第32話 キャンサー
どうせだから、あなたをクラブメンバーに紹介しましょうと、優子は言った。
月に一度、主催者の萱野博之の——つまり、凛の居住区である最上階で、クラブメンバーの集まるパーティーがひらかれるという。その開催日がちょうど三日後だった。
「わたし、お金持ちでもないし、高級クラブなんて行ったことも……」
「いいの。いいの。ドレスはわたしの若いころのを貸してあげる。ちょちょっとリメイクすれば今風になりますよ」
「ほんとにいいんですか?」
「あなたのことは凛さんが気に入ってるから、かまわないわ。いずれ、あの人が誘うつもりだったんじゃないかしら?」
「凛さんが?」
「あら、だって、凛さんは独身だし、今は特定の相手もいないみたいだし」
それは結婚相手として考えていると言う意味だろうか? だとしたら、とても嬉しい。
まだ春翔を忘れたわけじゃない。なんと言っても初めて好きになった人だ。でも、結婚してまもない浮気や、その後の行動には失望させられた。恋が冷める瞬間なんて、あっというまだ。
レースを使ったアンティーク調のドレスを借りた。ローウエストのミニ丈が昭和レトロ調で可愛い。それを着て、最上階へ宮眉夫妻とともにお呼ばれを受けた。
エレベーター前で出迎えてくれた凛は、火乃香を見ると目を輝かせてよってきた。
「いらっしゃい。歓迎するよ。でも、ちょっと悔しいな。最初に誘うのは僕のつもりだったのに、さきを越された」
凛は火乃香の手をとると、かるく指さきに
とたんに、火乃香は舞いあがった。なんだか、フランス貴族にでもなった気分だ。
参加者は全員タキシードか、最低でもスーツにネクタイ。女性はドレス姿だ。その日の集いは十一人。毎回、メンバー全員が来るわけではない。夫婦が多いのかと思ったが、けっこう一人の参加者もあった。むしろ、夫婦は宮眉夫妻と、別のひと組みだけだ。
その夫妻をどこかで見たと思った。年のころは宮眉夫妻より少し若い。たぶん、六十代。なんとなく、その二人を見ると暗い気分が重くのしかかってくる。薄暗い地下駐車場が思い浮かんだ。
「ほら、あなたのコウイカよ。青い車のまわりを飛んでたでしょ?」
とつぜん、背後から耳元に声を吹きこまれる。よく見ると、いつもの夢の友達だ。こんなところにまで現れるなんて。
友達は真っ赤なドレスを着て、とても生き生きしている。死人が生き生きというのもおかしな話だが、じっさい、そうだ。黒鳥のプリマみたいに三十二回はまわった。
「火乃香さん。こちらは七藤さんとその夫人。個人経営の総合病院の院長だ」
火乃香は思いだした。あのイヤなことがあった日、青い車に乗っていった夫妻。たしか、その車で交通事故を起こしたという。友達の言うコウイカは、今現在、夫婦についてきていない。アレは車に憑いているらしい。
だが、かわりにたくさんの赤ん坊をぶらさげていた。いつかのエレベーターであった若い女は骸骨の赤ん坊を三つつけていた。でも、この夫妻は数えきれない。
それさえ気にしなければ、悪い人たちではなかった。二人とも知的だし、温厚で親しみやすい。
ほかにも何人も紹介された。県内では知らない人のいない地元企業の社長。銀行の頭取。警察官僚。かと思えば、テレビにもよく出る美容整形の女医。県議。要女も来ていた。
「要女もクラブ会員なの?」
「まさか。わたしは管理人としてマンション内のイベントに参加してるだけ」
「でも、よかった。要女がいてくれて。ホッとした」
安心したせいか、途中で眠くなってしまった。
出された料理は蟹ではなく、ふつうに牛肉だった。これまで食べたどの肉より美味しい子牛。それとも、羊だったのか? ステーキに赤ワイン。高級な味わいに洒落た会話。弾みすぎて天井をつきぬける赤いドレス。赤ん坊の合唱。カラカラ骨のメリーゴーランド。
いつのまに寝入ってしまったのか。ソファによこたわる火乃香のまわりに、パーティーの参加者全員が集まり、上からじっと見おろす。黒い輪郭になった人たちの双眸だけが緑色に光る。何を言うでもなく、ただただ、じっと見つめるのだ。
(やめて。なんなの? 凛さん? なんで、そんな目で見るの?)
体が重いので、なんとか動こうとあがく。すると、自分の周囲には水が満たされていた。息ができない。何度も、何度も、頭を押さえつけられて、ぐったりする。赤いドレスがぐしょぬれになる。
ハッと目がさめると、凛たちはテーブルで食後のコーヒーを飲みながら談笑していた。あの不気味な黒い影の気配はどこにもない。
どこまでが現実で、どこからが夢なのか?
近ごろは火乃香自身にもわからない。
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