第10話 科学的な亡霊
凛は言う。
「だって、君じゃないんだろ? なら、もう一人の住人しか、やれる人はいない」
やっぱり、春翔だ。きっと、火乃香が浮気を疑いだしたと勘づいたのだ。こんな方法で怖がらせて、ごまかそうとしたに違いない。
ポロリと涙がこぼれおちてきた。うつむいて肩をふるわせていると、背後からポンと手がかかる。
「あぶなっかしいな。君は」
冷たく見える凛だが、その手はあたたかい。ついつい、その胸にすがってしまった。熱いしずくが、とめどなくすべる。
「悪いけど、ずっとそうしてるなら、あたし、帰るよ?」
ちょっと怒ったように見える要女が言うので、あわてて離れた。彼女がいるのだと忘れていた。
「ごめんなさい。あんまりショックで」
口をひらこうとする要女を、凛がさえぎる。
「まあ、ムリもない。新婚なんだろ。夫の裏切りは衝撃だろうさ」
「あたし、どっちみち仕事があるから、いったん帰る」
要女は出ていってしまった。管理人の仕事がじっさいどんなものかわからないが、たしかに、ずっとついていてもらうわけにはいかない。それにしても、ちょっと不機嫌に見えたが。
さっきは思わず抱きついてしまったものの、春翔以外の男性と二人きりというのは緊張する。それも、こんなに綺麗な男の人と。むしろ、平凡な人なら、どう見られてもかまわないのに。
「あの……これから、どうすれば?」
「まず、防犯カメラの映像を確認しよう。昨日、この部屋に出入りした人間をチェックすれば、その女が人間なのか、不可視の存在なのかわかる」
「防犯カメラの映像なんて見られるんですか?」
セキリュティは専門の外部に頼んでいるはずだ。大手有名どころのテレビCMでもよく目にする会社。かんたんにデータを渡してくれるとは思えない。
「問題ない。データはマンションの防犯室にもとってある。祖父に言えば、見せてくれるよ」
そうだった。凛はマンションオーナーの孫だった。それなら容易に見せてもらえる。
「じゃあ、頼みます」
「その前に寝室も見せてくれる? 夜中に声が聞こえたんだろう?」
夫婦の寝室を異性に見られるのは、少し恥ずかしい。とくに、今は二人きりなのだし。でも、これは調査なのだからしかたない。要女が帰ってしまったことが悔やまれる。せめて寝室見分のあいだだけでも残ってくれていたらよかったのに。
「こっちです」
さっき、凛が侵入経路を調べていたときは、そこは寝室だからとやめてもらった場所に自ら案内する。
暗い色調が嫌いなので、寝室のカラーは落ちつきのある淡いグリーンだ。カーテンは森のなかにカラフルな鳥が飛んでいる模様。クィーンサイズのベッドのほか、ナイトテーブルと、背の高い電気スタンドがある。ガラスのシェードのアンティークな花柄だ。結婚祝いに春翔の両親からもらった。センスはいいのでインテリアとしては気に入っているが、寝室での行為を見張られているようで、なんとなく居心地が悪い。
「きっと、君の趣味だね。人柄が表れてるよ」
そんなふうに言われると、よけいに恥ずかしい。ついさきほど、すがって泣いた胸のあたたかさが脳裏をよぎる。細く見えても、そこは男性だ。火乃香が小柄なせいもあって、肩幅は広く、胸板にもほどよい厚みがあった。
人妻なのに、一人でドキドキしているのは、なんだか笑える。
もちろん、春翔への愛情とはまったく別物だ。裏切りが衝撃だったのは愛しているからだ。これまでの人生のなかで、やっと自分の居場所になる人を見つけたと思っていた。鳩が帰巣本能で巣へ戻るように、火乃香の心は春翔のもとへたどりつく。そういう相手だと……。
守ってあげたいと言ってくれた春翔の言葉。感動したのだが、あれは嘘だったのだろうか?
あれこれと思い悩む火乃香をよそに、凛は事務的に室内を調べていく。ベッドまわりやその下、ナイトテーブルの小さなひきだし、クローゼットのなか……。
「けっこう服があるな。奥まで見えない」
「春翔さんがオシャレだから。営業だし、スーツもたくさん必要で」
壁一面がクローゼットだ。火乃香と春翔で半分ずつを使っても、そうとう数の服が収納できる。奥にはカラーボックスに入れた夏物がつんであった。
凛はその奥まで入りこんでいく。やがて、満足そうな声をあげて出てくる。
「コレだ。君が聞いた怪しい声」
その手には、スマートフォンで操作するスピーカーが——
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