第46話 幸せの王子



 青髭からあずかった一番小さな黄金の鍵。それを使って、娘がひらいた扉の内には、行方不明になっていた妃たちの死体が逆さにつりさげられていた。流れる血は床に川を作り、敷石の色が見えないほど真っ赤だ。


 思わず、娘は鍵をとりおとした。血だまりのなかに落ちた鍵も、またたくうちに赤く染まる。あわててひろい、鍵をかけなおして、娘はその場から逃げだした。


 鍵は真っ赤。このまま、青髭に返せば、あの部屋を見たとひとめでバレてしまう。

 娘は必死に鍵を洗い、みがいた。だが、一度血に染まった鍵は、どんなにふいてもキレイにはならない。まるで、しみついたように、ふいても、ふいても、新しいシミがふきだしてくる。あっちをふけばこっちが。こっちをふけばあっちが。


 火乃香の手も柄をつたい、流れてくる血で赤くなる。

 悲鳴をあげ、火乃香はナイフをなげだした。


「イヤッ!」


 すると、凛がいつもの優しい笑顔を見せて近づいてくる。火乃香のかたわらにひざをつき、血で汚れた手をにぎりしめた。その凛の手は、今日も手袋で覆われている。冬だから、手袋をするのはふつうだが、暖房のよくきいた室内では、ちょっとおかしい。


「心配しなくていい。火乃香さん。君は僕が守る」


 幸せの王子の顔をした悪魔を、火乃香は見なおした。

 この人をまだ頼ってもいいのだろうか?

 それとも、彼も春翔と同じ、ただのゲスなのか?


「わたし……警察に捕まっちゃう」

「いや、最悪でも正当防衛が認められるだろう。ただ、一時的に拘束はされるかもしれない。裁判が長びく可能性はあるし、世間に顔が知れ渡る」

「そんなのイヤ」

「だから、僕が守ってあげるよ」


 凛の微笑は麻薬だ。ついさっき、あんなに憤ったのに、もう彼をゆるす気になっていた。凛は悪くないのだ。悪いのは全部、春翔だ、と。

 やっぱり凛は青髭ではなく、幸福の王子だと信じたくなる。


「言っとくけど、あんたが彼の母親に似てるからだよ。あんた自身を愛してるわけじゃないからね」


 憤怒ふんぬをぶつけてくる要女を見ても、火乃香は気にしない。狐姫とその巫女である夢の友達のほうが、力が強い。要女の霊は怒り、嫉妬しつつも、狐姫たちに従うしかないのだとわかった。


「……どうするの?」

「死体を隠せばいい。そのかわり、君の離婚は成立しなくなる。行方不明者の死亡が認められるまで七年待たなければならない。それでもよければ」

「……」


 そんなにうまくいくだろうか? 死体遺棄なんて、しょっちゅうテレビニュースで見る。それだけ発覚しやすいのだ。ずっと隠しとおすなんて、できっこない。


「死体が見つかったら、あなたも、わたしも逮捕される」

「そんなヘマはしない」


 ふたたび、要女が口をはさむ。

「凛は手なれてるからね。わたしの体だって、誰にも見つからないでしょ?」


 やっぱり、そうなのか。要女を殺したのは、凛だ。火乃香にはクビにして追いはらったと言ったけど、ほんとは殺して死体を処理したのだ。


「要女を殺したの?」


 試しに聞くと、凛は微笑する。


「要女は君を殺そうとした。生きていれば、これからも同様のことをする」


 ほんとに幸せの王子?

 それとも、やっぱり青髭?

 でも、わたしを守ってくれた? そう?

 春翔は守ってくれなかった。嘘つきで身勝手。自分の出世のためにわたしを利用した。

 この人は違う?


「……もしかして、臼井成海を殺したのも?」


 それには答えず笑うばかり。


 火乃香が見つめていると、凛は両手で火乃香の手をにぎったまま、さとすようにささやく。


「僕と君は殺人者だ。同じだね。僕らはきっと、うまくいくよ。そうは思わない?」

「わたしが、あなたのお母さんに似てるから?」

「似てるね。君をひとめ見たときから恋焦がれていたよ。春翔よりさきに君に出会わなかった運命を呪うくらいには。どんな罪を負ってでも、君が欲しかった」


 もしかしたら、春翔は真実を言ってたのかもしれないと、このときになって思った。そうだとしたら、世間的には春翔に罪はなかったことになる。春翔はおとしいれられたのだ。


 成海を殺したのも凛。成海と春翔が浮気しているように見せるために利用したから。探偵の調査書の写真なんて、いくらでも合成できる。深夜、春翔の電話相手も成海じゃなく、凛だったのかも。そして、役目を終えた成海がジャマになった。春翔に疑いがかかる状況を作り、彼女を殺した。春翔が逮捕されれば、凛にとっては一石二鳥だ。

 春翔の罪は火乃香をイケニエにさしだしたことだけ。ただ、それが何よりもゆるせないのだが。

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