第9話 ボクちゃん 9 挨拶 観察

ボクちゃん 9


挨拶 観察





まあ、何はともあれ、こうして、この学校での生活が始まった。





そして、ご挨拶周りの日がやって来た。


この町の有識者、公民館長、医院の先生、駐在所のおまわりさん、、、にご挨拶に行くのである。


教頭が自分の車に僕を乗せて、町を一周するように、案内してくれる。


そして、それぞれの行き先で、僕を紹介してくれた。



その教頭は、少し額に汗を流しながら、頭を下げて挨拶を交わしていた。



僕もただ何となく、頭を下げてご挨拶を交えた。





僕は、最初から感じていた。


どうもこの町は、体質が古めかしい。


「教師も人間だ、人の子だ」と、言っても通用しない。


「先生のくせに」「それでも先生か」とか言ってくる。


教師に対しては、当初思っていたより、かなり厳しい目で見る土地柄であったのである。


どうも手厳しい。




また、噂というものが、すぐに波及して、この町全体に知れ渡る。



田舎といえば田舎だが、噂というものが、とても早く広がる。



何か出来事があれば、「悪事、千里を走る」というように、すぐにこの町全体に流れてしまう。


極端に言えば、何から何まで知れ渡るところが、随所に見受けられたのである。









ところで、僕の観察である。



世間というものを考えた時、


世間というものは、ある意味では、自分というものを守ってくれるところがある。


規律というようなものを、与えてくれるようなところがある。



それとともに、慎みをもたらしてくれるところがあるのである。




ところが、あまりにも世間狭いということは、束縛される思いがする。


縛り付けられるものがある。


若干考えさせられる。



このことは、かなり昔から、言い伝えられてきた事柄である、、、




ところが、過去のことは、さておき、現在の現実の世間というものを見れば、昔とは変わって、一切合切が、煩わしいものとして扱われている感触がある。




また、昔流儀の「向こう三軒両隣」というようなことも、現在では、残っていない感触である。



ご近所の近所付き合いも消えてしまっているようである。


このふたつの社会通念は、現在では現存していないように見える。


近所の連帯感、連帯意識が、希薄なものになっている風情である。


そして、「何の世間は怖くはないが、、、」とか、「世間など、気にしては生きていけない」という言葉も、現在の風潮では、表面に出てこないようである。



うまく言えないけれども、世間について、こんなように思う。




また、余計なことを言うけれども、人間学というものを考えた場合、人間というものは、常に二面性があると、僕は思っている。



言葉にしても、行動にしても、善悪両面があり、善と悪が重なりあっているとも思える。



善悪の真相が含まれていて、心の奥底に深層されていると思える。



善悪両面あるのが、人間の本来の姿であると思える。


善も悪も人間である。


善というものを信じたい、けれども、悪を省くことができないことも、人間としての否定できない部分だと思える。





また話は転換するけれども、物事を行う場合、何事をに於いても、二つ、三つの物事がついて回ってくると思える。



物事を行う場合には、的確な判断力が必要とされる。





けれども何事に於いても、一概には言えないものが多分にあり、決定的なはっきりとしたことが言えないのである。







またことわざに「一を聞いて十を知る」ということわざがあるけれども、、、、この事を実行するには、並大抵ではてきないところがある。



実際にこの事を実践するには、よほどの経験が必要であろうと思える。




そしてまた「逆も真なり」という言葉もあるけれども、人間というものはいつもいろいろな事が重複してくる面がある。



教育についても、その作用として、良いことを教えれば、悪いことを学び、悪いことを教えれば、良いことを学ぶというような作用もある。



ある意味では、逆説を述べるということも、ひとつの真理を述べるということなのかも知れない。



夏目漱石の言葉ではないけれども、人間の「情」というものを思慮すると、「情」というのは、人間にとって欠かせないひとつの重要な「心」だと思える。



何と言っても、人間にとって大切な「心」である。


「情」というものがなければ、人間として成り立たないとも思える。


ところが、この「情」というものを露骨に表せば、直ちに蹴っ飛ばされる。


踏みつけられて泣きを見る。


そして何処か遠くへ流されてしまうのである。



「情」が大事だとは思うけれども、「情」というものは、容易、または簡単には出せないものがあるのである。





とにかく、この「情」に関しては、考えさせられる点がある。






「情けは人のためならず」という有名な座右の銘もあることはあるが、実際に実行することは、誠に難しくて、自分自身を苦しめることにもなってくる。



混乱している今の世の中では、特に慎重に成らざるを得ない風情である。





「義理と人情」

という説もある。


この「義理と人情」というのも、人間社会では非常に意味深いものであると思える。



大げさに言えば、この「義理と人情」で人間社会が成立していたようにも思える。



ところがこの説さえ何処か遠くへ消え去っている。


嘆かざるを得ない現代の社会風景である。




また世間では、「凡人であれ」「凡人であれ」とよく言われてる。



この「凡人」になるということは、そうは容易くなれないところがある。



何かにつけて人間には、凡人になれないところがあるのである。



考えてみると、この「凡人」になるということは、人間にとって、感極まりない境地であるとも思える。



凡人になって、平々凡々に暮らすということは、達観させられるものがある。



人間には、「野心」とか、「野望」とかがついて回ってきて、この「凡人」には余程の悟りを得なければなれないとも思える。




そしてまた人間には「煩悩」というものがある。


この「煩悩」と戦うということは、人間としては苦しいものがある。


すべての「煩悩」を断ち切るということは、到底できないことである。



「煩悩」というものは、消すに消せないものであるとも思える。



この人間の「煩悩」は、どうしようもない、どうすることもできない人間の「性」のように思える。


捨てることのできない最小限の要点だと思える。




「本能」にしてもそうである。


「本能」を抹消することは、人間を破棄することであるとも思える。



「人間」を破壊することでもあると思える。



「本能」をなくして人間は成立しないし、また満たされなければならない人間の根本的な要点であると思える。



人間の「罪」という命題もそうである。


「罪」というものも、人間には欠かせないものである。


人間誰でもこの「罪」というものを背負っている。


全く罪のない人間という人はいないと思える。



人間が生まれながらにして持っている性質であるとも思える。



「罪」を意識したり、咎めたり、自分を追い詰めたり、責めたりする必要はないと思える。


人間が生まれながらにして持っている、誰もが切り離すことのできない性質のものであるとも思える。(勿論犯罪は別として、、、)





エゴという「我」という心理的な内面性も、人間としては拒絶できない心の中の神秘的な源泉だとも思える。



「エゴ」「我」を観る心というのは、普通では到達することのできない核心的な心だと思える。



潜在意識、深層心理を観るということは、至難の技であるとも思える。







と僕は思う。(以上、世間、人間学、ことわざ、情、義理と人情、凡人、煩悩、本能、エゴ等についての小観察)









まあ、それはそれとして、この町の大衆、民衆意識には、少し反発の意識を持っていた。







次の日の月曜日、例によって、例のごとく、朝会があった。


運動場の朝礼台に校長が上がり、一席ぶつのである。


児童に向かって、ありきたりのことを、簡単に、三、四分程度話をする。

俗にいう訓話である。


時節の候、今週の目標、今日の過ごし方、すべき事など、、、



話が終わったら「礼」と言って教師、児童がお互いに頭を下げる。


そして、児童は教室へと行進していく。


音楽も流れて、リズムをあわせながら、歩調も揃えて、二、三列の縦隊で教室へ向かっていく。



若輩者の僕としては、昔の自分の学校のこと思い出して、恥ずかしいものを感じた。



誰しもが、思い出として残っていることであろう。




毎週月曜日になると、この様相である。


考えてみると、校長もいろいろと話題を持っていなければ、、、と思えた。




さぞかし、自宅で調べてきてからのものだろう、と推測した。



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