第117話 校長は、後顧を憂う

 折角の晴の日だというのに、出てくるのは溜息ばかりだった。

 原因は分かっている、学園祭にかこつけて悪さをする影があるからだ。

 この国が誇る王立騎士学校の生徒数人が我が校の生徒と一悶着を起こしたのもそうだが、セクハラ被害なんてものも報告されている。


 私は校長としてこの学園を最後まで守らなければいけない。

 けれど段々とその自信が無くなっていた。

 それは私の父の影が見え隠れするからだ。


 そもそも切っ掛けは一週間程前からだった。

 夏休みが終わり、学園祭の準備に入った頃、私の父は私の前に訪れてこう言ったのだ。


 「この学園は王立校と合併する。そしてお前は私の跡を継げ」


 なんという身勝手な言葉か、私は到底承服しかねぬその言葉に、激昂を持って応えた。


 「貴方はいつもそうだ! 私は貴方の思い通りにはなりません! 学園も渡さない!」


 父の前で私は感情を抑えられないタチだった。

 怒ったところで父の何が変わるというのだろうか?

 否、なにも変わらない……その冷酷な眼差し、何も期待しないような、ただ三白眼で私を見下すのだ。


 私は父が嫌いだった。父は極端な成果主義者であり、強引な手段も躊躇わない男であった。

 王侯貴族にも匹敵する名家である我がハナキリン家にはそれだけの重責もあったろう。

 それ自体は理解もできる。けれどやり方がいつも強引なのだ。

 そしてその強硬な性格が母を苦しめた。

 母は父の性格に苦労していた。そして私が十歳になる頃に離婚したのだ。


 私は唯一の子供だったから、跡継ぎとして徹底的に父の厳しい指導を受けた。

 教養や社交性、帝王学など、私の成長の役には立ったが、私はそれが好きではなかった。

 それでも父が、王国騎士学校の校長を務めた父が、当時は誇らしかった。

 私もいずれ教育者になることに不安はなかったのだ。


 でもずっと疑問だった。

 父の言いなりであれば全て正しいのか?

 そんな疑問と不安に答えをくれたのは、私にとって恩師となる、一般教育の父トーマス・カランコエであった。

 恩師トーマスとの出会いを私は忘れないだろう。

 進むべき道に迷っていた私に、私にはいくらでも選ぶことが出来ると教えてくれた。

 トーマスさんは私の能力も高く評価してくれた。そしてカランコエ学園ブリンセル支部の校長にトーマスさんは推薦してくれた。


 私がそれでも迷えば、トーマスさんはいつでも相談に乗ってくれた。

 教育の在り方であの人から学ぶことはあまりに多かった。

 今でも感謝してもしきれない。


 けれども、私はこれからどうすればいいのだろう?

 そう顔青くして、机に突っ伏した私に思い浮かんだのは父の言葉だった。


 「いずれカランコエ学園は解体される、これは国の決定だ」


 跡を継げだの、学園を合併するなど久し振りに会ったというのに、あの人はやりたい放題なのだ。

 私は誰でもいいから助けて欲しかった。


 たまたまそんな心身が参っていた私の前に現れたのはダルマギクさんだった。

 トーマスさんが、私の弱音に対して派遣してくれた男性は決して魅力的な人ではなかったが、トーマスさんが推薦するのも納得の人であった。

 あの人はとても真摯で生徒を愛してくれる、時に迷った私に手を差し出してくれたりもした。


 「誰か助けて……ッ」


 私は誰でもない何かに救いを求めた。

 目の前に聳え立つ難題という壁はあまりに大きく険しい。

 まるで努力を嘲笑うかのような残酷さが私を苛んだ。


 ワアアアアアアア!


 「ッ!」


 私は外から聞こえる大歓声に驚いて、顔を上げた。

 校長室にまで響く声の正体、私は窓の側まで駆け寄った。


 「そうでした……もう剣術大会の時刻でしたね」


 学園祭は継続中だ。

 私は首を振ると、意識をなんとか切り替える。

 なんとか学園祭だけは無事終わらせなければ。


 「今年の剣術大会はどうでしょうかね?」


 カランコエ学園は文武両道を目指しているが、人気の比重は剣術に偏っている。

 問題外とまではいかないが、魔法の教育は劣っているのが明白だ。

 特に今年は剣術科に専門の教師が加わったことは大きいだろう。

 まだ若いながら剣術科の教師イキシア先生は、バーレーヌ本校でも既に実績を出している優秀な教師だった。

 彼女の転勤は嬉しい予想外と言っても良いだろう。

 このブリンセル校でも剣術教育は熱心だったが、彼女はレベルが高い。

 実力は無名であったことが不思議な程であり、奇しくもブリンセルに着任して辺境の剣聖は陽の目を見た。

 あんな優秀な教員を提供してくれたトーマスさんには感謝してもしきれないわね。


 「それにしても……」


 私は剣術大会の様子を眺める。

 この校長室からは、校庭もいささか小さく見えた。

 剣術大会は人気も高く、一般客の観戦も許されているから観客席は満員だった。

 恐らく我が校で最も人気の高いイベントでしょうね。

 ただ問題は大会そのものだ。


 血の気が多い生徒がやり過ぎないか心配は尽きないし、観客が暴徒化しないかも心配だ。

 考え出せば切りが無い、けれどこれっぽっちも楽観視出来る要素なんてなかった。


 「少し見回りしましょう……」


 何かに集中していれば気もまぎらうでしょうか。

 今の私に必要なのは、ネガティブにならない気持ちなのだろう。

 子供の前では無理にでも笑え、それもトーマスさんからの教えであり、私も日々努めていることだ。

 けれど一人の時はこれが難しい……私も弱い人間なのでしょうか。


 学園祭のあるこの日、空を仰げば晴天で、子供たちの元気な声が校内いたる所から発せられている。

 皆が学園祭を楽しんでいる中で、私だけは今後の不安に顔を曇らせるのだった。

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