第14話 ボクちゃん 14 雑談

ボクちゃん 14

雑談





少年野球もある。



放課後には、高学年の児童が、毎日運動場のマインドで練習している。



僕もその指導に加わることになった。



僕の独断と偏見であるが、、、、敢えて言わせてもらえば、、、



もともと、野球というスポーツは、男性のスポーツとしては、理想的なスポーツだと思える。


こんなことを言えば、語弊があるかも知れないが、、、、



もちろん、他のスポーツも悪くない。


サッカーにしても、テニスにしても、バスケットボールにしても、、、、経験に価するスポーツである。


とにかくおもしろい。


その中でも、野球というスポーツは、個人プレーあり、チームプレーあり、連携プレーあり、総合的なプレーもある。色々なプレーがおもしろい。


また、ピッチングの妙味、深さ、味わいもある。



ピッチャーとの駆け引き、やり取りが面白い。



バッティングについても面白味がある。



バッティングには、バッティングセンスが加わってくる。



僭越ながら、呼び込むことが、ひとつのコツだと思える。





この野球というスポーツは、状況変化もあり、局面が変わり、色々な面で面白いスポーツだと思える。


場面、局面の変化には、それ相応の判断力が必要で、その対応にも相当な頭の切り替えが必要だと思える。





また、スポーツを心得た人は、スポーツマンシップというものを持っている。



礼儀、作法を心得て、生きていく上に於いて、重要な心構え、有意義な精神を持っていると思える。




僕は、学生時代、野球部には入っていなかったが、多少のプレーはできる。




バッティングピッチャーぐらいはできるだろうと思って、時々練習に参加していた。




ノックも面白い。ノックをしながら、活を飛ばして指導する時は、一種の監督にでもなったような気がする。


まあそれらは、それらとして、、、。




当然バレーボール同様、年に何回かの大会がある。







ところで、バレーボールにしても、野球にしても、僕の生まれた地域では、社会体育と学校体育を切り離して対応している。




ところが、この地域では、学校、地域がともになって指導していく、という面が見られたのである。



児童の育成を両者から、見守っていく、という方針があったのであろう、と思われる。





バレーボールについては、指導者がいなかったので、僕ひとりが児童に当たった。



野球については、地域の有識者と協力しあって対処していた。



少し解せないところもないことはなかったが、、、野球指導にも、僕は時々参加した。



そね野球の練習風景を見ると、たかが少年野球、されど少年野球、といった力の入れようである。


その大会には、バレーボール同様、児童共々父兄同伴で、会場に足を運んでいくのである。



父親、母親、地域の人々、、、その応援ぶりを見ると、プロ野球の観戦でもしているかのようである。



ワーとか、キャーとか、その悲鳴にも似た声援には、驚くものがある。


考えられないほどの熱狂ぶりである。










小学校三、四年生の児童は、実にかわいい。

抱きしめたくなるようなかわいさがある。



児童のあどけない、無邪気な仕草を見ていると、一種の安堵を覚える。ホッとするものがある。


授業を通しても、活発な意見が続出して、面白さがある。


しかしながら、子どもと言っても、女の子などは、乙女心を持っていて、繊細なところもある。


僕は少し大胆なところがあるので、児童に対しては、今から振り返れば、随分失礼な言動があったと思う。


が、とにかく、いっしょになってよく遊んだ。




かくれんぼをしたり、鬼ごっこをしたり、追いかけっこをしたり、ドッジボールをしたり、その他、色々ゲームを調べてきて、実によく遊んだ。子どもは遊びの中で成長する、と、聞いたことがある、、、遊びがなければ、進展しない、とも聞いたことがある。


とにかくよく遊んだ。特に中学年は、遊びの大好きな学年である。そんな子ども達を相手に、今、考えてみても恥ずかしいほどよく遊んだ。







ところが、腹のたつこともある。

授業中に板書していたら、「先生、見えへん、どいて」である。



昔の先生なら、即拳骨一発だ。


昔なら、授業中、おしゃべりでもしようものなら、怒りの声が出てくる。チョークが飛んできたり、廊下に立たされたりしたものである。




最近の児童は、休み時間でも、昼休みでも、平気の平座で職員室へ入ってくる。


僕の子どもの頃は、職員室に入るのには、怖さと、恥ずかしさと、緊張感を感じていたものである。


極端に言えば、現在の児童は教師と全く対等のように接してくる。まるで友達のような感覚を持っているところがある。


何とも思わず近寄ってくる。

教師の怖さを知らない。




僕の幼少の頃とは、随分変わったものである。



何とも思わず、同僚の如くである。


無視したりしてくる児童もいる。



かわいいことは、かわいいけわれども、腹の立つこともある。


しかしながら、体罰禁止である。

殴ろうものなら、父兄と世間の目が許してくれない。


非難の的になり、即糾弾される。


例のペコペコ校長からも、約約暴力はダメだと、注意を受けている。


誠に仕事がしにくい。



現在の子ども達は、全くと言っていいほど、何も知らない。


そういう僕もかなり無知なところがある。が、、、、



筋とか道理とか、常識とか、道徳心とか、ほとんど何も知らないのである。



テレビのマンガだけを見て、生活しているようにも見受けられる。


言うことは、一人前だが、その言うことが、どういうことなのか、そのことに何の意味があるのか、よくわかっていないのである。


まともに聞いていれば、驚くような発言もある。


ところが、実態は、やはり児童は児童である。



そのくせ、必要以上に余計なことを知っている。




誠にやりづらい。








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