第15話 ボクちゃん 15 家庭訪問 研究会

ボクちゃん 15

家庭訪問 研究会





そして、家庭訪問の時期となる。


各家庭の訪問時間について、職員会議で話し合いを持って、お互いに、意見交換をしながら検討する。


何時から何時までは、何々君、次は何々さん、というように、時間計画を練るのてある。




スムースに事が進行するように、合理的に時間配分を考える。


兄弟が、学校に来ている児童は、担任の教師同士との相互意見で合意する。




僕は、三十五、六人の学級だったので、ほぼ一週間程の計画を立てた。



他の教師とも、話し合いを持ち、順序を譲り合って、訪問の日程の順序を組み立てた。




それから、各家庭の訪問である。


誰もが周知の如く、訪問先では、母親が玄関の板間に座って、教師の来るのを待っている。


僕の母親のことを回顧してしまった。


僕の母親は、他の部屋に雑物を押し込んで、玄関だけを綺麗に掃除して、教師の出番を待っていた。



そんなことを思い出して、ふと、笑みが溢れた。






そして、各家庭を訪問するたびに、コーヒーやら、ジュースやら、お茶やらが出てくる。


それらを飲まないわけにはいかない。



一軒一軒いくたびに、腹が水分でダブダブになる。


最後のほうになると、ゲップが出てくる程である。








当然、僕の子どもの頃同様、玄関のすぐ後ろでは、児童が聞き耳を立てて、臥間の影に潜んでいる。


誰しもが経験してきたことである。


母親達は、極端に言えば、何の意味もないことを、ペラペラ話すすだけで、、、聞いていたら切りがない。


「時間がきましたので、、、」と、切り上げた。



この時ぞ、とばかりに捲し立ててくる母親もいた。



聞いていて、何を言いたいのか、さっぱりわからない。



ストレス社会の現在で、何か不満でもあるかのように思える。



ストレス解消を図っているのだろうか、、、僕を捌け口にして、発散しているかの如くである。



ペラペラペラとまくし立ててくる。


僕に対して欲求不満でもあるのだろうか、、、




我が子の成績などそっちのけである。



とにかく、母親達は、よくしゃべる。ペラペラペラペラ、魚のベラの口かのような口をして、口を回転させる。







聞いている僕としては、息が切れてくる。


各家庭の外にでるたびに、ビーピー、ハーハー、呼吸しなければならなかった。





だいたい、女の人というのは、男の人とは、脳の構造が違うところがある、と、僕は思う。


真偽のほどは知らないが、男性は、単細胞で、とにかく単純なところがある。



理性という人間の本質?があるけれども、この理性というのは、男性の特権のように思える。





男にとって、たったひとつの長所だと思える。


女の人は、何処か複雑なところがある。


繊細なところがあって、男としては理解し難いところがある。



その話を聞いていると、その解釈に苦しむところがある。



真剣に集中して聞いていると、言葉が入り乱れて何を話しているのか、さっぱりわからないところがある。



主語が、出てきたり、主語が消えたり、述語が現れたり、述語が無くなったり、動詞、名詞が出没して、その言葉にはついていけないのである。



黙って聞いていれば、なおさらのこと、皆目持ってわからない。


全く頭が混乱してしまって、脳がパニック状態に陥ってしまうのである。




女の人が知識というものを身に付けると、語彙が豊富になり、歯止めが効かないように思える。



その、理解力、記憶力、蓄積力、含有力には、ものすごささえ見受けられる。



弁の立つ女の人の論法にかかれば、男というのは全く参ってしまう。



ところが、女の人が理知的に話すということは、誠に失礼であるが、簡単にはいかないように思える。



なかなか容易には、的を絞って話せないように思えるのである。


男の人とは、何処か違う脳で話をしている感じがする。




この母親も、何を思って話をしているのか、僕にはさっぱりわからなかった。


とにかく言葉が飛んでくる。


どこからそんな言葉が出てくるのか、、、理解し難いものがある。



女の人というのは、話でもしなければ、生きていけないのだろうか、と僕は疑心を抱いた。



とにかく、よくしゃべる、



最後の方の家に来て、母親の話を黙って聞いていた。


変に馴れ馴れしくなってくるのである。


少し疲れたので、切り上げようとして、「この辺で、、」と言うと、「先生、つかれたのですか?」と聞いてきた。


僕は正直に「少し、、」と言うと、この母親は「先生みたいな人、大好き!」である。



この言葉には、ドッと疲れが増した。


またある母親は、論議するように色々なことを話しかけてきた。


延々と十分くわらい、息もつかないような早口で、語りかけてきた。



最後のほうまで黙って聞いていたが、少し問いかけてみようと思って「先ほどのことは、どういうことですか?」と聞くと「え、何を話したか、わかりません」である。




この答弁には「ん!」と一瞬びっくりした。







中にはこんな母親ばかりでなく、ザックバランな母親もいた。




「うちの子は、あまり勉強できないから先生、もうここで」と言って路上で言葉を交わし、立ち話だけで終わった母親もいた。


そういった気さくで、大雑把で、ザッとした母親もいたのである。



が、とにかく母親達の弁の立つのには不思議に思えた。



まあ一応、こんな具合で家庭訪問も終わった。




そして次の日、僕は研究会に行くように命じられた。



会場は近辺の街である。


この研究会どういうのは、午前中は各先生方の研究発表、午後は講演と、日程が、定められていた。



僕は、勉強になるのではないか、と期待しつつ会場へと足を運んだ。



午前中、三、四人の先生方の発表が為された。



最初は女性、次は男性の先生と、お膳立てが組まれていた。


僕は何か、参考になるのではないか、発表を聞いていた。



聞いていて気づいたことがある。



女性の先生のほうが口論がしっかりしていて、聞いていて相槌を打たされるものがあり、理解しやすかったのである。







男性の先生の研究発表は、ほとんど理解することができなかった。



女性の先生の話術の方がなめらかで、流動的で、わかりやすかったのである。


男性の先生は、所々で「あー」とか「んー」とか「えー」とかの接続詞が多くてわからなかったのである。




男性の先生は、何を論じたいんだ、と言いたいほど話の中味がわからないのである。



何を言わんとしているのか、聞けば聞くほど、話の内容が、わからないのである。



意見発表、論文発表は、僕の今までの経験として、男性の方が論理的で、わかりやすい論評が多いと思っていた。



ところが、この研究会では違っていた。


女性の先生の説論の方がすんなりと耳に入ってきた。



女性の生活の解説がすぐれているのかとも思った。



語り音とともに言葉がスーと耳に入ってくるのである。



今までの見方が間違っていたのかも知れない。


そこで、今までの僕の観念を排除しなければはならない、と思った。



そ、研究発表会を観察して、どちらの先生が男性的で、どちらが女性的なのか、わからなくなってしまったのである。




ともすれば、女性の先生の方が、弁論が勝っている、とも思えた。







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