四章
第27話 姫原をたずねて
姫原は同じ県内の山間部にあった。山と山のあいだの盆地が旧姫原地区。今現在は付近の市町村と合併している。
モダンで快適な高層マンションにひきこもっていたので、外に出るのはひさびさだ。田舎の壮大な風景に圧倒される。とにかく、空が広い。三百六十度、ぐるりと山なみにいだかれた平原が続いていた。
そういえば、祖父母の代までは、火乃香の家族も地方暮らしだ。
父が再婚して、うとまれるようになってからは、長い夏休み、祖父母の宅に預けられた。火乃香も義母と顔をつきあわせているより、可愛がってくれる祖父母との生活のほうが気楽だった。祖父母の家は湖のそばだが、田舎の景色はどことなく似ている。
母の実家には行ったことがない。父との結婚をゆるしてもらえなかったからだと、母は言っていた。両親の反対を押しきっての結婚だったと。母がもっと生きていれば、そのうちにはわだかまりもとけ、つれていってもらえたのかもしれない。
「日本昔話みたいな景色」
「まちがいなく空気は澄んでるね」
目立たないようバスに乗ってやってきた。途中までは電車で。
人影は少ないものの、美しい凛と歩いていると、男女問わず、みんながふりかえっていく。
木漏れ日が快適な小春日和だ。道の両脇には雪が残り、地蔵のよこに雪だるまが立っている。
なんだか、デートに来たようでくすぐったい。自分たちはどんな関係に見えているだろう? 旅行中の恋人同士に見えるだろうか?
出発前、
「まず、寺へ行こうか。
じつを言うと、春翔の故郷であるこの地に来たのは初めてだ。両親に紹介されたときも、あちらが東京へ来てくれた。火乃香の側は両親と音信不通だから、来るはずもない。東京見物したいという姫原の義父母の要望がそのまま通った形だ。火乃香も田舎へ行くより、そのほうが気兼ねなくていいと思った。
旧家だとは聞いていたが、まさか、ここまで金持ちだったとは。
「お寺を自分の家用に建てちゃうとか、スゴイ」
「最初の当主がもと坊主だからだろ? 先祖は栄えたみたいだが、今はふつうだよ」
凛の口調にすねたような響きがあったので、火乃香はまじまじとその美しいおもてを見つめた。まさか、この人は妬いているのだろうか? 春翔の先祖に感心したことが、春翔を褒めたような気になったとか?
「凛さんのお宅のほうがスゴイですよ? あんな大きなタワーマンションを所有してるなんて」
試しに言うと、目尻がさがった。
(やっぱり、すねてたんだ!)
思ってたより子どもっぽい。でも、そんなギャップも可愛い。
「地図によると、こっちだね」という凛についていく。いちおう、火乃香は春翔の家族にぐうぜん出会ったときの用心に、つばの広い帽子をかぶり、マスクをしていた。夫の地元で夫以外の男性と歩いているのはよくないだろう。
もういっそ腕を組んでいきたいところだが、二重の意味でそれができないもどかしさ。
田んぼのなかにまっすぐ続く車道を、そうとう歩いた。いつもなら絶対に車か自転車を使う距離だ。でも、凛と二人だと、それも楽しい。
「牧歌的だな。春になったら、稲が植えられて、いちめん緑になるんだろうね」
「雪景色もキレイ」
「疲れない?」
「大丈夫」
ほんとはちょっと吐き気がしていた。車酔いかもしれない。いつもは酔わないのに。
山ぎわでようやく山門が見えた。赤い千両の実が門の脇からのぞいている。風情のある前庭。だが、奥には墓地があった。見えざるものが見えるかもしれないと、とっさに目をそらした。
予想より小さなお寺だ。古ぼけた本堂が一つある。ほんとに姫原家が自分たちのために建て、その後、村人の菩提寺になった——そんな感じ。わざわざ観光に来る人などいない。
どうするのかと思えば、凛はいきなり本堂への階段をあがる。雨戸は閉ざされている。もしかして無住だろうか?
「ごめんください。どなたかいらっしゃいませんか?」
戸口をあけて、凛がおとなう。なかから猫が一匹、ゆるりと歩みでてきた。首輪をつけた三毛だ。つまり、飼いぬしがいる。
「こんにちは。どなたかおいでじゃありませんか?」
凛の声が薄暗い本堂に響く。しばらくして、返事があった。
「いますよ。どなたです?」
本堂の奥から、男が一人、現れる。作務衣を着た僧侶だ。この寺の住職だろう。
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