熱線が当てられている。
プールは熱気を帯びて、褐色がますます増してくる。
火のような熱しゃ線が、全員に何かを示唆しているかのようである。
どうもこの町は、行事が好きらしい。
何かにつけて大会、お祭りが大好きなのである。
お祭りが好きということは、悪いことではないけれども、、、
毎日のように次々と行われるスケジュールは、本当にお祭りさながらである。
何々君何秒よ!がんばれ!もっと腕を速く!
とプールサイドからの教師の声が高くなる。
最後には学校医対抗リレーがある。
児童の声援、応援の声が益々高くなり、応援合戦も倍増してくる。
教師の声、児童の声、とにかく声、拍手、声、拍手が沸き起こり、プールとプールサイドは、熱気、熱しで満ち溢れた。
うだるような暑さの下、太陽の光線を浴びながら、次々とプログラムが消化されていく。
そして、閉会式に移った。
閉会の挨拶が代表校長から告げれる。
もちろん講評もある。
児童の姿は、もはや六年生にもなると、体格も立派になっている。
日焼けした肌には、何か大人めいたものさえ感じられる。
こうして、町内水泳記録会も終わりを告げた。
次の日、職員室で、水泳についての論議が起こった。
くも助先生は「いくら速く泳げてもだめだ、長い距離を泳がなければ意味合いがない」
猫男先生は「プールで泳げても、実際に海で泳げないのでは話にならないよ」と言う。
また原田先生は「小学生の頃ぐらいは、水に親しむ程度でいいんじゃない」と言う。
事務の岡田先生は「要は泳ぐことさえできればそれでよい」と、投げやりな口を挟んできた。
山岡先生は、側でニコニコしながら聞いていた。
そして「水泳とは人生のようなものだ」と、決めつけるように言ってきた。
僕は意味がよくわからなかった。
「どういうことですか?」と尋ねたら、、、
「要は息継ぎだよ」と、意味ありげな回答をしてきた。
まだまだよく意味がわからなかったので、「どういう意味ですか」と尋ねたら
「息継ぎをしなければ生きていけない」と言って、独自の見解を打ち出した。
「ふーん」と思って少し考えた。
しかしまだまだこの意味がよくわからなかった。
人生は囲碁のようなものだ、、マラソンのようなものだ、、とは聞いたことがあるが、、、、
教頭の谷先生は、何故か無言のままだった。
おそらく、水泳に関しての興味、関心が乏しいのでは、、、と推察していた。
何故か、どうしてか知らないが、自分の考えを出してこなかったのである。
もう少し憶測すれば、自己主張するのを押さえて、意見を出してこなかったのではないか、とも思えた。
様々な意見が出たけれども、、
僕はなるほど、なるほどと、うなずくばかりだった。
幼少の頃を振り替えってみると、確かに学校から海に泳ぎに行っていた。
海での競技会のようなものもあった。
そんなことが思い出として残っていた。
また僕としては、水泳というスポーツは、端的に言って、全身運動だと思っていた。
しかし確信の持てる僕の意見はなかった。
ただ、昔の風景として、遠浅の海の砂浜で二百人ほどが列を組み、準備体操をして競泳をして、といった情景が鮮明に浮かんでくるだけだったのである。
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