第13話 ボクちゃん 13 バレーボールの試合

ボクちゃん13

バレーボールの試合





バレーボールの試合の日が来た。


六チームほどの対戦である。


九人制のバレーボールである。


本来ならば、六人制である。



ところが、何故か九人制が普及していた。


おそらく、身長の低い子ども達も参加させるように、配慮しているのだろう、と思えた。


(二、三年後に六人制に移行することになるが、、、、、)




とにかく、九人制のバレーボールである。





一試合目が始まった。あっという間に十点取られた。


子ども達は「ナイスサーブ一点。サーブカット、来い、来い」と、必死に声を出してがんばっている。


一点一点緊張の連続である。


だがしかし、サーブが入らない。二本のサーブとも失敗するのである。




練習していた当初から思っていたことである。


どうもこの町の女の子はサーブが身に付かない。


いくらフォームを教えても、見本を見せても一向にうまくならない。


ネットさえ越えないサーブばかりである。



第一、指導していた当初から気づいていたが、この町の女の子は、キャッチボールができないのである。


球技に於いては、キャッチボールが基本的な運動、と、僕は思っている。そのキャッチボールが全然できないのである。




あっさり二十一点取られて、こちらの得点は七点だった。




二試合目、相手もそうレベルが高そうではない。


特に、ブロック練習を強化して指導した甲斐があったのか、功を奏して、ブロックで五得点が取れた。


しかし、あっという間に逆転されてしまった。


またもや、敗ぱいである。






とにかく、相手チームは、体育館で三、四人の指導者が係わってのチームである。


こちらは僕ひとりでのチームである。


勝敗は、明らかに戦う前からわかっていた。




少女バレーボールは、試合前の練習風景を見れば、そのチームのおおよそのレベルがわかってくるところがある。


そんなところがある。




が、子ども達には、相手チームのレベルのことは言わなかった。



何故ならば、志気に影響をあたえるからである。


またひとつの結論として、どんなスポーツでも、練習を繰り返して、身体で覚えることか必須である。


理屈立てても、理論立てても、あまり指導の効果は上がらないと思える。



原則として、身体で覚えることか要点だと思える。


先を越しているけれども、僕は、こんなことを内部に隠し持っていた、のであるが、、、







試合場は、この地域の中心部にある学校の体育館である。


二面のコートで試合が行われる。


二階のベランダには、児童、母親、各関係者が立ち並び、人一人入れる隙間もないほどの参列である。



何々っ子、何々っ子、と書かれた応援旗も、色鮮やかに壁面に貼り付けられている。



館内は、子どもの声、応援の声、父兄の声援、歓声がものすごく鳴り響いている。



会場内は、どよめくばかりの声、声、声、「がんばれ、しっかり、もう一点」などと、館内は、ワールドカップさながらである。



バレーボールは、一喜一憂、喜怒哀楽とも言われているが、、、館内は、ベンチ、選手、応援団、で、、、



体育館内は、怒濤のごとくの風景である。



恰も、テレビにでも出てくるかのような情景で、迫力に満ちた大騒ぎなのである。



試合が終わると、子ども達は、勝っては泣き、負けては泣き、、、とにかく体育館内は、声、声、声で鳴り響いていた。



全試合が終了して幕が降りた。


残念、無念の子ども達を連れて学校へ戻った。


中にはがっくり項垂れた補欠の児童もいた。


けれども帰りの足取りはみんな軽いものだった。



「また、明日から練習だ」子ども達に、そう伝えた。





翌日、有り難いことに、ひとりの母親から電話があった。


「先生、ごくろうさまでした、先生の心中は察しています、これからも頑張ってください」


僕は安堵の心を覚えた。





次の日、ペコペコ校長が言った。「ごくろうさん」


何を言いやがる、こんな条件でどうして勝てるか、、、心の中で、そんな憤りを感じていた。







ところが、暫くして、僕の耳にこんなことが入ってきたのである。




佐々木先生のバレーボールはすごい、試合には負けているが、勝負には勝っている、と、、、




これは、この地域のバレーボール関係の有識者の言葉である。




試合に負けても、勝負には勝つ、、、これは、ひとつの手段だった。



相手チームは、試合に勝ったとは思っても、何故か喜びが沸かず、達成感を抱くことができない。


勝利の味わいが持てないとのことだった。



我がチームは、いつも「がんばった」という気持ちが沸いて、心地良い汗を流している。


子ども達も充実感を味わい、楽しさも感じている。







こんなことが、僕の耳に流れてきたのである。





有り難くて、嬉しい気持ちを受領した。





この、試合に負けても勝負には勝つ、、このことは、ひとつの勝敗に対しての戦法だったのかも知れない。




このごとに関して、オーバーに言えば、「佐々木マジック」とも囁かれた。



だが、最近になって、この頃とは違って、僕の考え方は変わってしまっている。





スポーツの試合については、なんといっても、勝たなければならない。



試合にも勝つし、勝負にも勝つ、、、これがスポーツの試合の鉄則である、、、こんな考え方になっている。







しかしながら、後で聞いたことである。


山岡先生から言わせると、「策士、策に溺れる」とか「無策の策」とか「敵を知り、己を知らば、百戦危うからず」とか「攻撃は最大の防御なり」という様々な諺があるが、何事に於いても、この、試合の勝敗というものは、「心、技、体」の一致により、究極の極意として「戦わずして勝つ」「無手勝流」このことが極限に於ける至上の極みであり真髄である、、、、、とのことだった。




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