第143話 おっさんは、野菜をスープ頂く

 夢を見ている――――セピア色に染まった夢を。

 若い頃の記憶、ある少女が微笑ほほえんでいた。

 昔、仲の良かったその子は、おれの手を引っ張って行くと、どこまでも広がる野原を駆け走った。

 けれど俺は体力が続かず、心臓がバクバクと鳴って、動悸どうきが激しくて息を止める。

 苦しい……足も、呼吸も――なによりも。

 彼女の笑顔がどうして苦しい?


 本当に苦しいのは心なんだと理解することは出来なかったが、ただその存在しない記憶に、残念ながら俺は楽しく浸れはしないらしい。

 ごめん、ごめんな……。俺がもっとしっかりしていれば、君を失わなくても済んだはずなのに。

 あぁ、どうして俺は生きているんだろう……君よりも生きている価値なんてあったのか。

 人生の半分を過ぎれば、それはもうアディショナルタイムだ。


 おっさんはもう、頑張るのは――――――疲れた。




 「――んあ?」


 手が伸びていた。

 何かを掴もうと、おっさんの見慣れた手が白い天井に伸びている。


 「……夢、か」


 おっさんは身体を持ち上げると、憂鬱ゆううつ気味に頭を抱えた。

 ベッドからのそりとい出ると身体があせばんでいる。

 おっさんは朝が弱い、窓を見ると既に太陽は昇っていた。


 「今日は……収穫祭、だったな」


 久しぶりに休みだ、とはいえ寝て過ごすという訳にもいかない。

 んんっ、思いっきり背筋を伸ばして、意識をはっきりさせる。

 完全に目が覚めると、のそのそと物臭に個室を出る。キッチンに二人の女性が立っていた。

 それは少し奇妙な組み合わせだった。

 サファイアとガーネット?

 エプロンを付けた二人の女性。ガーネットは柳眉りゅうびひそませ険しい顔だった。


 「これでは味が薄いです。出汁が足りていませんね」

 「ぐぬぬぅ、兄さんは美味しいって言ってくれるのに」

 「主様はガーネット様に甘々あまあまです。ガーネット様は甘やかされ過ぎです。もう無菌むきん室の薔薇のようにでられたのでしょう」

 「うぅ、私だってちゃんと料理上手にならないと」

 「……料理の練習、か?」


 後ろから声を掛けると、二人はおっさんに気づいて振り返った。


 「あっ、おはよう兄さん!」

 「おはよう御座ございます主様、すぐに朝食のご用意を」


 おっさんはゆっくりダイニングテーブルの前に座ると、サファイアは手早く朝食を用意してくれる。

 それを羨望の眼差しでガーネットは見ていた。

 ガーネットも女の子、冒険者っつっても、やっぱり家庭的なサファイアに思うところはあったんだな。

 おっさんは頭を掻くと、ガーネットの作った野菜スープを見た。

 随分と懐かしい、特に褒める点のない微妙なスープだ。

 だがおっさんにとって、それは大切なスープである。


 「なあ今日はガーネットの、その、スープが飲みたい」


 おっさんがそう言うと、ガーネットは花が咲くような笑顔を浮かべた。

 心做こころなしかサファイアの鉄面皮てつめんぴが呆れたような気がするが、これがおっさんの生態せいたいだ。

 おっさんはさびしいと死んでしまう生き物なのだ。


 「じゃ、じゃあすぐ用意するわね! ふんふんふ〜んっ」

 「主様……アレは水です。ブイヨンも、野菜のお出汁もまるで出ていません」

 「だがそれが良い。ガーネットのは特別だ」

 「主様は甘過ぎます、ミルクチョコレートのように甘々です」


 だってガーネットにきらわれたくねーもん。


 「どうして主様はガーネット様をそこまで溺愛できあいされるのですか?」

 「それは――」

 「そんなの決まってるじゃない! 愛する家族だからよっ!」


 おっさんが答えようとするが、被せるように上機嫌じょうきげんなガーネットが言葉を重ねてきた。

 家族愛、そうだな……半分は正解だ。家族愛はおっさんにも大切だからな。

 もう半分は……ガーネットにも言えないわな。


 「はい兄さん、いつものスープよ!」

 「ん、いただく」


 相変あいかわらずガーネットの野菜スープは微妙な味だ。

 サファイアが水だと言ったのも頷ける。不味まずくもないが美味くもない味である。

 一方で慣れた味だ。おっさんが家を飛び出して一人暮らしを始めた時、しばらくしてガーネットが転がりこんできた。ガーネットは慣れない炊事を苦心して熟し、この微妙な野菜スープは誕生した。

 俺が美味い美味いと食べてやると、ガーネットは嬉しそう笑ってくれたもんだ。

 それからだ、ガーネットが微妙な味付けしかできなくなったのは。

 もっとも何故かタマゴサンドだけは本当に美味しかったがな。


 「どう兄さん?」

 「ん、美味い」

 「タマゴサンドもどうぞ」


 ん、そう言えばサファイアが今日出したのはタマゴサンドか。

 しくもそれはガーネットの得意料理だ。

 おっさんは腹が空いていたので、すぐにタマゴサンドへとかじりつく、そしてその美味しさに驚天する。


 「如何いかがでしょう? 何かをわずかでもご不満があればなんなりと」

 「驚くほど美味い」

 「あるぇー? 兄さんの反応が天と地ほど違う気がー?」


 だって本当にサファイアのタマゴサンド美味しいんだもん。

 ガーネットのタマゴサンドも美味しいけど、はっきり言ってレベルがまるで違うぞ。

 ピリっと辛味があり、タマゴは甘くふわとろで、新鮮なレタスが食感をいろどる。

 ただ、それだけなのに粗探あらさがしするのがむずかしいレベルだ。


 「もぐもぐっ、そう言えばルビーとコールンさんは?」

 「コールンさんなら朝一番に出かけたわ、例の知人に会いに行ったんでしょう?」

 「ルビーなら外の清掃中です」

 「そうか……寝すぎたかな?」

 「まあ兄さん休みだと自堕落じだらくだし」


 そりゃおっさんだもの。

 家にいるだけで邪魔者じゃまもの扱いされるおっさんの居場所はどこ? ここ?

 賭博とばく競竜ディノレースもやらないおっさんには、寝てる位しかない。


 「ガーネットは冒険者ギルドには寄るのか?」

 「うん、一応すぐ出来る仕事ないか探してみる」

 「ガーネット様は、冒険者稼業が本当に好きなのですね」

 「そりゃ生業なりわいだし、そういう物は癖付くせづけとかないとね!」


 おっさんなら出来れば仕事は辞めたいがな。

 ガーネットは仕事が好きというより、完全に貧乏びんぼう時代の癖だな。

 新人冒険者の時代はおっさんの方が稼ぎが良かったから、意地でも仕事を取るという癖が付いている。

 中堅冒険者になってからは収入が逆転したが、変わらず毎日冒険に出てたからなー。


 「ふと疑問に思ったのですが、ガーネット様はなんのために冒険者に?」

 「なんでって、そりゃお金の為でしょ?」


 ガーネットは目をまたたかせると、当然というように手でお金を表現した。

 言い方は悪いが、ガーネットは金にうるさい。

 守銭奴しゅせんどかと思える程、散財さんざいはしないからなぁ。


 「ではもう余る程稼いでいると思うのですが、何故続けるのでしょう?」

 「うーん、なんでだろう? 私もう職業病かな?」

 「プロ意識だろうな、老後も安定なくらい稼いでいる癖に」


 よほど散財しないなら、死ぬまで自堕落に生きられる程稼いでいる筈だ。

 本人は冒険者は出費も多いと愚痴ぐちっていたが、辞めれば貯蓄が物を言うだろう。


 「いやでもさ? 武器を新調しようと思うと結構お金掛かるしさ?」

 「あー、前に三百万ゴールドもする弓が欲しいって言ってたな」

 「三百万ゴールド……高級茶葉30kgキログラム相当……」


 サファイアが金額を聞くと思わず、目をくらませた。

 高級茶葉換算で考えても、高級茶葉って高っけーなぁと思うが。


 「ガーネット様、貯蓄はどうなっているのでしょう?」

 「えー? 銀行に預けている分だと、五百万位?」

 「……大金持ちです。何故冒険者を続けるのか、サファイアには分かりません」


 おっさんもガーネットに甘えるつもりはないから、自分の金は自分で稼ぐが、ガーネットって改めて凄いな。

 ガーネットクラスになると冒険者がいかに稼げるか理解わかる。

 そりゃ一攫千金いっかくせんきんを求めて冒険者は後を絶たないわな。


 「ん、ごちそうさま」

 「お粗末様そまつさまです」

 「兄さん途中まで一緒に歩こう!」


 サファイアは食器を受け取ると洗い台に持っていく。

 おっさんは紅茶をいただきながら窓の外を見る。

 今日も快晴、青空がどこまでも広がっていた。

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