第24話 亡霊マンション



 深夜二時。

 ようやく目があいかけてきた。近ごろは不安のせいか、なかなか寝つけない。眠るのが怖い。


 夢を見るからだ。

 現実のなかにまで、境界を越えてやってきた彼らが、夢の世界ではさらに猛威をふるう。


 眠りの意識では、火乃香はよくマンションを歩きまわっていた。ふだん行動する範囲から外れたすみずみを徘徊している。

 そして、マンションのあちこちで彼らに出会った。廊下のすみ、ドアの前で、あるいは屋上。生まれたばかりの赤ん坊が空中に漂い、泣き叫んでいる。生まれてきた不幸を嘆くように。マンション内はあっちもこっちも、不気味な赤ん坊の合唱でいっぱいだ。


「なぜかわかる?」


 とつぜん、誰かに話しかけられる。いつもの友達だ。長い黒髪の優しそうな目をした彼女。でも、上半身がずぶぬれで、目や耳や鼻からダラダラ水を流している。


「農場なのよ。あれはみんな、収穫された商品なの」

「農場? 収穫って?」


 その単語の意味にふさわしいものはどこにもない。イチゴ狩りやブドウ狩りのように、すずなりにぶらさがっているのは、赤ん坊だ。


 戸惑っていると、友達は急に水槽のなかでバシャバシャあばれだす。彼女は人間に捕まった人魚姫なのだ。不老不死の妙薬としてその肉を食べられてしまう。


「だから言ったじゃない! 早く逃げなさいって」


 ウロコをそがれ、刺身にされ、大皿にお頭つきで盛りつけられた友達が口から血を吐きながらわめく。


 そこで火乃香はとびおきた。まただ。また、あの夢を見た。


 息をはずませて胸を押さえる。となりを見ると、春翔はいない。時計は二時を示している。こんな時間に、どこへ行ったのか?


 隣室から低い声がかすかに聞こえた。夢の続きかとこわばる。が、その声の響きは春翔のようだ。誰かと話している。今、この真夜中に?


 なんとなく予感がした。

 火乃香はベッドをすべりおり、そっと寝室のドアをあける。

 思ったとおり、春翔はリビングルームで電話している。手で口元をおおい、ボソボソと話しているので、内容までは聞こえない。が、とぎれとぎれに耳に届く言葉は、仕事上の話題のようではない。


「……それじゃ、約束が……おまえが言うから……そんなの、おれにはできないよ」


 口調から言って、相手は友人か家族。そこそこ親しそう。

 しばらく話したあと、スマホのスピーカーから、むこうがわの声がもれ聞こえた。男のように低い独特な声。機械を通しているので、少しつぶれているが、あんな声の女はそういない。


(臼井成海だ)


 凛の言ったとおりだった。春翔は成海と浮気していた。二人で共謀して、火乃香をだましたのだ。


「とにかく、今は会えない。もう切るぞ」


 電話を切って、春翔が寝室へ歩いてくる。火乃香は急いでベッドに戻り、目を閉じた。



 *



 翌日。

 ためらいつつ、火乃香は凛に電話をかけた。以前、何かあったら連絡してくださいと、電話番号を渡されていたのだ。


「相談したいことがあって……」

「今すぐ、こっちに来るといい」


 快く承諾され、火乃香はエレベーターに乗った。今日は一人だ。これまで、要女につれられて行ったことはあるものの、単身では初めて。そう思うと緊張する。


 途中でエレベーターが止まった。二十八階。この上に行く人がいるのか? マンションの共有スペースはほとんど一階部分に集中している。屋内プールは地階。

 ふつうの住人が二十八階より上にあがるなんて、まずない。あるとすれば、二十九階に知りあいが住んでいるのだ。


 そういえば、このマンションの住人には特別なつながりがあるらしい。

 要女に聞いたのだが、なんとか友の会みたいな名前のクラブ。このマンションに住み、水準以上の収入を得ているか、文化人として認められた人たちのみが入会を許可される。とくに二十階以上の住民に多いと聞く。地方の名士のほとんどが入っているので、そのクラブに入会できただけで、いい仕事をまわしてもらえ、県内では栄華をきわめられると聞いた。入会希望者があとを絶たないと。


 ドアがひらいたので、火乃香は心なし、わきによけた。が、かるく会釈を返して入ってくる女を見て、思わず、立ちすくむ。叫びそうになるのを必死にこらえる。

 女は火乃香の態度には気づかなかったのか、背をむけて二十九階のボタンを押した。


 そのあいだ、火乃香は気が気じゃなかった。女の頭部をかこうように、子犬サイズの赤ん坊が三人もぶらさがっている。


 もちろん、生きてはいない。それはきれいに骨だけの骸骨だからだ。洗われたように白い骨の赤ん坊が、小さな手で女の頭に三方からしがみついている。女の顔は小さな怪物たちに完全に隠されている。それが見えていないのか、女はあたりまえの態度だ。ときおり首や肩を小さくまわすのは、いるからだろう。あんなものを三つもぶらさげていれば、それは肩もこる。


 カラカラと、骨と骨がぶつかりあう音。赤ん坊たちはかんだかく泣きながら、グルグル同じ方向にまわりだす。


(骨のメリーゴーランド)


 骨の乾いた音が音楽がわりの機械木馬だ。

 火乃香は吐き気をおぼえて口を押さえた。

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