第123話 校長は、理事長と再会する
王立校と私立校の運命を賭けた決闘、その
昨今情報の伝達は活版印刷の普及によって、随分速くなったと関心……している訳にはいかないだろう。
少なくとも当事者にとっては学園の命運が賭けられているのだから。
そんなブリンセルの駅馬車ホームに仕立ての良い洋服を纏った老人が降り立った。
人族の平均寿命は五十代と言われる中すでに六十代を迎える老人は好々爺と笑顔だった。
「ほっほっほ、相変わらず賑やかな街ですね」
「トーマス校長、笑っている場合じゃないでしょ」
老人の後ろから現れたのは
腰には愛用のロングソードを
トーマス……そう、この老人こそカランコエ学園創設者であり、学園理事長のトーマス・カランコエだった。
「それもそうですね……ではこの街の学園に向かいましょうかニコル君」
「はい、コールン先生元気にやってるかなー?」
遠路はるばるバーレーヌからやってきた二人はカランコエ学園に向かうのだった。
§
「ふぅ……どうした、ものか」
校長室で私アナベルは山積みされた書類の束の前で頭を抱えていた。
特に書類の中に混じる苦情は頭痛の種になっている。
決闘を止めろ! 学園の私物化反対!
それは出資者の声であったり、誰とも知らない脅迫文めいたものであったり。
しかしすでに決闘は始まったのだから、今更後悔などしていられない。
兎に角学園の存亡を賭けた決闘は、格好のゴシップの材料となってしまった。
あぁ、頭痛がして、いっそ倒れたい。
けれど私は掌をそっと見て、クスリと笑う。
「『
グラルさんが掌に描いた不思議な呪文、グラルさん曰く気休めだそうですが。
でも孤独で死にそうな程心が弱っている時、この呪いを思い出せば、なんとなく一人じゃない気がする。
呪いと祝福は表裏一体、私には理解できない学問ですが、この気休めはありがたく受け取りましょう。
コンコン。
「校長先生、お客様です」
「お客様? どなたでしょうか?」
扉がノックされると、聞き慣れない男性の声が聞こえた。
少し不審に思いながらも、私は席を立つと扉の前に向かう。
そのまま無警戒に扉を開くと。
「ふふ、お久しぶりですアナベル君」
私はその老人を見て絶句した。
「トーマス理事長! 来てくれたんですね!」
「ええ、可愛い愛弟子の窮地ですから」
なんと校長室にやってきたのはトーマス・カランコエ理事長でした。
私は涙すると、トーマスさんを校長室に招き入れた。
「連絡を入れたのはほんの少し前でしたのに」
「ええ、ですから最も足の速い馬車で急行したものですから、腰が痛くて痛くて」
そう言うとトーマスさんは腰を擦った。
相変わらず軽妙な喋り口、私は微笑むと、ソファーへの着席を促した。
「ソファーへどうぞ」
「ありがとうございます……長旅は老骨に堪える」
「まさか……まだまだ元気じゃないですか」
「そうは言ってももう六十代ですからねぇ……それで、決闘ですか」
私はトーマスさんの前に座ると、鎮痛な思いで頷いた。
好々爺と温和な笑みを貼り付けるトーマスさんは、静かに言った。
「学生を巻き込んだのですね?」
「はい……申し訳ございません」
「未来ある子供達が傷つくなどあってはいけません……未来を創るのは老人ではないのですから」
「もちろんそれこそが学園の理念」
しかし私はそんな宝と言える学生達を巻き込んでしまった。
どうお叱りを受けてもそれを
退任を要求されるなら、それも受け入れよう………ただし。
「不適格として退任を命じるなら受け入れます! しかしせめて決闘までは!」
トーマスさんは、そっと手を差し出すと、それは私の口元で止まった。
「誰もあなたを不適格だなんて思っていませんよ」
「で、でも……私は」
「やれやれ……シド君といいアナベル君といい不器用なのですから」
「父さんを、知っているのですか?」
「えぇ、元々同じ部隊で従軍していましたから」
知らなかった。父さんが指揮官として戦争で従軍していたのは知っていたけれど、トーマスさんが同じ部隊だったなんて。
父さんは
「シドは責任感が強く、とっても意固地でしたね……教育方針では何度も議論を合わせました」
「意外です……父は身勝手で、いつも強引でした」
「ふふふ、照れくさいんでしょう。シドはあれで何度も失敗を経験してますから」
「えっ!? 父が失敗を……?」
全然想像できない。
けれどトーマスさんは全て真実と懐かしむように語った。
父の知らなかった内面を聞くと私は不思議だった。
でも……やっぱり私は父を許せない。
「父は母が家を出ていく時、止めもしなかったんです……私はあんな父を許せない」
「そう、ですか……シドは」
「母はいつも泣いてました、父は怒鳴らないですよ? なのに母さんは怯えていた」
父はどこか他人の心の内を見透かすところがある。
私はだからこそ父が、そうやって母を追い詰めたと思っている。
母さんは何度も「もう耐えられない」と言っていた。
「人間は不完全なのは、神がそのように創ったからだ」
「えっ? 創造神話の一節ですか?」
エーデル・アストリア世界に旧くから口伝や歌、踊りとして伝わる創造神話、何故突然トーマスさんがそれを口ずさんだのでしょうか。
「シドも完璧ではないのですよ……もちろん私もですが」
完璧ではない。それは……そうなのかも。
けれど人は私や父に完璧を求めた。
私だってトーマスさんに理想を求めている……。
「子供が関わるのは気に入りませんが、決闘はどうなのでしょうか?」
「決闘ですか? それがどうにも」
私は諦めたように首を振った。
人材の層で言えば劣っているのは明白だ。
しかしそれを聞いてもトーマスさんは温和な笑みを崩さない。
というか感情を荒げるトーマスさんって見たことないかも。
「なるほど期間は一週間、でしたね」
「はい……お陰で今からではとても」
「ところで話は変わりますが、グラル君とコールン君は元気でしょうか?」
はい? 本当に突然話題が変わりましたね。
言わずと知れたあの二人はトーマス理事長が確実に力となると送ってくれた二人だ。
「はいもちろん元気にやっていますよ、コールンさんなんて凄いですから」
「グラル君は?」
「グラルさんは……その、助けられています」
「助けられている、とは? 具体的に」
「ええっ? そ、その弱っている私をいつも助けてくれますし、い、今は臨時で魔法科の講師になってくれたり――」
なんでグラルさんの事はそんなに詳しく聞くのだろう?
けれどトーマスさんは小さな声でボソリと呟いたのを聞き逃さなかった。
「『がんばらない』男が、ですか」
「え?」
「いいえなんでもありません。それより学園の中を見回らせてもらっても構わないでしょうか?」
「ええ、それはもちろん。構いませんが」
それを聞くと、トーマスさんは重い腰をゆっくりと持ち上げた。
もう年齢なのだから付き添うべきでしょうか?
けれど山積みになった書類を見ると、私は
「すみません、仕事が山積みですので私は……」
「あぁ構いませんよ、お邪魔するつもりもありませんから」
トーマスさんはそう言うと、会釈して校長室を出ていった。
私はふぅと息を吐くと、仕事机に戻る。
トーマスさんと喋ったことで少しだけ心が軽くなった気がする。
さあて、もう少し頑張りましょう!
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