第35話 告辻



 告辻——

 そのへんにどこにでもある名字ではない。

 四辻というのは、たまに聞く。中臣鎌足が当時の天皇から賜った由緒ある名前だというが、そこから一文字『よ』をぬいたツツジ。

 中高生のころはよく、花の躑躅つつじとまちがわれたものだ。たぶん、日本中探しても、その名字を名乗っているのは、母の実家しかないのではなかろうか?


 火乃香は凛のおもてをまじまじと見つめた。もしかして、凛は母の旧姓を知っていて、冗談でそんなことを言ったのだろうかと考える。


 凛は火乃香の視線に気づき、チラリとこっちを見て微笑んだ。


「どうしたの? 疲れた?」

「え? いいえ」

「サービスエリア近いから、ちょっと休憩しようか? 約束の時間までにはつくよ」

「うん……」


 黒いレクサスは静かにサービスエリアへ入っていく。車種は要女が教えてくれた。一番高いレクサスだよと言っていたから、お金持ちの乗る車なのだとは思っていた。乗り心地のよさは、たしかに抜群だ。

 だが、火乃香の頭は今、そんなことも考えられないほど混乱している。


 春翔と成海の調査をしたと、以前、凛は言っていた。ついでに火乃香の素性も調べたのだろうか?

 だからと言って、こんな冗談を言う意味がない。


「あの」

「何?」


 あくまで優しい凛の笑顔に、火乃香はひるんだ。悪意など微塵みじんも感じられない。ふざけているわけでもない。

 真実なのだ。

 母の生家が、狐姫の予言をしていた巫女の末裔まつえいなのだ。


(こんなの、ぐうぜん?)


 春翔は火乃香が巫女の家系だと知っていたのだろうか?

 言ってしまえば、春翔は先祖のかたきだ。姫原家の少年が最後の巫女を殺したから、火乃香の先祖は落ちぶれてしまった。

 母は若いころ、年をごまかしてキャバレーでアルバイトしながら、高校に通ったと言っていた。親の収入では高校進学はムリだったのだと。高校を卒業し、区役所に就職し、そこで父と出会った。だが、高校のころのバイトがバレて、結婚を反対されたのだとも。


「お母さんね。けっこう人気者だったのよ。ナンバーワンじゃなかったけどね。お客さんの手相や人相を見て占ってたの。当たるって評判でね。占い師になればいいなんて言われたなぁ」


 そんなふうに言っていた母を思いだす。


(そういえば、おかしい。父方のおじいちゃん、おばあちゃんが結婚を反対したのはわかる。高校生で水商売なんて、よく思われないよね。わたしが生まれて、けっきょく、ゆるしてくれたけど。でも、それじゃ、なんで、お母さんのおじいさん、おばあさんは反対したんだろう?)


 母方の祖父母に反対する理由なんてなかったはずだ。しかし、母は死ぬまで実家に帰省しなかった。

 もしかしたら、霊感があったせいでは? 母にもその力が多少あったようだ。祖父か祖母もそうだったなら、最後は不幸になる結婚だと見ぬいていたのかもしれない。だから、ゆるさなかったのでは?


 先祖の力は失われたわけではない。代々、ひそかに受け継がれていた……?


「やっぱり、ぐあい悪い?」


 心配そうに聞かれて、火乃香は我に返った。


「あ、いいえ。告辻って変わった名字だなって思って」

「僕も初めて聞いた」


 やっぱり、凛に他意はないようだ。火乃香の母方が当の告辻だなんて思ってもいないらしい。


 もしかして、火乃香は春翔の嫁だから呪われているわけじゃないのかも?


 不安に見舞われながら、サービスエリアへ行く。清潔で広いトイレは明るく、節電中でも自然光がたっぷりさしこんでいる。平日にもかかわらず、かなり利用者もあった。


 だから、安心して入ったのに、手を洗っていると、ひざあたりでスカートをグイグイひっぱる何者かがあった。

 なにげなく視線をむけた火乃香は立ちすくんだ。

 どす黒い顔をし、にごった白い目の少女が、火乃香のスカートをつかんでいる。着物姿だ。それも、よく見る七五三用などではない。もっと地味で、よごれた感じ。柄も古くさい。髪はざんばらで水がしたたり落ちている。


「早く、逃げようよ」


 水をブクブク吐きだしながら、不明瞭ふめいりょうな声で少女がつぶやく。


「じゃないと……」


 ひざの力がガクンとぬける。火乃香はあわてて、洗面台に手をついた。

 気づいたのだ。

 これは、火乃香の先祖だ。姫原の長男に殺された最後の巫女。そして、夢のなかではずっと成長した大人の姿を見せていただと。

 少女を通して、狐姫の気配も感じた。死者になったことで、巫女の彼女は狐姫と一体となったのだ。


(怒ってるんじゃない。ずっと、忠告してくれてたんだ)


 むしろ、怒っているのは、姫原の子孫との結婚に対してなのかもしれない。自身の言葉を伝えてくれる大切な巫女を殺した姫原をゆるしてはいけないと訴えている。


(最初から、まちがってたんだ。春翔さんと結婚しなきゃよかった。そしたら、こんなことにはなってなかったのに)


 春翔と結婚したから、成海に恨まれ、辱めを受け、望まない妊娠をして、ツライ思いをした。


 熱く弾けた悪の種子。


 守られることに溺れ、贅沢に溺れ、欲張りになった。自分の子どもを売って、今の生活水準を保とうと考えるていどには。


 身も心も穢された。

 以前のままの自分で、ひっそりと平凡な人生を送っていればよかったのだ。


 悔し涙があふれた。

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