第23話 見える



 駐車場は地下なので、いつも薄暗い。壁ぞいと柱まわり、エレベーター付近には照明があるものの、それだけではすべて照らしきれない。何しろ、三百戸の付属駐車場だ。とにかく広い。


 太い四角い柱が等間隔にならび、薄墨がにじむような闇と光に交互に沈むさまは、古代の怪しい神殿にも見える。


 その柱のかげを、ヒラリと白っぽいものが舞った。最初はハンカチか、もっと大きいとしてもシーツ状のものに見えた。風もないのに、なぜ、そんなものが漂っているのだろうと不審に思い、火乃香は注目した。


 シーツにしては、フワフワして、半分透けている。それに、ふとした拍子にスッと消える。でも、また現れるのだ。切れかけた蛍光灯のように点滅しているみたいだ。


「火乃香。大丈夫? 貧血?」

「あ、うん」


 エレベーターを降り、置き配ボックスに近づく要女に、火乃香も従った。ボックスをのぞいているあいだ、駐車場には背をむけている。

 なんとなく寒気がして、ふりかえった。すると、停車した青い車のまわりに、さっきの白いフワフワしたものが浮かんでいた。大きな花か、コウイカのようにも見える。あるいは鳥。ゆっくりと羽ばたきながら、青い車を旋回せんかいしている。


(キレイ……)


 深海の底を遊泳している気分。それがなんなのか、説明はつかないが。


 見とれていると、しだいに白いオブジェの動きが速くなっていった。もう美しいという感じじゃない。目がまわりそうな高速回転だ。それに、さっきまでは優雅に見えた羽ばたきが、やけに苦しげで、地面スレスレから天井まで激しく上下する。何かしらの生き物が瀕死ひんしになりながら、必死に逃げまどい、もがくさま……。


 次の瞬間、ほんの一瞬だが、コウイカのような白い半透明のに、首が生えた。ハッキリと女の顔が浮かびあがる。病魔に侵されながら悶えるごとき苦痛の表情が、ただれて薄墨に溶ける。


 思わず、悲鳴をあげていた。叫び声を発し、エレベーターへかけこむ。


「ヤダ。ちょっと、どうしたの? ビックリさせないでよ」


 箱をかかえたまま、要女が追いかけてきた。しかし、火乃香はとても口のきける状態ではない。気が違ったみたいに閉じるボタンを連打した。


 やがてドアはノロノロと閉じていく。完全に閉まる直前、そのすきまのすぐむこうに、さっきの女の顔がぼうっと浮かんだ。血まみれの青黒い顔が苦痛の叫びの形に口をあけ、こっちを見ている。


 火乃香は床にくずおれる。腰がぬけ、全身がガクガクふるえる。


「火乃香? ほんとに、どうしたの?」


 不思議そうな要女を見て、そのときになって気づいた。。あんなに近くまで迫っていた女の顔が、要女には見えていなかったのだ。誰かのお芝居などではない。ほんとに本物の霊的な何かだ。


 夢のなかだけの存在だった彼らが、現実にまであふれだしてしまった。壊れて蜘蛛の巣だらけになった火乃香の手足のヒビ割れから、夢の世界がもれだしてくる。


 そのあと、どうやって上階まで戻ったのかわからない。たぶんだけど、泣きわめいて手に負えなかったのではないだろうか。

 やっと落ちついて、気がついたときには、目の前に凛がいた。最上階のようだ。困った要女がつれてきたのだろう。


「大丈夫。何があっても、僕がついてる。心配するな」


 耳元でささやかれる言葉の意味がトロトロと遅れて浸透しんとうする。


 ああ、これだ。これが聞きたかった。春翔の口から、この呪文が唱えられると信じていたのに、裏切られた。でも、今、この人は魔法の呪文をささやいた。

 火乃香のヒビ割れた陶器の胸の奥へ、その呪文は光のようにしみこむ。


「凛さん……」


 すがりつくと、モスノートの香りが心地よく鼻腔びこうをくすぐる。


「さあ、何があったか話して」

「でも……きっと信じない」

「信じるさ。君の言うことなら」


 さっきまで恐怖にふるえていたのに、この人といると安心できる。全身でもたれても決して壊れない、ゆり椅子の心地。


 火乃香はグズグズと子どものように鼻を鳴らし、さっき地下駐車場で見た亡霊について話した。


 凛と要女が神妙な顔で目を見かわす。

 それに気づいて、火乃香はとたんに不安になった。まさか、この人たちは火乃香の正気を疑っているのだろうかと。


 だが、違っていた。


「青い車。車種は?」


 火乃香は首をふる。車種とか、そういうのにまったく興味がないのだ。高級な普通車だったとしかわからない。


「じゃあ、どのへんに停まってた?」


 そばの柱のナンバーを言うと、凛はますます難しい顔をする。火乃香はあわてた。


「嘘じゃないの。わたし、ほんとに見たの」

「嘘だなんて思っていないさ。そこなら、七藤ななふじ夫妻の停車場所だね。あの夫妻、以前に交通事故を起こしてる」


 要女も真剣な面持ちでうなずく。

「ドライブ中に夜道で歩行者がとびだしてきたんだっけ? 相手の女の人は死んだって」


 間違いない。さっきの女だ。

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