第5話 ボクちゃん 5 山岡先生

ボクちゃん 5 



山岡先生



次の日学校へ行くと、職員のひとりひとりの顔が見えてきた。


まず一番初めに目についたのが、この学校の職員の最年長の、そして、中心的人物の山岡という先生である。


校長、教頭についで力を発揮している先生である。


髭が濃く、鼻も少し高く、体格も年の割には立派で、品格があり、確かに教師としての貫禄を身に付けている。


この学校の代表者として、ふさわしい容貌を備えていた。


(以後、この先生は、僕にとっては、師としての存在となる)



一週間ほどしてわかったことである。


この山岡先生は、とにかく弁が立つ、教育理論、教育倫理というものを、論じ出したら切りがない。立て板に水が流れるかのよいに弁述する。非の打ち所のないその論法には、僕としては、反論のしようがなかった。


ただただ感心させられて、聞いているばかりである。



第一、三十何年かものキャリアがある。実力がある。


「教育とは、、」などと、論じ出したら切りがない。歯止めが効かないほどである。



と、言っても、僕は、この山岡先生には何かついていけないものを感じていた。



悪く言えば、鬼才という表現にふさわしい人物だった。



その山岡先生が言うには、「教育とは純粋でなければならない、、、教育とは、教え、導き、育てていくことだ、、、」等々である。


僕も確かにその通りだ、と、思っていた。


微々たる見識しか持っていなかったが、内心僕もそう思っていたのである。



また「教育は愛がなければ成り立たない」「教育とは児童とともに歩むことである」とも言う。



とにかく論じ出したら切りがないのである。



その開口論を聞いていたら、ただただ感服するばかりである。


勤務後の休憩時間に、職員全員を笑わせてくれるのも、この先生である。


話は大げさなほうがおもしろい。この山岡先生は、そんなオーバーな話もよくしていた。


そんな話を聞いて、休息の時には、みんなよく大笑いしたものである。




話は前後するけれども、この山岡先生に、「佐々木君、何かね、君は一体どんな考え方を持っているのかね」「教育に対する考え方はどうなのかね」と、最初にガツンと言われた時には、少々ショックを受けた。


間髪入れずに、最初に釘を打たれたので、僕はものの言い様がなかった。


多少僕を誤解していた面もあったと思える。が、しかし、この言葉には参ってしまった。



僕にとっては、教育とは何か、というような大問題は、正直言ってわからない、到底わかるものではない、そんなことがわかっていたら、小学生教師にはなっていない、大学の教授になっていただろう、と、そんなことを思っていた。


「人間みんなひとりぼっち、ひとりでは生きて行けない、助け合い、協力しあっていかなければ、、、」せいぜいその程度のものだった。



教師としての使命感などは、恥ずかしいけどあまり持っていなかった。



子どもが好き、教師に向いているのでは、、、



この程度の考えしか持っていなかった。


もう少し言えば、教育活動を通して人格の陶治、児童の人間性の育成、友達との交流、仲間意識の助成、いろいろ面での基礎、基本の定着を図る、というような考え方だった。



強いて言えば、僕はこの学校をユートピアにしたい、と考えていた。



子ども達のユートピア、理想郷、ただそんなことを思っていた。


あまり深く勉強していなかったけれど、そんなことを考えていた。


理想郷、この言葉に憧れていた。


そんなことを夢見ていたのである。




実現するはずはないと思っていたが、子ども達の楽園を創りたかったのである。






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