第16話 悪夢



 夢を見ている。

 夢は昔からよく見た。ほとんどは、これは夢だと自覚している。いわゆる明晰夢めいせきむだ。とくにひどかったのは高校のころ。あのカラオケボックスでの悲惨な初体験があったあと。


 人が亡くなった場所に行くと、その夜の夢で、死んだ人が出てくる。ただじっとすわって、こっちを見ていたり、何かを早口でしゃべり続けていたり、あるいはナイフを手に追いかけてくる。


 夢だけど、やけに現実味を帯びていて、恐怖に悲鳴をあげてとびおきた。


 たいていは葬式をしている家の前を通ったときとか。わきに花が飾られている道を通ったとき。


 火乃香は自分がだとは思っていない。そんなことがあったのは三年間だけ。高校を卒業すると同時に、しだいに見なくなっていった。それに、覚醒しながら見るわけじゃない。あくまでも夢だ。


 でも、あとになって調べてみると、夢のなかで死人が言っていた内容が、やけに現実と符号する。顔も知らないはずの人なのに、じっさいに遺影を見せてもらうと、昨日の夢の人だったなんて、めずらしくなかった。

 あきらかに夢のなかで。そうとしか思えない。


(なんで今さら? もう治ったと思ったのに)


 誰にも相談できなくて、とても苦しんだ。義母はもちろん、父にも言えなかった。十歳下の妹にも。

 不登校になり、部屋にひきこもるようになった。外に出ると葬式に出くわしてしまうから。


 小学を卒業してから一度も会ってなかった幼なじみが家に遊びに来たのは、今にして思えば、親の差し金だったのだろう。なつかしい話の流れから、つい気がゆるんで、夢のことをほんの少しだけもらした。これは夢なんだけどと前置きして。


 そのあと、父にだまされて、あやうく精神病院につれていかれるところだった。きっと、義母や妹との幸せな家庭に、火乃香の存在がわずらわしかったからだ。いなくなってくれたらいいと考えていたのだ。このままだと狂人のレッテルを貼られて、鉄格子のついた部屋に入れられてしまう。


 火乃香はそう感じた。

 家をとびだして、逃げだした。どこか遠くへ行って、自分一人で生きていくんだと決心して。

 とにかく東京へ行こう。あそこでなら、年をごまかして働けるし、なんとかなる。女の子はかんたんにお金を稼げることを、すでに火乃香は知っていた。


 でも、けっきょくは東京行きの新幹線のなかで保護され、親元へ帰されてしまったのだが。

 火乃香がいかにも家出少女に見えたのかもしれないが、それ以上に怪しく思われる原因があった。列車のなかで、疲れはてた火乃香はうたたねしてしまったのだ。


 座席にすわりこんですぐ、ほとんど秒で寝落ちしていたようだ。気づくと、目の前の席に母がすわっていた。義母ではない。死んだ実母だ。


 まわりはじっさいに、たったいま乗車している新幹線のなかだ。でも、どこか日がかげっていた。西陽のような日差しを受けて、母が怒った顔をしている。


「帰りなさい」と、いきなり、母は説教してきた。


「どうして? 悪いのはお父さんだよ。わたし、精神病院に監禁されちゃう」

「保護されたときに、お父さんに虐待されてるって言いなさい」

「でも……」


 それは、さすがにためらわれた。父は火乃香に無関心だが、これまでに叩かれたり、罵られたり、食事をあたえられなかったことはない。


 だが、母は厳しい顔をしたまま、言うのだ。


「あの人はわたしが生きているときから、ずっと浮気してたのよ。わたしが病院で、つらく、さみしい思いをしてると知りながら、よりつきもしなかった」


 つぶやく母のおもては、生きているときには決して見たことのない暗い表情だった。陰鬱な目にギラギラ輝きがあって、怖い。鬼のようだ。霊はその人の陰の部分をさらけだす。


「いいね? お父さんに虐待されてると言いなさい。それが、あなたのためなんだから」


 言いつつ、母は火乃香の手首をつかんだ。ものすごい力だ。焼けつく痛みを感じて、火乃香は叫んだ。


 その瞬間、目がさめた。

 母の姿は消えていた。最初から夢だから、当然と言えば当然なのだが。

 でも、火乃香は脂汗をかき、涙が止まらなかった。母のあんな顔を見たくなかった。陰惨な嫉妬深い女の顔。火乃香の前ではいつも明るくふるまい、優しく、がんばりやだったのに。


 まわりの乗客が火乃香を見ながら、ひそひそ話していた。車掌がやってきて、声をかけてくる。


「君、どっか痛いの? お父さんは? お母さんは?」


 保護されたときには、家出人捜索願いが出ていた。次の駅でおろされた火乃香は警察につれていかれ、事情を聞かれた。


 火乃香はおびえてふるえながら、父の虐待を訴えた。そうしなければ、母の恨みを買いそうな気がした。恐怖は父に対していだいたものじゃない。死んだ母にだ。


 火乃香の主張はあっけないくらいかんたんに信じてもらえた。腕に真っ赤なアザがついていたからだ。夢のなかで、母につかまれたところに、くっきりと指のあとが残っていた。

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