第47話 手袋に隠された秘密



 凛は真摯しんしな目で火乃香を見つめている。澄んだ瞳に嘘はない。


 この人はほんとにわたしを愛してくれてる——


 女の勘で、それは感じた。

 恐ろしいのは、その瞳の奥にある狂気だ。


 凛は続ける。

「もう君に隠す必要はないね。僕らは仲間になったから。これを見て」


 そう言って、凛は両手の手袋をはずした。

 美しい長い指。なめらかな白い肌。

 だが、その手には数えきれないほど多くの歯形がついていた。女か子どもの歯形のようだ。古い傷あと。二の腕までその模様は走り、タトゥーのようにも見える。あきらかに数ヶ所は肉が噛みちぎられている。


 拷問のあとだ。

 これを受けたとき、傷の古さから言って、おそらく、凛はまだ子ども。十代か、それよりも前だったかもしれない。ほんの五、六歳。どれほどの苦痛だったろう。計り知れない。


「凛さん。これ……」

「母だよ。物心ついたときには、もうソレが始まってたから、僕はどこの家庭でもあたりまえなんだと思ってた。最初は甘噛みだった。母の口癖は『食べちゃいたいくらい可愛い』だ。ふつうの母親がわが子に頬ずりする感覚で、母は僕の腕をかんだ。足や、首や、腹を。母は愛しいと感じる者を食べたい……そういう人だったんだ」


 背筋がゾッとする。それでようやく、凛の祖父の言葉の意味がわかる。



 ——塔子にあげたんだよ。



 あれは、自分の手足をすべて、愛する娘に食べさせてあげた……そういう……。


「おじいさんの博之さん……」

「ああ、見てしまったんだね。そうだよ。。だから、君には会わせたくなかったんだけど。僕は子どもだったから、そこまでの覚悟ができなかった。母は大好きだった。でも、痛かったからね。三回だけ、噛みきられて、失神したよ。手足を切り落とすなんて、もっとどんだけ痛いかと思うと、ちょっと勇気が出なかった。祖父を尊敬するよ」


 尊敬? 覚悟?

 そういう問題だろうか?

 どこかズレている。しかし、凛の話はますます奇妙にゆがんでいく。


「僕も祖父も父も、母を愛していたよ。でも、母はそういう人だから、自分なりにを抑えようとしての結果だったかもしれない。とても奔放だった。しょっちゅう浮気してたみたいだね。たぶん、父を食べないために、母なりに我慢して、かわりによその男を食べてたんだろう。後始末は祖父がしてた。示談ですませたり、もっと別の方法で。ただ、父には母の不貞がゆるせなかったんだ。僕が十四のときだった。母は父に殺された。父は母のあとを追って自殺した。ほんとに愛してたんだな。僕は両親をいっぺんに失った。多感な時期だったからね。父を恨んだりもしたけど」


 ほうっと、凛は深い吐息をもらす。


「まあ、僕のためにはよかったんだろう。もしかしたら、母の浮気をゆるせない以上に、父は僕を守ろうとしたのかもしれないしね。あのままなら、早晩、僕は母に食われてた。それはもう必然だ。男はよそで作れても、息子の代わりはどこにもいないからね。母と僕のあいだには、ほかの誰にもない特別なつながりがあった」


 たしかに、そうだろう。凛のとなりには、なかば透きとおった塔子が慈母の微笑みで立っている。その姿だけ見れば、生前、息子に噛みついていた奇行は想像できない。


「少年時代は母のあの衝動がどうしても理解できなかった。母が殺されたとき、最初に発見したのは僕だ。じつは血だらけで倒れてる母の血をなめてみたんだ。そうすれば、母を理解できるんじゃないかと考えて。けっきょく、理解できなかったけどね。。でもね。二十歳すぎたくらいから、んだよ。ああ、やっぱり、僕は母の子だ。って」


 遠い日の思い出をなつかしむ口調だった凛の目が、急にキラキラと輝く。


 その言葉を聞きたくない。もうわかってる。きっと、そうなのだ。


「恋をすると、その人を食べたい思いが抑えられない」


 ああ、やはり。

 凛と塔子は容姿が似ているわけではない。その性癖が同じなのだ。

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