第111話 おっさんは、寄り添うだけの優しさを持つ

 放課後、主に学園祭の準備はこの時間が使われるが、それも最終下校時刻を迎えれば、皆一斉に帰っていく。

 空の色は茜色、僅かにだが夜が長くなりつつある。

 今はまだ夏のように暑い、しかし秋は間近だと、おっさんはそう肌に感じている。

 夏の茹だるような暑さに耐え難いおっさんにとって秋はなんだかんだ好ましい。

 身体のバランスは気温差に敏感になってきているからな、やはり平坦こそ至高だ。


 さて、最終下校時刻になると、おっさん達も帰る準備をしないとな。

 一応最後の見回りをしている所だが、学生の数も減ってくると、校舎内は静かなものだ。

 最も街の方は賑やかそのもの、校舎の外は相変わらず煩い位だが。


 「うむり、異常なし」


 おっさんは見回りを無事終えると、職員室に向かう。

 かなり遅くなっている。こりゃ戸締りもおっさんかな?

 職員室は三階にあるから、おっさんは少し急いで向かう。

 通路も異常なし、かと思うと。


 「あら、ダルマギクさん、ご苦労様です」

 「校長先生、見回りですか?」


 職員室の前にいたのは、相変わらずその姿に自信溢れる美人アナベル・ハナキリン校長だ。

 殆ど仕事終わりでも黒のスーツにはシワ一つ無く、彼女の完璧な生き方が現れている。

 おそらくいつものように熱心に学園の為にと、働いていたのだろう。

 おっさんと違って、本当に精力的な人だからな。


 「今から帰りですか?」

 「はい、校長は……」

 「私は……その」


 うん? アナベル校長は不思議と言葉を淀ませた。

 なにかあったのだろうか? とはいえそれはおっさんと関係あるだろうか?

 ともあれ、何事もはっきり言うアナベル校長からすれば珍しい姿だった。


 「どうしました?」

 「いいえ、えと、もしもう学園に用事が無いのでしたら、少し夕食に付き合って貰えませんか?」

 「随分珍しいですね、校長から誘われるなんて」


 別にアナベル校長と食事をしたことがない訳ではない。

 ただ大抵はレイナ先生かコールン先生辺りが誘ってくることの方が多かった。

 アナベル校長直々のご指名とは大役だな。


 「直ぐ用意します、校門で待っててくれれば」

 「いいえ、ここで待ちます」

 「うん? まあ良いですが」


 おっさんはアナベル校長の様子がやっぱり変だと思う。

 ……思うが、おっさんが突っ込むのも野暮だろう。

 おっさんの知っている限り、アナベル校長は一番人間としてしっかりしていると、そう考えている。

 そんなおっさんも素直に尊敬出来る女性が、自分を管理出来ないなんて思わない。

 おっさんは結局そう納得すると、職員室に入った。


 職員室は灯りが無く、かなり薄暗い。

 それでもこの職場でもう半年、慣れたもので特に迷うこともなかった。

 自分のデスクに向かうと、必要なものをバッグに纏めて、すぐに踵を返す。

 職員室の外では不安げに腕を抱くアナベル校長が待っていた。


 「お待たせしました」

 「いいえ、こちらこそ付き合わせてしまい、申し訳御座いません」

 「それこそ気にする必要は無いでしょう。そんなこと気にしてたらレイナ先生なんて特に酷いんですよ」


 レイナ先生を想像すると「たしかに」とアナベル校長は微笑んだ。

 アナベル校長は淑女しゅくじょというか、育ちの良さが滲み出ているからな。

 おっさんと一緒に歩く姿も気品を隠せず、アナベル校長は振る舞いから世俗とはまったく違う。

 正しく貴族令嬢とはこういうものなのだろう。おっさんは見たこともないそういう一般的な印象を想像する。


 「それで、どこへ行きます?」


 おっさんはとりあえず先にどこで夕食を頂くか質問した。

 アナベル校長は顎に手をそっと当て、「ん」とゆっくり思考する。


 「あの、ダルマギクさんに決めて貰っても良いでしょうか?」

 「おっさん、洒落た店は殆ど知りませんよ?」

 「いいえ、ダルマギクさんの選ぶお店が良いのです」


 アナベル校長は随分はっきりと言い切った。

 誘っておいて、店はおっさんが決めるというのは奇妙だな。

 とはいえ期待されているのか、彼女は少しだけ気楽な様子を見せた。


 「……大衆居酒屋でも構いません?」

 「ええ、それで構いません」


 おっさんは店の候補は直ぐに思い浮かぶ。

 ただ、校長にはあまり相応しくない、安い酒場しか知らないのだ。

 彼女は笑顔で応じたが、本当に大衆居酒屋で良いのかね?

 アナベル校長もレイナ先生やコールン先生には鍛えられているだろうが、彼女達は居酒屋の中ではお上品な方を選んでいるからな。

 おっさんの選ぶディープな店は流石に誘わん。


 「しかし今日はどうしたんです?」

 「どうした、とは?」

 「なんて言いますか、今日は積極的というか……初めてですよね、夕食に誘ってくれたのは」

 「え? それは……」


 彼女はそれを聞くと、目を丸くした。

 表情まで固くなって相当驚いていたようだ。

 まさか無自覚? そんなことがあり得るのか?


 「えと、校長?」

 「あっ、すみません! そ、そうですね……私から誘うのは、確かに初めて、ですね」


 校長は顔を紅くするとクスリと微笑み、視線を落とした。

 おっさんはまだ動じない、その仕草が普段の彼女とは違うしおらしさ含んでいると自覚していても。


 「少しだけ……甘えたい日もあるのでしょう。そう、きっと……」


 そう言う校長の表情は弱い女性の顔だったろうか?

 彼女の持つ憂い、滅多に見せない弱さだ。

 甘えたい等と、そんな弱気なことを言う姿には、幾分か真実を含んでいるだろう。


 「人は無敵ではありませんからね」


 おっさんはボソリとそう呟くと、アナベル校長はおっさんに振り向く。

 おっさんは校長を直視しない、出来るのは適切な距離感で寄り添うだけだ。

 恋人じゃないんだから、おっさんにアナベル校長は眩しすぎるさ。

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