第34話 狐の巫女姫



 一番近い拘置所はとなりの県だ。そこまで行かなければならなかった。春翔の弁護士が駅まで迎えに来ると言うが、一人で行く自信がないので相談すると、凛がついてきてくれるという。


「乗り物酔いはもう大丈夫?」

「つわりはだいぶ前に終わったから」

「じゃあ、僕が運転するよ。電車より自由がきく」

「ありがとう」


 火乃香はペーパードライバーなので、車を運転できるだけで、男の人をカッコイイと思う。

 高速に乗り、まっすぐ前を見て、一定のスピードを出す凛のよこ顔をそっと見つめる。それだけで幸せな気分。ただ、美しいよこ顔のむこうには、窓の外に両手を押しあててのぞきこむ成海がいるのだが。


 ほんとに、いいかげんにしてほしい。ストーカーなら、春翔にすればいいのに。春翔には見えないから、こっちに来るのだろうか? ベロベロの長い舌が牛みたいだ。ロマンチックな気分が台なしになる。


「そういえば」と、凛は移動中の話題作りのためか、急に話しだした。


「前に二人で姫原に行ったろ? 住職の話、おぼえてる?」


 火乃香は首をふってから、運転中の凛には見えないと気づく。


「あのときはぐあいが悪くて、ちゃんと聞いてなかったから」

「ああ、そうだよね。じつは、姫原家とはまったく血縁じゃないんだけど、狐姫の巫女って言われる家が以前、あのへんにあったらしいんだ」


 やや遠い記憶をあさってみれば、たしかに巫女がなんとか言ってたような気がする。


「もともと、狐憑きとか言われて、あの土地では敬遠されてた家系だね。それが狐姫の予言だと言って、巫女みたいなことをやりだして、しかも、これがよく当たるんだ。それで村人たちに重宝され、そのうち信仰を集めていったらしい」

「そうなんですか」


 火乃香は嘆息した。

 あのときのお祓い、けっきょく、きいていない。あいかわらず変なものは見える。狐姫の怒りもおさまっていない。

 たぶん、火乃香の腹にいる子について憤っているのだ。姫原の血をひいていないから。

 ということは、火乃香が春翔と離婚すれば、呪いも去るのか? 姫原家と縁が切れる。あの家の長男の嫁ではなくなる。あらゆる意味で、早く離婚が成立してほしい。


 考えごとをする火乃香をよそに、凛は話し続ける。


「その家の人たちは男女問わず、夢見や憑座よりましで、狐姫の言葉を伝えたんだ。とくに女の子はその力が強かった。日露戦争や第一次世界大戦も予言したんだそうだ。でも、あるとき、直系の女の子が水難事故で死んでしまって以来、パタリと巫女が生まれなくなった。子どもたちで遊んでるときに、川でおぼれたらしいんだね。ウワサでは、その子を川の深いところにつき落としたのは、姫原家の嫡男だった。巫女さま、巫女さまと村人にチヤホヤされる女の子がシャクだったんじゃないかな。狐姫が姫原家に祟るようになったのは、そのあとだというし、たぶん、ウワサはほんとなんだろう」


 だからと言って、嫁に取り憑くのはだと思う。火乃香は何も悪くないし、その女の子をつきおとしてもいない。ましてや、姫原家とは元来、血縁もない。姫原家の男の子が巫女を殺したのだから、そっちに出てほしいものだ。


(あ、でも、春翔さんが逮捕されたのは、そういうこと? 一人しか殺してないから死刑にはならないだろうけど、有罪は確実だよね。無期懲役まではならないかもしれないけど、実刑二十年とかかな?)


 狐姫の怒りを買っているから捕まったのだとも考えられる。


「狐姫はなんで、その家の人に憑依ひょういしたんでしょう? 姫原家とも無縁だったんですよね? もともと霊感が強かったから?」

「まあ、そうなんじゃないかな。自分の言葉を生きた人たちに伝えてくれるって、死者からしてみたら、すごく嬉しい存在なんじゃない?」


 たしかに、そうかもしれない。火乃香は狐姫の怒りを買って見えるようになってしまったが、ふつうの人には、それは見えないし、感じられもしない。現に今、じっと見つめる成海の恨みがましそうな目に、凛はまったく気づいてもいない。


 凛のよこ顔を見ていると、形よく口角があがった。


「巫女が生まれなくなって、男ばっかりになったその家は、とたんにすたれたんだそうだ。予言や失せ物探しで金品を得ていたから、田んぼや畑があるわけでもない。またたくまに困窮こんきゅうし、どこか都会へ流れていった。それが昭和の初めごろ。今でも彼らの子孫がいるのかどうかはわからない。案外、とっくに絶えてしまっているかもしれないね」


 火乃香はなにげなく、うなずいた。まさか、そのあと、話のほこさきが自身にかかってくるなんて、予想もしていなかった。


 凛はこう言ったのだ。

というんだ。告げる辻と書いて、告辻つつじと読ませるらしい」


 それは、死んだ実母の旧姓だ。

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