第30話 成海のイタズラ?
疲れはててマンションに帰った。
春翔はまた出張だから数日帰らないと言っていた。もしかしたら、嘘なのかもしれない。仮面夫婦に疲れて、どこかへ泊まりに行くだけなのかも。
今夜から一人だ。でも、そのほうが火乃香も都合がいい。優子を部屋に呼んで相談しよう。
「君の夫は最低だな。妊娠中の妻を置いて出張だなんて。ほんとに一人で平気?」
心配げな凛に、火乃香はムリに笑みを見せた。安心させないと、凛は行ってくれないと思ったのだ。
「優子さんに来てもらうから、平気」
「そう? じゃあ、お大事に。何かあれば力になるよ。住職からおもしろい話も聞けたしね。もっと調べておく」
そういえば、凛は住職と何やら話しこんでいた。火乃香はそれどころじゃなかったから、ほとんど聞いていなかったが。
二十三号室のドア前まで、凛が送ってくれた。ほんとなら、部屋のなかでお茶くらいは出したいところなのだが、今は早く優子に会いたいので、手をふって見送った。
凛の背中が遠くなってから、鍵をとりだし、ドアをあける。
その瞬間、火乃香は玄関口に腰をぬかした。
以前、成海がひそんでいたあの物置の前に女が立っていた。黒っぽい影のような姿は臼井成海だ。さっき、バスのなかでも見かけた。まさか、ほんとに同乗して、いっしょに帰ってきたのか?
いや、でも、あの影はすぐに消えた。ただの目の錯覚だ。ほんの一瞬だったし、ショックと疲労が見せた幻覚に違いない。呪いなんて、もう終わったんだから。
でも、目の前には現実に成海がいる。それも、あきらかに生きていない。肌の色が異様に青黒く、モノクロ写真から這いだしてきたように変なのだ。着ているコートはこの前、喫茶店から逃げだしていったときと同じだ。その前面がぬれたように、ひときわ黒い。
成海はこっちを見ていたが、やがて、廊下の奥へ消えていった。
火乃香は玄関にすわりこんだまま、立ちあがれない。が、数分もたって、ようやく気力を持ちなおした。
もしかしたら、またこの前のようなイタズラかもしれない。成海はどうやってか、自分を影のように見せ、火乃香をおどかしているのだ。男をけしかけて、あんなことをさせておいて、その上、また部屋に侵入するなんて——
恐怖を通りこして、むしょうに腹が立ってきた。怒りと悔しさで、全身がふるえる。
(ゆるさない。わたしの大切なお人形を壊した
体の内側からマグマが噴出した。いつもの火乃香なら、とても一人で追っていくなどできなかった。でも、このときは自分が自分じゃないような感覚で、成海の影が歩いていったほうへむかった。まがりかどのさきにはリビングルーム。その奥に夫婦の寝室がある。
廊下をまがっても成海はいない。リビングのドアをあける。が、そこにも人影はなかった。ただほんのりと匂いを感じた。
なんだろうか? 鼻を刺すアンモニアの匂い。むろん、出かける前にはなかった。
火乃香は匂いのもとをたどっていった。寝室のドア前でその匂いを強く感じる。
(ここだ)
匂いのもとが寝室にある。
でも、おかしい。いくらシーズンオフまでクリーニングに出さないと言っても、羽布団がここまで匂うはずもない。まるで公衆トイレだ。成海が寝室に何かしでかしたのかもしれない。
ますます腹が立ち、火乃香は思いきりドアをあけた。出入り口に春翔が倒れている。失神しているようにも見えるが、かなり酒くさい。
「春翔さん?」
なんで、春翔が部屋にいるのだろうか? 今夜は帰らないはずだ。出張ではなかったのか?
(やっぱり、嘘だったんだ。ほんとは成海と浮気してたんだね)
でも、それにしても、さっきの成海の影は? 生き霊? ただの幻? 生きている人間のようではなかった。
のろのろと視線を室内へ移していった。予感はあった。これまでの経験から言っても、何かがあるだろうと。
それはベッドの上にあった。最初に見えたのはハイヒールをはいた両足だ。ふともものあいだに大きな黄色いしみがある。アンモニアの匂いはコレのせいらしい。
(穢らわしい……)
汚い女にふさわしい汚い死にかただ。
ベッドによこたわった成海はネクタイで首をしめられ、死んでいた。紫色に顔が
寝室とベッドを汚されて憤りを感じつつも、その死にざまを見たとき、火乃香はおかしくなった。クスクスと笑い声がもれるのを、他人ごとのように聞いた。
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