第113話 おっさんは、アナベルを家に送る
「今日はありがとうございました」
アナベルさんとの夕食会は短いものだった。
己を律することに慣れている彼女は、決して酒に溺れるようなこともない。
おっさんは無理には彼女に追及はしなかった。
彼女がなんらか心を弱らせているのは間違いないが、おっさんにも出来ることと出来ないことがある。
まして心理的な問題なら尚更専門外だ。
どんな優れた医者であっても、肉体は治せても、心を治せるとは限らない。
だからこそ心のケアの大切さ、それを治癒術士だった母はおっさんに教えてくれた。
結局、おっさんはまだまだ半人前だ……目の前の女性の問題一つ分かってやれやしない。
「一人で帰れます?」
「問題ありません。子供ではないのですから」
エスコートする程おっさんの柄は良くないが、それでもアナベルさんは女性だからな。
既に空は暗く、そうなると秋風が差し込む。
おっさんは少しだけ身を縮ませ北風に耐えた。
「やっぱり送って行きます。一人は安全とは言えませんから」
「けれど、そうなったらダルマギクさんが夜道を帰ることになりますよ?」
「心配しなくてもこんなおっさん狙う悪漢もいませんよ」
おっさんはそうやって戯けて見せると「まあ」と彼女は微笑んだ。
「それじゃ行きましょう」
「はい……あの、ゆっくり歩いても構わないでしょうか?」
「構いませんが?」
「ありがとうございます。ダルマギクさん」
おっさんは彼女の足並みに揃えて歩き出す。
彼女はややゆっくりと歩き出した、街の夜景に視線を移しながら。
おっさんはやや失礼ながら彼女を注目するように見つめていた。
やっぱり不思議な人だな。
アナベルさんの印象は、おっさんとは正反対の陽の気を感じる人だ。
自信に溢れ、明るく社交的で、誰が相手でも物怖じせず、そして聡明で思慮深い。
完璧な人って言えば間違ってもいないだろう。
でも……そんな彼女でも心の中に弱さがある。
誰だってそうだ、アナベルさんが普段何を思っていようと心の中まで完璧な奴なんて存在しない。
多分神様は意図的に人間を不完全に創ったのだろう。
人族でもエルフでも、魔族や精霊、魔物であって、このエーデル・アストリアの命達は不完全なのだろう。
「ダルマギクさん?」
「っ! あ……なんです?」
「いえ、その、呆っとしていたみたいですから」
おっさんは指摘されて気恥ずかしく後頭を掻いた。
やれやれ、間抜けな姿を見せたか。
おっさんは、陰気とはいえ人の目は気にする方だからな。
「何を考えていたので?」
「大した事じゃないですよ」
彼女は興味深そうに、あるいは小悪魔的に踏み込んできた。
おっさんあくまでも黙秘する、知られても気にする程じゃないが、なんとなく嫌だった。
「ふふ、知られたくないことでしょうか?」
「まあそういう物です」
「もしかして私のことでしょうか?」
おっさんは少しだけ目を開いた。
アナベルさんって、少しだけ自信過剰な所があるよな。
彼女はおっさんのことになると興味が沸いたようで、豊満な胸に手を置くと、少しだけ妖艶に腰にくびれを作りアピールするようだった。
おっさんはやや面倒そうに眉を
「おっさん、女のことで右往左往することはあれど、色恋沙汰に気を止めるつもりはありません!」
今度はアナベルさんが意外そうだった。
ただ彼女はおっさんの顔をじっと見つめると。
「それはあまりに寂しくはありませんか? ダルマギクさん」
「人それぞれですよ、ただ、それだけです」
出来れば考えたくない。
どうしてもそれを考えると、脳裏に昔のことが過る。
過去はどうやっても過去でしかない、だから早く忘れたいのに。
おっさんは顔を振ると、バチンと頬を叩いた。
アナベルさんはビックリするが、一旦リセットするならこれが一番だ。
「アナベルさんこそ、そういう浮ついた話は聞きませんね」
「わ、私ですか……その、私も当分結婚するつもりもありませんし」
彼女は思わぬ反撃に顔を真っ赤にする。
結婚か、そういえばアナベルさんってなんで独身貫いているんだろう。
「今は学園のことで頭一杯ですし」
「恋愛にうつつは抜かせない?」
彼女は小さくコクリとうなずいた。
そして潤んだ瞳で彼女はおっさんを見つめて小さく呟く。
「興味がない、とは言えませんが」
「……むう」
アナベルさんの視線は、なんだか熱がこもっている気がする。
おっさんは、何度も言うが恋愛感情は受け付けない。
人の心は度し難い、アナベルさんの想いも、か。
その後アナベルさんは視線を外した。
一体全体どうしておっさんを見て、あんなことを言ったんでしょうかね?
まるでおっさんならオーケーみたいな表現は止めてほしい。
今更自惚れるなんて格好悪いだろう。
「……私、自由恋愛ってしたことがないんです」
「自由恋愛をしたことがない?」
「ずっと懇談は親が決める物だったから、私もそういう物だと思っていたし」
おっさんはそれを聞いて、やっぱり上流の貴族なんだなと確信する。
貴族では今でも自由恋愛を許さない風潮は根強く残っている。
あの
まして貴族の子息女となると、それは政治的な交渉材料になる。
男子ならまだしも女子として生まれれば、それは庶民には理解できない理の中で生きているのだろう。
「ダルマギクさんは誰かを好きになったことはありますか?」
「そりゃ別に木の股から産まれた訳じゃないんですから、ありますよ」
「その人とは恋愛しなかったのですか?」
「そんな暇はありませんでした」
「なかった? あ……」
彼女は何かに気がついて口を紡いだ。
彼女の年齢なら勿論知っているだろうな。
おっさんは
「戦争で失いましたよ、おっさんの世代なら珍しくもないでしょうけど」
本当にうんざりだ、あの時代程馬鹿らしいと思えた時代はない。
だからさっさと忘れたい、戦争の亡霊を。
「すみません、配慮が足りませんでした」
「構いませんよ、アナベルさんだってあの時代は経験しているでしょう」
「はい、まだ十代前半でしたが」
多分だがアナベルさんは戦場には出ていないだろう。
本当の地獄は知らない、まあその方が絶対良いに決まっているんだが。
アナベルさんは優しく思慮深い、だからこそ申し訳なさそうだ。
おっさんとしては気にされる方が古傷を抉られるようで嫌なのだが。
「ま、そういう訳でおっさんの恋は、もう天に召されました」
「……今でも愛しているんですか?」
「まさか、早く忘れたいですよ、おっさん
「
「いるそうですよ、愛する人を蘇らせたくて、理を外す魔法使いは」
おっさん、少し怖がらせるようにアナベルさんに
「少しだけ分かる気がします。死者の目覚めがどれほど
予想以上に考えられた意見に、おっさんは茶化す気が失せた。
おっさんは溜息をつくと、あくまでおっさんの知っている事実を語る。
「愛の為に
「そうなのですか? てっきり知り合いにいるのかと」
おっさん思わずズッコケそうになった。
まさか、いくら
死霊というより魂そのものを降臨させる
創作では大人気でも、現実では大罪に違いないのだから。
「ダルマギクさんだと、魔王が知り合いと言われても信じちゃいそうです」
「そんな物騒な知人はいませんよ! 人をなんだと思っているんですか!?」
とんでもないことを言い出すアナベルさんに、珍しくおっさん声を荒げてしまう。
まるで
「あっ、あそこ我が家です」
気がつけば高級住宅街だった。
彼女が指差したのは、小さな家だった。
「小さいですね?」
「一人暮らしですから」
本人には悪いがイメージではもっと、大豪邸に住んでいるイメージだった。
それこそこの国有数の、とかそういうレベルの。
あまりに彼女の普段の振る舞いが非の打ち所がない性だが。
アナベルさんは、玄関の前で止まると、こちらに振り返った。
「今日はありがとうございました」
「いえ……それではおやすみなさい」
「はい、ダルマギクさん、おやすみなさい」
彼女はしっかりお辞儀すると、おっさんは踵を返した。
けど、背中を向けた所で不意に彼女が声を掛けた。
「あのっ、ダルマギクさん!」
「……どうしました?」
「っ……! 明日も、これからも、学園をよろしくお願いします!」
彼女は少しだけ言い淀んだのを、おっさんは聞き逃さなかった。
学園か、そりゃ勿論大切な職場だからな。
「ええ、教師ですからね」
おっさんはそう言うと今度こそ、その場を去る。
それと同時にアナベルさんがまだ、隠している何かがあるんだなと気付いた。
本当にどうしようもなくなる前に相談してくれると良いんだが……。
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