第19話 成海との対話



 朝になって、火乃香は警察に被害届を出した。成海が家のなかに侵入した罪でだ。凛に頼んで、成海が部屋から出ていくときの防犯カメラの映像をコピーさせてもらった。


 この時点で、火乃香は春翔の言葉を全面的に信じていた。成海が愛人なら、火乃香が警察に行くというのをひきとめただろうから。

 対話だけなら、二人で口裏をあわせられる。が、警察への届け出は完全に成海を犯罪者にする。愛人なら、させるはずがない。


 警察で事情を説明したあと、その場で春翔は成海に電話をかけた。


「LINEはブロックしたし、こっちの番号は変えたけど、成海がまだ前のままなら……」


 そう前置きして、春翔は電話をかけた。春翔によれば、大学二年で別れたあと、しつこくするなという主旨の連絡を数回した。それが最後だという。

 だが、電話は通じた。スピーカーにした内容はまわりにいる火乃香や警官にも聞こえた。


「ハルくん。そっちからかけてくるなんて、めずらしいね」

「会って話がしたい」

「もちろん、いいよ」

「今すぐ、駅前のカフェに来てくれ」


 あまりにもふつうの会話で、ほんとはやっぱり二人がグルなんじゃないかと思った。

 駅前にあるカフェの目立たないすみっこのテーブルに、春翔は一人ですわる。火乃香はななめむかいの席に私服刑事といっしょにすわった。


「待った? ハルくん。ひさしぶりのデートだから、おめかししちゃった」


 やってきた成海はたしかに、この前の生首女だ。特殊メイクはしていないが、目元だけでハッキリ識別できる。美人ではあるものの、背が高く、声も低くて、一見すると男のようだ。うらやましいくらいのモデル体形。火乃香とは正反対のタイプである。


「デートじゃない。何回も言うけど、おまえとはとっくに別れたんだ。今日呼びだしたのがなぜか、わかるだろう?」

「あたしに会いたかったんでしょ? わかるよ」


 春翔は深々とため息をつく。

「おまえ、おれの部屋に侵入しただろう? オバケに化けて、火乃香をおどかした」


 だが、成海はそれでも不気味なくらい上機嫌で笑っている。

「あなたに頼まれたからじゃない」


 火乃香はドキンとした。エレベーターに乗っているとき、それが音もなくスーッと降下していく感覚。目の前が暗くなり、一瞬、意識が遠のく。


 春翔に頼まれた……まさか、ほんとにそうなのだろうか? 春翔は二人のお芝居を必死にごまかすために嘘をついているだけ?


 胸が苦しくて息もできないまま待っていると、春翔はまるで害虫を見るような眼差しを成海に送る。我慢ならなくなったのか、とつぜん叫びだした。


「おまえのやってることは立派な犯罪なんだよ! おれは火乃香を愛してるんだ。おまえのは勝手な妄想だ。このストーカー女! 二度とおれにも火乃香にも近づくな!」


 あわてて刑事が二人のテーブルへかけよった。火乃香は自分の席でそれを見ている。


「臼井成海さんですね? 建築物侵入罪で逮捕します」


 手を伸ばす刑事に、成海はおとなしく従っている。不機嫌な顔つきではあったが。だが、そのとき、刑事の現れたほうをふりかえり、成海は火乃香を見つけた。完全に常軌を逸した目で凝視してくる。

 火乃香はゾッとした。その視線にさらされるだけで、全身の皮膚が焼け落ちてしまいそうな心地がするほどの強烈な憎悪がこめられている。


 成海の両側に刑事が立ち、腕をつかんでひっぱっていく。だが、その従順さは演技だった。成海は刑事のすきをうかがっていたのだ。一方が会計にむかい離れたとき、すかさず、成海はもう一人の刑事の手をふりきり、外へとびだした。


「あ、待て!」


 あわてて刑事たちが追っていく。春翔も急いで席を立つ。


 火乃香だけが喫茶店のなかでふるえていた。さっきの成海の視線が、まだ体にまとわりついている。あんなにも激しい悪意をぶつけられたのは生まれて初めてだ。あの視線が細い糸となって、全身をがんじがらめに縛る錯覚におちいった。

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