三章

第18話 臼井成海



 凛と要女が帰っていったあと、春翔はあからさまに不機嫌だった。


「どういうことだよ。さみしいからって、管理人はともかく、男を泊まらせるなんて」


 火乃香が浮気しているかのような口調で責めるので、つい感情的になってしまった。


「浮気してるのは春翔さんのほうじゃない。わたしがなんにも知らないと思って」

「おれがいつ?」

「車に元カノ乗せてた。出張なんて言って、ほんとはただの浮気旅行でしょ!」


 本気で離婚するつもりなら、確たる証拠を集めるまで、こういう話題はしないほうがいいのだろう。じゃないと相手を警戒させる。

 でも、火乃香は離婚訴訟など、どうでもよかった。感情のままに泣きじゃくる。

 春翔は神妙な顔になって、無言電話から始まる火乃香の泣きごとを聞いていた。


「この部屋から出てきたの、あなたの元カノの臼井さんだった。なんで、あの人が、うちの鍵を持ってるの? あなたが貸したからだよね? 春翔さんはわたしと別れるために、元カノと幽霊のお芝居なんかしたんでしょ?」


 ひととおり聞いたあと、春翔のおもては硬直していた。自分の浮気や仕組んだ芝居がバレたからだと、火乃香は考えたのだが。


「……結婚する前に、ちゃんと火乃香にも言っとくんだった」

「元カノとまだつきあってますって? そんなの、わたし、いくらなんでもプロポーズされてもオッケーしないよ」


 春翔は苦い顔で首をふる。


「じつは、成海なるみは何年も前から、おれをストーキングしてるんだよ」


 一瞬、春翔がヘタな嘘をついているのだと思った。浮気がバレたから、苦しまぎれの言いわけをしているのだと。


「そんなの、信じられない」

「今まで黙ってたのは悪かった。でも、言えば、君に嫌われると思ったからだ。成海とは、たしかに学生時代、ほんの二ヶ月だけつきあったよ。でも、アイツの束縛が異常すぎて、すぐに別れたんだ。そのときは納得してくれたはずだった。なのに、アイツはその後もずっと、おれの彼女みたいにふるまって、つきまとってきた。やめてくれって言っても、そのときは『わかってる』って答えるんだ。何度も引越したが、いったい、どうやってか追ってきて、部屋にも侵入してるみたいだった。警察にも相談したけど、証拠もないし、とくに被害もないから何もできないって」


 臼井が春翔のストーカー。

 ほんとだろうか?

 でも、もしもそうなら、あの無言電話も、収納スペースのオバケも、臼井成海が一人でしたこと……。


(待って。でも、いくらなんでも、同じ車内に人がいて、気づかないなんてある? バックミラーをのぞけばわかるし、それに、車のキーはどこから? この家のキーカードだって、二枚しかないって最初に言われた)


 信じたい。でも、信じられない。


「今まで侵入されたのって、春翔さんの一人暮らしのアパートだよね? そことここでは、鍵の種類が違うでしょ? ここのはコピーできないって言われた。そのへんでかんたんに合鍵なんて作れないよ」

「鍵の管理してる不動産屋に聞いてみよう」

「それに、車のなかに女の人が乗ってるの、たしかに、わたし見た。いくらなんでも気づくよね?」

「それ、ほんとなの? 昨日の朝なら、荷物があるから、乗りこむ前に後部座席もあけたけどな」

「わたしが嘘ついてるとでも?」

「そうは言ってない。けど、人間が乗ってれば、絶対、見落としはしなかったはずなんだ」


 車内の女に関しては、火乃香も顔を見たわけではなかった。黒っぽい服装から、たぶん、そのあと収納スペースにいた女じゃないかと思っただけだ。それが臼井成海だったと断言はできない。


「じゃあ、こうしよう。明日、成海を呼びだして会う。車や部屋に侵入したか聞きだす。もし、ほんとにそんなことしてたら、完全に家宅侵入罪だろ。警察にそのまま、つきだそう」


 成海が春翔の浮気相手なら、そこまでは言わないはずだ。何かを盗まれたわけでも、暴力をふるわれたわけでもないから、家宅侵入罪だけでは起訴されないかもしれないが、おそらく接近禁止命令は出されるのではないか。愛人にそこまではしないだろう。


「じゃあ、明日、呼びだしてよ。わたしは警官といっしょに隠れてみてるから」

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