第10話 ボクちゃん 10 授業 参観日

ボクちゃん 10

授業 参観日



次の日、僕の方から「山岡先生、一度授業を見せてください」と、教授を願い出た。



山岡先生は、自信たっぷりに「来たまえ」と、豪語した。




教室へ入っていくと、三十五人ほどの児童が、決心に山岡先生の話に聞き入っている。


僕は後ろの席について、見たり聞いたりしていた。


が、ふと視線を変えて見ると、教室の片隅の教師の机上に、灰皿が置いてある。


一瞬、ビックリ仰天してしまった。


教室で煙草を吸ってもいいのか、、、懸念を抱いた。


普通では、考えられないことである。


山岡先生の机上に灰皿がある。


しかも吸殻が七、八本入っている。


さすがに驚いた。




そして、要は、やはり昔からのふるい分け体質が残っているのだろう、と思えた。



しかしながら、この常識を覆した有り様には、驚きの色を隠せないものがあった。






授業は、誠にすばらしい。


山岡先生の意気込みにも、気迫が感じられる。


児童も楽しく、面白く取り組んでいる。


山岡先生の論述もすばらしい。


その内容には、すごさが感じられ、ひとつひとつ、わかりやすく丁寧だった。




理科の授業だった。

アルカリ性、酸性、リトマス紙などについてである。


「これはこうだ、この方はこうだ、こうして、こうなって、こうなるのだ」と断言する。



確かに説得力もあり、迫力もある。




また、常日頃からクラスを鍛えていたのか、授業の山場になると、児童も集中して聞き入っている。


教室の後ろで見ていても、児童が授業に食らいついている。


教室全体に集中した空気が流れていた。



なるほど、こういう風にすればいいのか、、、

よい勉強になった、、、

と、内心つぶやいた。









そうこうしているうちに、最初の参観日がやって来た。


僕は四年生の担任である。


この土地柄では、新任の先生が来ると、母親達がこぞって見物に来る、というところがある。


何処の土地柄でも、そうだとは思う。

が、特にこの町では、その傾向が強かった。




教室の後ろには、横一線に母親達が立ち並んで、顔を揃えている。


窓が開かれた、教室の外の廊下にも、母親達の顔が浮かび上がっている。


いとも珍しげにした母親達の顔つきが、四方八方に交差している。


我が子を見るやら、僕を見るやら、隣の母親とひそひそ話をするやら、、、



その仕草と、勉強している児童の眼差しから、熱気じみた空気が漂った。


教室内は、熱くなって、室温が高くなった。




「先生、カッコいいネクタイを締めてきてよ、、、背広着てきてよ」と前日に、子ども達に言われていた。


そんなに意識はしていなかった。


だが、一応、スーツを来着て、ワインレッドのネクタイを締めていった。



チャイムの合図で授業が始まった。

母親達の視線が僕に集中して、さすがに僕も上がりぎみになった。


緊張感も感じていた。


授業の題材は、国語の物語である。


授業に於いて、導入、展開、整理とは基本的な授業構成の考え方である。



スムースに展開に入った。が、途中ひとりの自動車道が質問してきた。


「先生、この男の子、この女の子を好きとちがうんか?」


この突然の質問に対して「沿うかも知れないなあ」という言葉が、喉の先まで出ていた。


ところが言葉に出そうか、出すまいか、迷ってしまった。

また、この児童はかなり曰く付きの児童だったのである。


特別目立った異色な要素を持っ児童だったのである。


瞬時に判断して、教育的に良くないと思った。


そして、この言葉を控えたのである。


習うより慣れろというけれども、慣れていなかったせいか、、、何故か真面目に考えてしまって、この一言を消してしまったのである。



人間の一生に於いて、一言で人生が変わることがある、、、そんなことを聞いていたが、、、正しくその通りである。


言うと言わぬは、紙一重である。



このそうかも知しれないなあ、という言葉が出なかったため、教室は、急にいやなムードが流れた。


僕は、少し戸惑いながら、「人間、みんなかんがえることが、ちがうんだ」という言葉を残して、授業は終わった。






「そうかも知れないなあ」もしこの一言が出ていたら、教室中、母親、児童共々全員が、笑い転げていたところである。


爆笑の渦が沸き起こったであろう、ことは目に見えていた。


後悔したけれど、後の黙阿弥である。どうしようもなかった。





中には、僕の心中を察した母親も、二、三人はいた。少しの笑顔が見えたのである。


しかし、この授業によって、母親達に多分の不満感を与えた。



そして、後の懇談会では、手厳しい発言と非難の声が乱れとんできた。



僕はものの言い様がなかった。





そこで、校長の出現である。


校長、僕、母親達二十人ほどで、再び懇談が始まった。


実に非難轟々だった。


そばに座っていたペコペコ校長も、さすがに耐えかねてしまったのか、途中で教室からにげだしてしまった。



僕も僕として、母親達を説得することができなかった。


為す術がなく、放心状態のようになってしまった。


ただただ時間の経過を待つだけだったのである。






校長ともあろうものが、逃げてしまった。


穆に非があったけれども、、、



せめて「佐々木君は初心者だし、、、今後もは充分気を付けるよう、、、」



というような弁明をして、カバーしてくれてもよさそうなものを、、、、と内心そう思っていた、が、どうしようもない。


如何せん、取り返しがつかなかった。






校長が逃げた。


このことが、僕にとって、決定的にこの校長に対しての信頼感を失った。




校長が逃げた、、、、虚脱感に襲われた。

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