第8話 ボクちゃん 8 余談 児童
ボクちゃん 8
余談 児童
ここで断っておくが、僕は。夏目漱石の「坊っちゃん」を真似て書いているわけではない。参考にはしたが、自分なりに書いている。
それに僕は、「坊っちゃん」は、過去に二回ほどしか読んでいない。映画も二回ほどしか見ていない。
そのあらすじも内容も、ほとんど覚えていない。
記憶にあるのは、マドンナ先生の存在と、赤シャツと山嵐の名前ぐらいである。
それに「小説の書き方」という本を買ったが、読んだこともない。
第一、夏目漱石は、英国にも留学したり、新聞社にも勤めたり、まして千円札の写真にも掲げられている。国家の英雄である。
到底太刀打ちはできない。僕の及ぶところではない。
僕との差は、比較にならない。雲泥の差である。
月とすっぽんどころか、言い表せないほどの差がある。
数々の名言を残したり、後世に伝わる事柄を書いている。
僕には、とても真似ができるはずがない。そんなことは、とてもじゃないが、できるはずがないのである。
実力の差は歴然である。
それに僕は、小学校勤務である。
話にならないどころか、比較するのもおかしいくらいである。
とにかく、何を書いても、どう書いても、その差は話にならないのである。
僕はただ同じ教職に就いたので、僕は、僕として、僕なりに書いてみよう、そう思って、ただいたずらに、ただ単にペンを走らせているだけである。
話をもとに戻そう。
次の日、学校へ行くと、三、四人の女子児童が僕に声をかけてきた。
「先生、どこから来たん?」「年はいくつ?」と、変に親しみを持っているというか、人なつこいというか、馴れ馴れしく側に寄ってくる。
主に、三、四年生の児童だと思えた。
何か、嬉しそうな、楽しそうな顔つきをして聴いてきたのである。
僕は、かわいい、と思いながら軽く言葉を交わした。
「東京から来た」とか「北海道から来た」と、答えた。
少し首を傾げたようである。
ところが、「東京から何で来るの?」「北海道から何で来るの?」て聞いてくるので
「飛行機で来るんや」「空を飛んで来るんや」と笑いをとろうと、冗談を言った。
ところが全然クスリともしない。
また「年はいくつ?何歳?」と何度もしつこいくらいきいてくるので、「臭い」や「白菜」や「野菜や」「天才や」と言って、話をはぐらかそうとしたが、「うそ「ウソー「ウソー」」と言ってきて、どちらがからかわれているのか、おちょくっているのか、さっぱりわからなくなってしまった。
そして、最後には「バイバイ」である。
この言葉には、カクンとくるものがあった。
そして、この女子児童達は僕の前からサッサと姿を消していったのである。
この様子を、二階から見ていた六年生と思う児童達が
「あれ、新米や」「新米や」「あれ、あほや」「あれ、ぼけや」と言って、罵声を浴びせてきた。
窓から顔を出したり、引っ込めたりして、浴びせてきた。
この六年生の言葉と態度に腹が立った。
少し活を入れようと思い、「ちょっと来い!」と言って五、六人を呼び寄せた。
別に悪気はなかったのだろうとは思っていた。
が、しかし腹が立った。
内心、なめとんのか、と思いながら、運動場の鉄棒の前に、その五、六人を並列させた。
そして、冷静な態度で「おはよう」と言うと、「おはよう」と言い返してきた。
妙にニヤニヤしていた。
変な仕草さえもしていた。
腹のなかで、人をコケにしているようでもある。し、嘲け笑っているようにも見受けられた。
それと、小学生だというのに、ふてぶてしい顔をしている。
チャンちゃん坊主だとは思っていたけれども、、、「こんな小学生になめられてたまるか」と、ムカついた。
そしてその中の、主犯級の児童達に、ガツン、ガツンと拳骨を喰らわせてやった。
ところがこの六年生は、泣くどころかニヤニヤして、僕の怒りの鉄拳も何とも思っていない様子だった。
ますます腹が立ったが、これ以上殴ったら、骨でも砕けると思って怒りを沈めた。
そうして、何とかこの場は、ひとまず過ぎ去った。
この僕の当時は、体罰は、現在ほど問題とはされていなかった。
だが、この僕の行為は、当たり前のことながら少々問題になった。
そして、委員会に呼び出されて注意を受けたのである。
僕はかなり手厳しく注意されると思っていた。
ところが、「今後は充分気をつけたまえ」と、意外と軽い注意だった。
僕自身も、確かに暴力はダメだ、通用しないとははじめから思っていたけれども、、、
「今後は充分気をつけます」と謝って委員会を出てきた。
さすがに、この委員会の忠告にはまいってしまった。
もう少し手酷くやれば、父兄からの反感を買って糾弾されるのが落ちだと思っていた。
が、この町の委員会は、比較的穏便に取り扱ってくれたのである。
暴力を振るった僕が悪い。
如何せん後の祭りである。
迂闊だった、僕はかなり反省した。
この体罰という問題は、現在では大問題である。
絶対に禁止されなければならない。当然のことである。
しかしながら、反論ではないけれども、昔なら、先生に対しては、全面的、絶対的に服従したものである。
何十年か前の大昔は「三歩下がって師の影を踏まず」という言が浸透していたということを聞いていたこともある。
僕の幼い頃でもこの言葉は継続して、生きていたように思える。
つい近年までこの姿勢は、保たれていたようにも思える。
この頃なら、反感しようものなら即「がつん」である。
反抗する余地は、まずなかったであろう。
ところが、最近の中学校の生徒を見ると、平気で教師に対して挑発してくる、
教師を何とも思っていない。弱点を見て、弱みにつけこんでくる、、、、
挑発を見抜くのもひとつの方法だと思える、が、こんな中学生には手の打ちようがない、わざと仕掛けてくるから、なおさらが質が悪い。
また後で聞いたことである。
以前この町で、暴力を振るった中学教師が、成人した生徒に呼び出されて、逆に暴力行為て仕返しされたこともあるという。
こんなことを考えると、怖さも増してくる。
しかし僕としては、あまり頓着していなかった。
中学生、高校生だろうとである。
それに僕は小学校勤務である。
あまり気にはしていなかった。
しかし、このような中学生の行く末を考えると何か不気味なものがあるとも思える。
それはそうと、この学校の児童達とのことであるが、、、、
僕は、幼い小学生の児童に対しては、全くまともに相手にする気はなかった。
所詮、子どもは子どもだと思っていた。
小学生は小学生でしかあり得ない。
屁理屈を言おうが、一年前のことを言おうが、生意気なことを言おうが、、、である。
そんな風に思っていた。
ところが、この時の六年生に接触するのは初めてのことだったので躊躇してしまった。
それはさておき、次の日、一昨日の六年生の児童を呼び出して、僕が悪かったと謝った。
そして、気のすまない児童に対して「ぼくの頭を殴り返せ」と言って、頭を児童の前につきだした。
すると。「先生もういいよ」という児童が二、三人いた。
が、大将級の児童は、納得がいかなかったのか、僕の頭を殴ってきた。
後で「気が済んだか」と言ったら、今度はこの大将が少し涙を流して泣きじゃくって謝ってきた。
後になってわかったことである。
この町の父兄の中にも話のわかるところがあり、「先生、手厳しくしごいてくれ、げんこつの一発や二発はかまへん、そうでもしなきゃあわからん」というような父兄もいた。
この父親には何か有難いものを感じたものである。
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