第112話 おっさんは、校長の涙を見る

 少し早いがおっさんは夕暮れる歓楽街を通り、行きつけの大衆居酒屋に入った。

 その隣には場違いな美人が立っており、嫌でも視線はその美女に向いていた。

 美女、もといアナベル・ハナキリン校長はそんな大衆の視線も涼やかに受け流し、貫禄と余裕を持っている。

 改めて社交界かなにかで培ってきた経験なんだろうな。


 「いらっしゃいませー、あれ?」


 店の入口で店員を待っていると、エプロンを付けた地味な印象の少女が駆け寄ってきた。

 おっさんは、その店員を見て「げ」と内心毒づいた。

 少女は一見地味な雰囲気だが、人懐っこい笑顔で手を叩く。


 「あれー? ダルマギク先生とハナキリン校長? デートですか?」

 「あのな……ただの付き合いだ」


 おっさんは項垂れる、少女はニンマリ微笑んでいた。

 この少女はアーシャ・ソレイユ。カランコエ学園の生徒にして、妙な噂を流すおっさんの天敵だ。


 「貴方確か三年のアーシャ・ソレイユさん?」

 「あら? こんな十把一絡じゅっぱひとからげな一生徒もご存知で?」


 校長は余裕の笑みを含むと、前髪を掻きながら言う。


 「当然です。それが学園を預かる者の責務ですから」


 等と完璧超人な台詞を言う校長。

 流石にアーシャもこれには苦笑いだった。


 「にしてもお前、前は別の店でバイトしていなかったか?」

 「前の店はもう辞めましたよ」

 「アルバイトですか……学生の内はあまり無理はせずに」

 「あはは、勿論です」

 「席、そろそろ案内してくれ」

 「あ、はーい! こちらへどうぞー!」


 アーシャは思い出すように接客スマイルで店内に誘導する。

 さして良い店でもない場末の居酒屋だが、店内は賑わっており、ここが中間層のおっさん達の憩いの場になっていた。


 「こちらをどうぞ、メニューの方はお決まりになられましたら呼び鈴を鳴らしてください! それではごゆっくりどうぞ!」


 おっさんはアナベル校長と向かい合うように席に座る。

 アーシャは最後までマニュアルに沿った対応をして、直ぐに店の奥へと姿を消す。

 おっさんはテーブル備え付けのメニュー表を手に取ると、軽く中身を見て、アナベル校長に差し出した。

 彼女はポカンと口を開けておっさんを呆然と見ていた。


 「もう決まったのですか?」

 「いや、ラインナップに違いはないか確認しただけだよ、メニューは大体把握している」


 どうもアナベル校長、おっさんを過大評価している節があるから、一々訂正するのは面倒だ。

 本当は能力も才能もアナベル校長の方があるだろうに、今日は特におかしい。


 「まっ、飯でも食って、一息つきましょう。空腹は苛立ちの元ですから」

 「……分かりました。それではえと――」


 おっさんは校長の表情を時折見つめながら、視線はちらちらと周囲を泳がせた。

 頭の回転が速いアナベル校長は直ぐに頼むメニューを決めると、おっさんは呼び鈴を鳴らした。


 「それで……さ、結局校長の身になにがあったんですか?」

 

 店員が駆けつけるまでの間、おっさんは意を決して質問した。

 アナベル校長がどこかおかしい、甘えたい気分なんて言い出したのも初めてのこと。

 一体彼女になにがあった? この疑問どう処理するべきか。

 おっさんは日和見主義だ、可能ならば無理強いはしない。

 面倒事も出来ればごめんである。


 だが人は孤独に生きているんじゃない……ていうのが厄介だな。

 直接の上司がメンタルを病んで、致命的なミスを犯したら、それは間接的に職員のおっさんにも被害は拡大する。

 面倒だが自分の為だ。嫌だ嫌だと訴える自分の心をそう納得させる。


 「アナベル……」

 「はい?」

 「学校の外は名前で呼んでもらえませんか?」


 おっさんは目くじらを立てる。

 アナベル校長は憂いを込めた溜め息を小さく吐いた。

 妥協を迫れ、か。


 「分かりました、プライベートだけ」


 おっさんは前髪を掻きながら言う。

 アナベルさんは少しだけ微笑んだ。

 やれやれだぜ、ここにはあの噂好きもいるってのに。


 「お待たせしました! ご注文の方は?」

 「えと、このチーズグラタンを」

 「コカトリスの串焼き、それとビール」


 店員は伝票に注文を記すと、内容を復唱した。

 おっさんは頷くと、店員は直ぐにキッチンに向かう。


 「メニュー見ずに決めちゃいましたね?」

 「おっさんが利用する店は案外少ない、覚える内容も少ないのさ」


 コールンさんなら毎日違う店を選ぶだろうが、逆におっさんは地雷みたいな店を嫌う。

 一度気に入った店はそれ以外殆ど利用しないまま常連になってしまうのだ。

 同時にこれはメニューにおいてもだな、おっさんは新メニューには滅多に手を出さない。

 結局は王道しか勝たんのよな。


 「アナベルさんは行きつけの店とか、馴染みの店とか無いんですか?」

 「誘われることは多いですが、自分では……」

 「じゃあ自炊派ですか?」

 「いえ、自炊もまったく……出前が殆どですね」


 聞けば聞くほど意外だな。

 自炊をしないのはイメージ的にも分かる、だがその殆どが出前で済ますとは。

 アナベルさんは家庭的な技能は壊滅していそうだな、あくまでおっさんの偏見だが。


 「……グラルさん、私からも質問です。学校は正しいでしょうか?」

 「いきなりヘビィですな」


 おっさん腕を組むと「うーん」と唸る。

 質問の意図は哲学か? いや公正だろうな。

 少なくとも学園運営に限って言えば、なんの問題もないように思えるが。


 「おっさんはひらの教員だ。それを前提に言いますが、アナベルさんは良くやってますよ、正しいとか間違っているとかじゃない。信じるか信じないか、それならおっさんは今の学園を信じますよ」


 アナベルさんは少しだけ間を置いて、その後唇を噛んで目を震わせた。

 そして彼女は静かに泣き出す。その理由も説明されぬまま、彼女は小さな涙を零した。


 「す、すみません……見苦しい所を」

 「大人が泣いちゃいけないルールは無いと思いますがね、びっくりはしましたが」


 校長は胸ポケットからハンカチを取り出すと、涙を拭う。

 少なくともやはり今日は泣いてしまう程メンタルが弱っているようだ。

 やれやれ、こりゃ面倒事に巻き込まれたかな?

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