第22話 ボクちゃん 22 懇談
ボクちゃん 22
懇談
和室の真ん中には、ひとつの柱時計が顔を見せて、その針が刻々と過ぎていく時間を表示している。
山岡先生は、「さもありなん」との風格で、堂々と互角に対応している。
その山岡先生はこう言った。
「昔は、地域の父兄、周りの人々が子ども達を温かく見守ってくれていた。子ども達は、何の危機感も持たず無防備で遊びに没頭していた。そんな日々生活の中で、遊びを通して心も身体も成長していったのである。現在では、環境があまりにも悪いため、同僚、友達との交流の仕方、方法を知らない。それとともに、よい施設、公園等のリクレーションはの場がない。心の栄養となる遊びを知らないのである。」
教頭の司会で始まり、懇談は最後のまとめの段階に達した。
教頭の谷先生などは、如何にも業績をあげたのは、自分の采配だ、と言わんばかりである。
その教頭が最後に「教育実践には、教職員間の共通理解、意志の疎通、担任教師との連携、これらのことが重要であります。この連携を基盤として、日々の活動を推進していかなければならないと思います。また、いつの時代でも言われているように、地域社会、家庭、学校との連携が大切であります。このことが基本的主旨だと思います。通説ではありますが、この三者が一体となって教育活動を推進していかなければなりません。地域のバックアップの必要性を感じます。今後とも何卒よろしくご協力の程、お願いいたします。ご理解のうえ、ご協力をよろしくお願いいたします。」
と、立て板に水が流れるが如く論述して締めくくった。
それはまあそうだ、思いながら聞いていた。
教頭としての言論は、なるほどと、納得するところも、あったことはあったのである。
ところがこの理想的な方針を実現することは、並大抵ではてきない、とまたまた反逆的か思いが出た。
悪く取れば形式的な提示だとも思えた。
まるで学問書に書かれた論文を読んでいるかのようである。
最後の最後に校長が、等々と論述した。
「現在の教育活動に於いて、教育の理想を追い求める姿勢はいいが、現実と理想のギャップはそう簡単には解明できない。
あまり深く考える必要ばないが、現在に於いて、教育活動を推進していくには難しい問題があまりにも多い。そう簡単には推し進めていけないものがある。その遂行には苦しいものもある。優柔不断な現況に於いて、教育活動さえ実践していけばそれでいい。そのことが児童の為になってくる。仕事に専務して、与えられた任務を遂行さえしていけばそれでいい。教育に対しての情熱、指導力、指導方法、あらゆる点について決めつけられないものがある。極端に言えば、自分に課せられた職務を果たせばそれでいい。この現在の状況に於いては、今までの教育理論では適応できないような時代に来ているとも思える。過酷な現況に於いて、全員の協力、協調が必要であろう。」
僕は今までの僕の目を疑った。
ここで僕はこの校長を見直した。
校長としての手腕もあるのかと思った。
そして懇談は終わった。
この日、僕は少し眠れなかった。
今日の懇談会が頭から離れなかった。
少し考え込んでしまって、頭が痛くなった。
確かに今日、山岡先生が言ったように、一昔前は、地域社会と大人達が児童を見守ってくれていた。
だから、子ども達は何の不安もなく生活していた。
安心して遊びに夢中になっていた。
ところが現在では、不安感、不信感を抱いている。
自信を喪失して、毎日の生活が平穏に過ごせないようにも見えている。
苦しくて、迷っている姿も見受けられる。
こんな状況の中で、どのような教育活動を行って行けばいいのか、わからなくなってしまった。
こんなことが脳裏をよぎってきたのである。
僕は正直言って子どもが大好きだった。
純粋無垢な子ども達を見ていると本当に楽しくなってくる。
ましと会話などしてみると、ますます楽しい気持ちになってくる。
特に、低、中学年児童は見ているだけでも可愛い。
そのあどけなさにも益々可愛らしさが増加してくる。
教師になったのも、子供が好きなこと、子供が可愛いこと、そんなことも理由のひとつである。
「教師になる人は子供が好き、このことが一番の資質である」とはよく聞く言葉である。
子供が好きなこと、このことは重大な資質であると思える。
僕にもそんな内面があったのかも知れない。
しかしながら、小学生と言えども、この町の児童は、メンタルな心情を各児童個人個人が持っている。
特に女の子は、乙女チックなところがあり、繊細な心を持っている。
荒っぽい言葉を出したら、戸惑うところがある。
少し乱暴な言葉を出せば、直ちに気分的を害するのである。
男の子にしても、細やかな心を持っている。
だから児童の扱い方には気を付けなければならないところがある。
もともと僕は、子どもはあくまでも子どもだ、子どもでしかあり得ない、だから全面的に子どもとして対応していた。
が、徐々に児童の心がわかってきた。
男の子にしても、女の子にしても微妙な心を持っている。
予想以上に心というものを持っていたのである。
そのくせ、冗談には驚くほどよく笑う。
よく笑うし、よく泣く。
喜怒哀楽の激しい面も多分に見られた。
そんなことから、児童の気持ちというものを、しっかりと見つめていなければ、、、と思ってきたのである。
それとともに、この町独特の漂いを感じた。
僕の生まれた町では、小、中、高校と年齢が重なっていくことによって、悪の要素をまなび、人間が悪くなっていくようなところが見受けられた。
教育の作用がうまく働いていないところがあったように思える。
ところがこの町では、今まで過ごしてきてわかってきたことである。
小学校低学年の頃から「躾」ということも重要視されていたのである。
この「躾」ということを各教師、考えていたようである。
もちろん学習面も真剣に取り組むように各先生方は対処している。
そんなせいなのか、僕の生まれた町とは違って、逆に小、中、高校と成長していくことにより、見違えるほど賢くなってくるような感覚が見受けられた。
だからある意味に於いて「教育によって人となる」という言葉が生かされている雰囲気がこの町に定着されているようにも思えたのである。
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