第49話 堕ちる



 どこまでも落ちていく。

 際限なく、闇が続く。

 深く、深く。

 きっと、地の底まで。


 フワフワ。漂う。

 フワフワ。フワフワ。

 フワフワ。


 沈む火乃香の両足を抱きとめるような声で、凛は優しくささやく。それは禁断の誘いであるくせに、甘い。


「ね? 君も好きなんだよ。あんなに美味しい肉はほかにないって、君も言ってたろ? だから、僕らは仲間だ。同じ殺人者で、カニバリアンでもある。同族なんだよ。僕らは君を快く迎えるよ」


 でも、火乃香はあれが人の肉だなんて思ってなかった。たしかに、とてもやわらかく、脂っこくもなく、甘味があって、ものすごく美味だったけど。でも、人だとわかっていれば食べなかった。


(ホ・ン・ト・ニ・ソ・ウ?)


 大人の姿で、夢の友達は言う。

「だから、早く逃げなさいって言ったのに」

「わたしなんて、車でひかれたあと、食べられたのよ? ちょうどいい肉が手に入ったって。信じらんない」とパタパタ舞うのはコウイカ。


 彼女たちをさまげるように、凛が告げる。


「大丈夫。僕らは決して仲間を食べない。君はもう仲間だ。大切にすると誓う。僕と結婚してくれ。僕はほかのメンバーと違って、誰でもいいわけじゃない。愛する人ほど食べたい性癖なんだけど、我慢するよ。君のこの指も、シンデレラみたいなつまさきも、やわらかな胸も、頬も、体じゅう全部、食べてしまいたいくらい可愛い。けど、我慢する。そのかわり、君は僕の子どもを生んでくれ。たくさん、たくさん。僕はを君をだと思って食べるから。七年は君の離婚が成立しないから、どっちみち、そのあいだにできた子は育てられないしね。君は育てたいのかな? だったら、男の子と女の子、一人ずつはちゃんと成人させよう。財産とクラブも継がせないといけないしね。今から楽しみでしかたないよ。愛しい君の生んだ、僕の大切な子どもたちを味わえるなんて。きっと、可愛くて可愛くて、たまらないんだろうな。絶対に美味いよ。絶対に」


 恍惚としたようすで、凛はまくしたてる。こんなに興奮した彼を初めて見る。そして、瞳をキラキラさせて、少年みたいな凛は、困ったことに、とても魅力的なのだ。


 まちがいない。彼は正真正銘の青髭だ。欲張りな青髭もどきじゃない。足のさきから頭のてっぺんまで、髪の毛ひとすじあまさず、青髭の血でできている。


 でも、やっぱり好き。


「わたしがお母さんとそっくりだから好きなんでしょ? わたしを好きなわけじゃないよね?」

「最初は母に似てる君に惹かれたよ。だけど、それだけなら、こんなに食べたくならない。君はあぶなっかしくて、ほっとけないんだ」

「ほんとに? わたしを守ってくれる?」

「一生、守るよ」


 耳元で外野霊たちがさわいでいる。


「ああ、ダメ。火乃香。ヤバイよ。その相手は危険すぎるって」

「わらわは良きかと思う。狐は肉食ゆえ。何より、誓いをたがえぬおのここそ唯一無二よ」

「なんで、あんたばっかり幸せに……春翔を返してよ」

「凛はわたしのものよ! ずっと凛のためにつくしてきたのは、このわたしなのよ?」

「ひかれて、食べられて、でも素敵よ。わたしの肉を彼が噛んだの。マゾヒスティックな快感」

「凛を頼みます。不憫な子なの。わたしが悪いのよ。だって、ほんとに美味しそうな子でしょ? パパの肉は筋ばってたもの」


 頭のなかがゴチャゴチャするけど、火乃香に彼らの声は届かない。

 くずれおちたビスクドールの破片を一個ずつ集めて、接着剤で強引にくっつける。

 形がゆがんでる? そんなの気にしない。


(これでいいんだ。もとどおり。わたしは幸せ)


 やっと、わたしの王子様が迎えに来てくれた。


「あなたと結婚する。そのかわり、一生、大事にしてね?」

「ああ。もちろん!」


 夫の亡骸なきがらの前で、火乃香は凛と抱きあった。唇を重ね、首すじや乳房を甘噛みされると、陶酔がほとばしる。


「わたしを食べないで」

「我慢するよ。我慢する。そっと、なめるだけならいい?」


 じゃれあって、愛し、愛される幸せ。こんなあたりまえのことも知らなかった。長い指で全身をなでられ、舌さきでなぞられると、肉づきや舌ざわりを確認されてるような変な気分。


(わたし、味見されてるみたい?)


 クスクス。フワフワ。くすぐったい。


 さあ、作ろう。二人で食べるための子羊を。たくさん、たくさん。

 誇らしげな蠢動しゅんどうを深く受けとめると、もう何も考えられない。


 わたしの王子様は、青髭——

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