第142話 おっさんは、仕事を手伝う

 収穫祭前日、今日もおっさんはいつもどおり仕事に専念せんねんしていた。

 とりあえず年末までは学園内にこれといったイベントもない事だし、おっさんからすれば楽な仕事だ。

 ……と、思っていたのだが、所詮しょせんおっさんの希望なんて、らぬタヌキ皮算用かわざんように過ぎないのか。

 おっさんは今とある生徒のために補習をしているのだが、この補習を受けている生徒が問題なのだ。

 そう、言うまでもなくローズのことだ。


 「ひーん、終わったよぉ、よよよ」

 「よし、今日は帰ってもいいぞ」


 ローズは泣いているように見えるが、あれはちっとも悲しいなんて思っちゃいない。

 嘘泣うそなきの下手なやつである。


 「あーっ、座学って退屈だわー」

 「だったらなんで国語科を受講してるんだ?」

 「んー、グラルが気になるから? なーんて」


 戯言ざれごとを言うローズをおっさんはブタを見るような目で見下みくだした。

 こういうあわれな奴は毎年いるもんだ。


 「ちょ、なによその目は! そんな目で私を見るなーっ!」

 「もういい、さっさとアルトのもとにいけ」

 「アルト? 私がどうしてアルトに?」

 「は? お前アルトといつも一緒だろうに」


 付き合っているかと問われれば、そんな感じはないが、なんだかんだローズはアルトを気に入っている。


 「アルトは気に入っているけど、いつも一緒じゃないわ。見ていて楽しいけどね」

 「なるほどな、それじゃぐ帰れよ」

 「やーん! ちょっとは興味を持ってよー!」


 おっさんはローズの提出した答案用紙をまとめめると教室を退出した。

 ローズは教室でやかましくしているがもう無視だ。

 明日は休校だから、仕事は早めに片付けないとな。


 「失礼します」


 担任室に入るといつもの先生方が作業に追われていた。

 国語科よりも受講生の多い科目はそれだけ作業量も多い。難儀なんぎなものだ。


 いつもどおり自分のデスクに向かうと、ローズの答案用紙を確認する。


 「アイツ、知能自体は高いんだよなぁ」


 答案用紙はほとんど正解であり、巫山戯ふざけてなければ優等生なのだから、おっさんからすれば頭が痛い。


 「おっ、何々なになにローズちゃんの答案?」


 隣で昨日と同様の量の仕事に追われていたレイナ先生がのぞき込んできた。

 答案をチラッと見せると、レイナ先生は答えに驚いた。


 「あの青薔薇あおばら奇公子きこうしが真面目に答えているですって?」

 「ひっでぇ言われようだなローズ……」


 学園内でどんないわれ方をしているかはおっさんも知っているが、改めてあのハジケリスト、自由過ぎる。

 頭の良いバカ程厄介やっかいなものはないな。


 「ローズちゃん、グラル先生はよく手懐けられるわね」

 「そう見えますか? そうですか、アレは誰の指示も聞かんとです……」


 おっさんは泣きたくなると、顔をおおって首を横に振った。

 駄目だな、としをとると涙もろくなる。

 

 「あーそうそう、この後なんだけどさ、今日は飲みにいかない? コールンさんも誘ってさ」

 「そういえば収穫祭、コールンさんも用事があるんだったっけか」


 レイナ先生も収穫祭は別件があるらしく、忙しい大人はとことん忙しいようだ。


 「良いですよ、ご相伴お預かりしましょう」

 「キャハ、本当にグラル先生って断らないよねぇ」


 断る方が面倒だからです。

 おっさんの生きる知恵、長い物には巻かれろ、だ。

 万が一にもレイナ先生から悪評が立てば、先生方はおろか生徒からも、日陰者にされるのは確実におっさんなのだ。

 フェミニストが存在する限り、おっさんのような男は存在そのものが許されないらしいからな。世知辛せちがらいぜ。


 「じゃあお金出すから仕事は半分っこね!」

 「だが断る」

 「むきー! そこは受け入れろー!」

 「だが断る」

 「二回も言った! よーし! そっちがその気ならグラル先生のくないうわさ広めちゃうもんねー!」

 「レイナ先生それ卑怯ひきょうですよ!? 人の信用を利用しようだなんて!」

 「へへーん! 情報操作は信用が命だもんねー!」


 暴虐ぼうぎゃくの限りをくそうとするレイナ先生、しかし不意に「コホン」と咳払せきばらいが払われた。

 おっさん達は振り返ると、自信を身に纏った女性が担任室の前で立っていた。


 「さわがしいと思えばなんですか、子供みたいに」

 「あっ、校長先生……」


 アナベル校長はカツカツと担任室へと入ってくると、おっさん達の前で高圧的に見下した。


 「レイナ先生も子供じゃないのですから、もっと自覚をもって」

 「あっはい。すみませんでした」


 レイナ先生は座ったままビシッと背筋を伸ばすと、敬礼をする勢いだった。

 アナベル校長の冷たい視線はそのままおっさんにまで被弾する。


 「グラル先生もです。貴方あなた程の方なら、もっと上手な処世術しょせいじゅつもあるのでは?」

 「返せる言葉がありません。はい」


 「はあ」とため息をくアナベル校長、おっさんは無抵抗な小動物のように息を殺して固まった。


 「とにかく、明日収穫祭とはいえ、あまり浮かれ過ぎないように」


 そう言うとアナベル校長は担任室から出て行った。

 そのまま彼女は見回りに戻っようだ。

 アナベル校長の姿が見えなくなると、レイナ先生は大きく息を吐いて安堵あんどした。


 「アナベルさん、今日は怖かったぁ」

 「虫の居所いどころが悪い日だったんですかねー?」

 「うーん、どうだろ……普段ふだん慈愛じあい女神めがみみたいな人だし」


 おっさんの知る限りアナベル校長は確かにあまり感情をあらわにするタイプではない。

 良く言えば大人だ、子供っぽさが欠片かけらもない。

 レイナ先生とは色んな意味で正反対だな。


 「とにかくごめんグラル先生、噂のことは勿論もちろん冗談よ?」

 「心の何処どこかで信用出来ません。ごめんなさい、おっさんは心の汚い大人です」

 「もう! そこは俺もレイナの事を信じてるぜって答えるところでしょう!」

 「ないわー、このゆるーいおっさんが真実よ? ヘタレおっさんに何を期待してるんです?」

 「……駄目だこりゃ。グラルって本気になると格好良かっこういいのになぁ〜」


 頑張らない男に、頑張れと言われても馬耳東風ばじとうふうだ。

 おっさんは頑張らない、もう頑張る体力もない。


 「レイナ先生、おっさんに幻滅げんめつしろとは言わない。でもおっさんに過度な期待はしないでほしい」

 「やっぱり分からないや。どうしてそんなに悲観的なのか」

 「悲観的、か」


 おっさんは悲観しているのか?

 自己分析をかしたことは無かったが、その答えは自分のてのひらには無かった。

 諦念ていねんはしていると思う、なんにしても熱意はない。

 平坦であるというのは、突出しないということでもある。

 もう事件だなんだに関わるのは本音を言えばごめんなのだ。


 「ねえグラルー」

 「今度はなんですか?」

 「私と結婚したい?」

 「ぶっ! 何言ってんだテメー!?」


 レイナ先生が突然の爆弾発言におっさん思わずきたない物を口から吐いちゃったよ!

 レイナ先生も大概たいがい自由だな!


 「で、どうなの?」


 しかしレイナ先生はいたって真面目まじめだった。

 そう、おっさんの態度とは真逆にだ。


 「たちの悪い冗句じょうくとして受け取りますよ?」

 「冗句、か。あはは! そうだね、冗句だよ、私お得意の!」


 ……本当は、どうなのだろう?

 レイナ先生は笑うと、自分の仕事の集中した。

 おっさんは誤魔化ごまかしただけなのか?

 レイナ先生の本当は……っ。


 「レイナ先生、少しだけ仕事手伝います」

 「え? マジ? ゴネ得しちゃった!?」

 「ゴネてる自覚はあったのか……やっぱり止めようかなあ」

 「あーうそうそ! お願い手伝って! もうレイナ先生のライフは0よ!」

 「……まったく」


 レイナ先生は確かにおどけているが、根は真面目だ。

 生徒に精神年齢も近い性か、生徒達からも人気は高い。

 教師としての自覚が彼女にはちゃんと備わっているのだ。

 おっさんは山積みされたプリント用紙を手に取ると、自分のデスクに回した。


 「レイナ先生って結婚願望あったんですね」

 「あーそりゃ酷い、乙女おとめは誰だって花嫁に憧れるんだから」

 「結婚をゴールインと考えてるなら甘い、絶対その夫婦長続きしないぞー」


 学生の内に結婚しちゃうとか、そんなヤンチャした若人わこうども何人も見てきた身からすると、結婚は通過点に過ぎない。

 結婚してからの食い違い、言い争い、こんはずじゃ無かった……なんて、ごとを言った子もいた。

 おっさんに結婚願望なんて無いが、結婚はよく考えて欲しいぜ。


 「実を言うとさー? はやく結婚しろーって親族連中がうるさいのよねえ」

 「そりゃ貴族様ってなれば、それも仕事じゃ?」

 「私も正直結婚はまだ早いと思っているし、この仕事の方が楽しいしね」

 「仕事の方が楽しいんじゃなくて、仕事していると嫌なことを忘れられるだけでは?」

 「えっ? なにそれ? グラルいつもそんな事思いながら仕事してたの?」


 しまった、地雷踏んだか。

 ええ、おっさん位になると耐性が付くのだけど、毎日嫌な事から目をらすのも大変なのだよ。

 レイナ先生、そこまで嫌ってはいないんだな。


 「ハナビシ家の落ちこぼれって言われても、結局は女としての自覚を求められるの、個人的には嫌なのよねぇ」

 「落ちこぼれと言われるのが嫌なのか、それとも結婚しろという圧力ハラスメントの方が嫌なのか」

 「どっちも嫌に決まってるでしょう! あーあ、アナベルさんくらい余裕が持てたらなぁ」

 「そう言えば、アナベル校長も未婚だったな」

 「そりゃアレね、並の男じゃアナベルさんの出すオーラにビビって近づけないのよ!」


 アナベル校長の話になると、レイナ先生は嬉しそうに茶化ちゃかした。

 ちなみに真相を知ると闇に消されるって噂もあるな。


 「まっアナベルさんはともかく、私もいつまでも自由じゃいられないってワケ」

 「先生なんだから、自由を拘束こうそくされるのは当然とうぜんでは?」

 「アナベルさんみたいな事言わないの!」


 ビシッと、レイナ先生は丸めたプリント用紙の束でおっさんの頭を小突いた。

 やれやれ……これで平常運転かな。


 さて、今日も平坦な一日を願って。

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