第148話 おっさんは、義妹に嫉妬されたり叱ったり

 「にーいーさーんー? 私がお仕事しているあいだに、まーサファイアとイチャイチャと?」


 おっさんの背後、商店街の往来おうらいにガーネットは怖い顔で仁王立におうだちしていた。

 一瞬いっしゅんで血の気の引いたおっさんは、声が裏返うらがえる勢いで絶叫ぜっきょうを上げる。


 「アイエエエ!? 義妹ナンデ!」


 その背中には仕事道具の大弓も背負われており、今まさに『るぞ』という雰囲気がある。

 おっさんは顔面を蒼白そうはくにすると、急いで言い訳の言葉をひねりだそうとするが、それは義妹の深い溜息ためいきに封じられた。


 「はぁぁ……! もういい」


 そう言うと義妹は首を横に振った。

 まずいまずいまずい! 義妹を怒らせたら、当分口を効いてもらえなくなる!

 それだけは絶対にいやだ!


 「ガーネット、俺は――」

 「いいから! 兄さん!」

 「アッハイ!」


 つかつかと、普段のかろやかな歩き方も忘れてガーネットはおっさんの前まで歩いてきた。

 おっさんは背筋を伸ばして歯を食いしばる、ぶん殴られる位は嫌だけど覚悟の上だ……嫌だけど!

 しかし激おこぷんぷん丸の筈の義妹は、一向いっこうに暴力を振るってくる様子はない。

 ただおっさんの腕を強引につかむと。


 「ほら! 私のストレス帳消しにしてもらうんだからっ! 付き合いなさい!」

 「ハイヨロコンデー!」


 ガーネットは強引におっさんの手を引っ張る。

 おっさんは一切の抵抗も見せずに、ただすがまま従った。

 しかし気掛かりもある、サファイアだ。

 サファイアを置いて行ってもいいものか? というか、いつ琴線きんせんに触れるかも分からない義妹に聞いても良いものか?

 …………無理ッ! おっさんにそんな勇気ある訳ねーだろ!

 長いものには巻かれろ主義のおっさんに、義妹に逆らうなんて無謀むぼうそのもの、おっさんは兎です!

 せめて視線は何度も後ろへ向けた。


 「そんなにサファイアが好き……なの?」


 突然、ガーネットはぼそりと呟いた。

 その顔は少しだけ赤くして、長耳をピコピコ動かしている。

 興味、関心――そんなガーネットには隠せない彼女のくせだ。


 「好き……というか、普段の礼を、だな?」

 「それが雇用契約こようけいやくでしょ? そんなの兄さん、お人好し過ぎなのよっ! まったくもう!」


 ――私が一生付いてあげなくちゃ……、ほんの小さなささやきだった。

 義妹はおっさんを心配しているんだ。

 それを、なんだかんだおっさんは駄目だめな男だから。


 「いつも駄目なおっさんでごめんな、ガーネット」

 「何言ってるのよもう! 兄さんが駄目駄目なんて今に始まったことじゃないでしょう? だからほら、手を離しちゃダメよ」


 そう言ってガーネットは怒ったような照れたような顔で、おっさんの肩にぴったりくっついた。

 普段なら、兄弟なんだからと、おっさんの方が拒否きょひしているところだが、今は口出しできる気がしない。

 ええ、おっさんは本当に駄目なおっさんです。

 付き従いましょう、地獄までさえ。


 「ねー兄さん、お腹空いてる? 先に何かお腹入れちゃう?」

 「そうだな、それも良いが」

 「決まり! 出店通りに向かいましょ!」

 「えと、サファイアは――」

 「どうせすぐに合流するわよ! あの子は絶対兄さんから離れないから!」

 「お、怒ってる? 怒ってますかガーネットや?」

 「怒ってない!」


 と否定する癖に、語気は興奮のあまり強かった。

 負けん気が強いガーネットは、だれにだって勝気だが、特に女性には厳しい。

 コールンさんなんか、もう常日頃つねひごろからうらぶしみたいにチクチク言っては、不毛ふもうな言い争いしてるし、認めているとは思うんだが銀髪メイド姉妹は、ガーネットも思うところがあるのだろう。


 「だいたいサファイアサファイアって、彼女あんな見た目でも魔物みたいなもんなんでしょ? たまたま友好的だからって――」

 「ガーネット」


 「え?」と、ガーネットは目を丸くした。

 おっさん、日和見ひよりみ主義とか、事なかれ主義、人生幸運も不幸もいらない平坦主義、なんて言われているが、これだけはたとえ義妹でも許せない事があった。

 これだけはガーネットが相手でもはっきりしとかないといけない。


 「サファイアやルビーを魔物扱いするな、彼女たちだって俺たちと同じように生きている」

 「ご、ごめんなさい兄さん……私、そんなつもりじゃ」


 今度はガーネットが弱気に口どもった。

 わかっている、ガーネットは口が悪いだけでサファイアをけなすつもりはないって。

 ただ無自覚な悪意を俺は許せない。

 ましてそれを発言したのが義妹なら、おっさんの責任でもある。


 「ガーネット、昔から俺は言っているよな。亜人デミ・ヒューマンという考え方そのものが、人族の優位主義による差別だって」

 「お前はエルフだが、それは恥か? ……だっけ? 私は人族の生活環境で育ったから実感がなくてわからないけど」

 「本来は魔族や鬼人オーガ族など、敵対的な民族もいたが、種族ではなく、恨むなら個人を恨めと教えたな?」

 「う、うん」


 おっさんも魔族はそりゃ恐ろしい。

 この世で最も危険な種族と言われているほど、好戦的で独特の価値観にもとづく魔族とは、相容あいいがたい。

 けれどそれで種族そのものを憎めば、人族こそ罪悪の種族に成り下がるだろう。

 冒険者として生きてきたガーネットは、それだけいろんな危険な魔物と遭遇そうぐうしてきただろう。

 駆除くじょ虐殺ぎゃくさつか、その線引は実に難しい。

 だからおっさんは国語を……道徳どうとくを忘れてはいけないと思っている。


 「兄さん、臆病おくびょうくせに、どうして魔族をうらまないの?」

 「恨めんさ、どっちにしたってくそみたいなやつらがいたってだけだ」


 実のところ、恭順きょうじゅんを早期に示した魔族は存在する。

 サキュバスと呼ばれる魔族の一民族が有名だが、それ以外にもほとんど不干渉ふかんしょうのトロル族、オーク族などがいる。

 おっさんからすれば、親父とさえ分かりあえないのに、それを他種族にまで向けたらもう己の価値観なんてぐちゃぐちゃだった。

 特に――戦争という特殊な状況にさらされたおっさんは、あそこで見たくもないほど嫌な現実を浴びせられたんだ。

 おっさんにとって本当に辛かったのは、まあ戦後なんだが。


 「サファイアの行動はリスペクトしろ、彼女に他意たいはないだろう?」

 「……うん、分かってる。感謝してるわよ……全く裏表ないから、やきもきするんだけど」

 「うむり、ガーネットも良い子」


 おっさんは義妹の綺麗きれいな金髪を優しくでると、義妹は顔を赤くして手をはらけた。


 「もう、子供じゃないんだから、やめてよねそれ」

 「ええー、昔は喜んでくれたのにな」

 「何年前よ! 私もう独り立ちしたレディよ!」


 相変わらず増せた子供です。

 おっさんはガーネットが微笑ましかった。

 自分を大人だと思っているガーネットの子供っぽさが愛おしくさえある。

 しかし言葉にはしない、これ以上ガーネットを怒らせるのは得策とくさくではない。


 「サファイアは尻尾を振るくらい喜ぶのに」

 「あの子特殊性癖せいへきよ、絶対。大体ご奉仕ほうし病まで併発へいはつしてるし」

 「ショゴスのさがだと言っていたが、病気扱いか」

 「病気じゃなければなんなの? 主様主様ーっ、てピーチクパーチクやかましく」


 そんな風にやいのやいの言い合っていると。

 主様ー。どこですか主様ー……と、透き通るような声が聞こえた。


 「ちっ、狙ってるんじゃないでしょーね?」


 悪態をつく様を隠しさえせず、ガーネットは舌打ちをした。

 うん、こういう腹黒いところ嫌いじゃないよ?

 ガーネットらしいって言ったら、グーパンで殴られて、怒られるだろうな。


 「主様ー、サファイアです。主様ーどうかお返事をー」


 やがておっさんを探すサファイアの声が頭上から聞こえてきた。

 大蝙蝠ジャイアントバットめいた翼を広げて、空を滑空するサファイアを目撃する。

 おっさんは足を止めて手を上げようとするが、義妹はそれよりも早くおっさんの腕を強引に引っ張る。


 「兄さん、あっち行きましょ!」

 「えっ? あっちは風俗街ですが?」

 「構わない!」

 「構うよ! 主におっさんが! 学生に知れたらおっさんもう学園にいられない!?」

 「あーもう! 折角兄さんと二人っきりなのにーっ! こっち来んなサファイアーっ!」

 「あの声……? あっ、主様こちらでしたかー」


 キシャーっと、猫みたいに威嚇するガーネット。

 サファイアは動じることもなく空から落ちてくる。

 おっさんは苦笑すると、もう諦めろとガーネットの腕を引いた。

 このままじゃ本当にラブホテルに連れ込まれかねん。

 どこぞの噂好きにでも知られれば、おっさんの社会生命まじで終わるから、絶対阻止な!

 真面目な話してるときに、こういう落差――やっぱり人生平坦とはいかないな。畜生ちくせう

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