第21話 ボクちゃん 21 教育委員
ボクちゃん 21
教育委員
そんな時、教育委員の学校視察があった。
事前に僕は教育書を開いてみて調べようと思った。
そして教育関係の書物を紐解いてみた。
表現力、理解力、知識力、判断力、思考力、創造力、実戦力、読解力、許容力、忍耐力、精神力、仲間意識、連帯感、協調性、気力、信頼感、向上心、人格陶治、心の育成、性格形成、等々、読みはじめてみれば、切りがないほど次々と、人間の能力、力が書かれてある。
人間の各能力が列挙、羅列、網羅されているのである。
その上、専門指導文書などを読めば、何度読んでも難しい文章ばかりである。
容易に解釈できない内容はわかりである。
極端に言えば、意味不明なことはばかりだとも言えないこともない。
第一大学時代もそうだった。専門書というのは実に難しい。
そうは簡単には頭に入ってこない。
眠気がさすほど難解である。
そんな本を読むぐらいなら、テレビのニュース番組でも見た方が、実際の生活に役立つようにも思えた。
前日そんな風に感じた。がまあとにかく各教育委員先生の話を聞いてみよう、、、何か為になる教えがあるのでは、、、
そう思って談会に望んだ。
学校のかすみみにある小さな和室である。
各教育委員の背後には、床の間があり、そこには花の名前は知らないが、一輪の花が飾られている。
床の間の壁面には、大きな文字で書かれた座右の銘の掛け軸も見えている。
各委員の先生、学校の先生がそれぞれ対面するように、向かい合っている。
全員座布団に座り談会の始まるのを待っていた。
そして懇談が始まった。
在り来たりの自己紹介をして、話は進んでいった。
僕は暫く黙って聞いていた。
代表の教育委員は、授業技術方法を、あれやこれやと変に批評して話し立てている。
各先生の授業を分析して、変に批判する。
ところが話の内容がさっぱりわからない。
要点が定まらないのである。
おそらく、授業を参観して、感想としての名目を並べているのだろう。
授業形態とか、指導方とかの特徴を述べているのだろう。
が、容赦なくこき下ろしてくるかのようである。
何もあれこれと説明するだけが能じゃない。
もっと労り、ねぎらいの言葉が欲しいものだ。
そんなことを思いながら座って黙って聞いていた。
それを妙にくどくどと、、何々先生の授業はああだ、何々先生の授業はこうだ、と解説する。
口角泡を飛ばすかの如くである。
なかには納得のいく内容もあったことはあった。が、あまりにも弁が立ちすぎる。
ズラズラズラと、句読点がないように弁が立つ。
何十年もの委員生活から得た見解だったのだろうか、、、
とにかく論じる、論じて論じて論じきる。
しかし要点が絞りきれない。
一体何が言いたいのか、と言い返したくなってくる。
気に入った言葉と言えば、、気力が大切、、、人生は繰り返しの連続で、子どもの反復練習のようなものである、、、この二つの言葉が印象に退こっだけである。
頭もツルッピカに禿げて、聞いていればなおさらのこと、この頭が光出す。
まるで光線を当ててくるかのように光を放っている。
他の教育委員も教育委員である。
現場の状態を知っているのか、いないのか、、、よくわからないけど、、、あれはどうのこうの、、、これはどうのこうの、、、と話している。
おそらく現場の諸々の諸事情は、わかっていないと推察した。
また僕から見れば、年配の年老いたおじいさん連中である。
正面から顔を合わすことができないほど年老いている。
何もかも知り尽くしたような顔をした教育委員もいる。
この教育委員は、授業形態が悪いとか、口調にもう少し気を付けろ、、、とわけのわからぬことばかり、あれこれと、入れ歯がハズレそうな口で話している。
白髪だらけで老眼鏡をかけた委員もいる。
この委員は、懇談の途中、少しの静寂が流れた時こう言った。
「わしの眼鏡はないか、誰かわしの眼鏡を知らんかね」
すると側にいた他の委員が言った。
「先生、あなたは今老眼鏡をかけていますよ」
僕からしてみれば、相当呆けているのではないかとも思えた。
よっぽど目が悪いのかとも思えた。
そして、その顔面も、実にバカげた面をしている。
ま髭だけが濃くて、そのま髭をピクピクさせながら話す委員もいる。
この委員は「誉めること、これが一番だ、まず誉める、そして叱る、誉める時には誉めて、叱る時には叱る、この使い方で児童は成長していく」
と、まるで何もかもを知り尽くしているように話している。
僕としては、まるで茶番劇を見ているかのように見えてきた。
「各担任教師が創意工夫をこらした授業が転回されていた。子どもにとって為になる授業だった」ていう教育委員もいることはいた。
が言うなれば、僕からしてみれば、得体の知れない人物ばかりである。
まあ、ここは年の功に免じてと、聞き流すだけのことにして、時間の経過を待っていた。
が、現場で働いている教師の仕事の内容がわかっているのか、どれだけの辛苦を舐めながら仕事をしているのか、わかっているのか、、、と言いたくなってくる。
僕としては、現場で働いている教師が一番大変だ、と思っていたのである。
学校の先生方は、やはり色々と気を使っているのか、それぞれ私はこうしている、僕はこのように接している。
こんなことを目指している。
こんな目標を立てて望んでいる。
またこんなところに力を入れている。
と、如何にも、ご機嫌をとるような発言ばかりである。
悪く言えば、顔色を見ているようでもある。
そして如何にも自分を売り込んでいる意見発表にとれる、と推察される。
くも助野郎などは、妙にしゃしゃり出て一人前のことを言っている。
「学級経営を行うには、学級の目標を掲げて、児童の成長過程、発達段階、児童の心情、心理、性格の把握、児童との人間関係、信頼関係、これらのことを考えながら教育活動を展開していけば、各活動がスムースに進行するのではないかと思います、この日々の取り組みにより確実に学級運営が成立すると思います、また授業に於いても意図的な学習を通して、教師の掲げた教育目標に到達していくのではないかと思います、まずは実践です、理論は後からついてくると思います。」云々である。
それはそうかも知れないが、少しでしゃばってはいないかい、その上標準語を使って話をして、、、
そんなに気取る必要はないんじゃないかい、、、
僕はそう思いながら聞いていた。
よい目で見られたいと思っている教師などは、側から見ていても滑稽なほど自分を主張する。
カマ男などは、誇らしげな鼻をして、如何にも僕は教育活動に貢献している、というような顔つきで隣席している。
原田先生は「あくまでも、児童中心主義で専念しなければならないと思います、また授業に於いても教師主体の授業はあまり好ましくないと思います」と、意見を述べている。
空手先生は「要は児童の実態を掴むことが大切では、、、」と、ぼそぼそと場を濁すように言っている。
室内は、全職員と教育委員が席につき、緊張感が漂っていた。
僕は早く終わらないかと焦れったく感じていた。
また辛抱しなければ、と思いながら席についていた。
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