第108話 おっさんは、納得を得る為に剣の精霊の微笑みを守る

 おっさんの目の前には少し緊張した面持ちのローズが座っていた。

 ローズはしきりに手をいじりながら、視線はおっさんから外さなかった。

 ローズにとってこれは、一生を左右するかもしれない問題だからだ。

 聖剣ダインスレイヴ――神さえも斬るといわれた伝説の魔剣は、悪意を持って振るわれればどんな厄災を招くか分からない。

 だがそんな危険度とは裏腹に剣の精霊ローズは天真爛漫で、ただ自由に生きたいだけのだった。


 「剣の精霊ダインスレイブ、汝の材に新たな御言みことを加える」


 おっさんは、目を瞑るとこの儀式を開始した。

 儀式と言ってもそれほど難しい術式ではない、呪いのような物だが、おっさんが気をつけないといけないのは、この儀式から返ってくる反動程度だろうか?

 因みにこの術にデメリットがあるのはガーネット達には説明していない、言ったら反対されるだろうしな。


 ローズはゴクリと喉を鳴らす、ただ彼女は黙して待つのみだ。

 おっさんはゆっくり目を開くと、ローズを見据えた。

 大丈夫、おっさんは心の中で落ち着きを払っていた。

 初めてやる以上、本当はかなり緊張しているんだが、これは我が家の家訓のお陰だな。


 お袋は治癒術士として、様々な患者に立ち会ってきた。

 その患者の前でお袋が患者を不安にさせることは一切なかった。

 その強いお袋の息子がおっさんだ、未だあの境地は程遠いが、それでもその血は流れている。


 「ダインスレイブ、そのことわり殺戮さつりくあらず……なんじ新たなることわりを与えん」


 ぞわ……背筋が凍りついた。

 おっさんは、なるべく表情を固定する……とはいえ目敏いガーネット辺りは気付きかねんが。

 儀式の反動、理が反発しているんだ。

 儀式に余計なアレンジを入れなければ問題は無いはずだが、剣の精霊の存在が大き過ぎるか?

 いや、不安になるな、ローズを救済するんだろう。当たり前の人生を謳歌させてやるんだろう。


 「汝の名……ブルーローズ」

 「ブルー……ローズ?」


 ローズが譫言うわごとのように呟いた。

 ローズの意識は今朦朧もうろうとしている、おっさんがローズの持つ理に干渉しているからだ。

 理は神が定めた絶対不変のルール、だがルールを変更出来ずとも、付け加えることなら不可能じゃない。

 この儀式はその理のルールのグレーゾーンに踏み込んだ方法だ。

 聖女様もよくこんな儀式を覚えていたものだとおっさんも感心する。


 「応えよ、汝この名を受け入れるか?」

 「ブルーローズ……その、意味、は?」

 「だ、大丈夫なんですか?」


 流石にコールンさんが不安がる、しかしその肩をルビーは握ると無言で首を横に振った。

 ガーネットは腕を組んで、儀式の様子に集中し、サファイアは終わった後を見越してか、既にお茶の用意をしていた。

 やれやれ、こっちはさっきからなにかを持っていかれそうな気配を背中に感じてビクビクしてるってのに。

 だが終局だ、おっさんに不可能はない………ごめん、やっぱりそれは嘘。


 「汝存在しない美、ブルーローズは幻想に咲く花」

 「私は……ブルーローズ」


 ローズが呟くと、彼女の理が変質を始めた。

 純白のドレスは形を変え、純黒から暗いインディゴブルーの妖艶なドレスに変化した。

 頭部には髪飾りのような青い薔薇が咲き、その瞳は赤く染まっていく。


 「これ、は?」


 ローズは身体を仰け反らせると、意識を取り戻した。

 まじまじと自分の身体を観察すると、おもむろに胸を両手で持ち上げた。


 「ふふふ……勝ったっ!」

 「喧嘩売ってんの!」


 何が勝ったか、おっさんはノーコメントだが、ローズは嫌らしい笑みでガーネットを見て、ガーネットは逆ギレする。

 まあガーネットもそこまで気にしなくてもいいと思うが。


 「うふふ、アーハッハッハ! 私の名はブルーローズ、幻想に咲く最も気高き刃の華! アッハッハ!」

 「すっかり本調子ですね」


 ルビーは調子を取り戻したローズを見て、そう微笑む。

 サファイアはお茶の用意をすると、おっさんの側に近寄った。


 「主様、お茶にしましょう」

 「ごふ……あ、ああ」


 おっさんは血を吐いた。

 幸いサファイア以外には見えていない、そのサファイアも相変わらずの鉄面皮を崩さず、おっさんは幸いだ。

 儀式の反動が返ってきた。思った以上にキツいな、聖女様はことも無げに説明していたが、やっぱりレベルが違うんだろうな。

 命に別条はない。だがサファイアはどこからか取り出したハンカチでおっさんの口元を拭うと、小さな声で言った。


 「主様、その儀式は生贄デコイを用いるものですよ」

 「サファイア……知っていたのか?」

 「はい、リビングソード等の製造を見たことがあります」


 流石魔王に与する娘だねぇ。

 つーか、生贄デコイの存在とか説明書にも無かったぞ。

 この手の儀式は魔族に一日の長あり、か。


 「幸い大きな改変は加えてませんし、一週間安静に、ですね」

 「クリューン先生になんて言い訳しよう」


 おっさん超絶気分が悪い、サファイアはそんなダメ男なおっさんにも献身的にご奉仕する気のようで鉄面皮の裏で微笑していた。

 やれやれ、なんとかガーネットには気づかれてないと良いが。


 「強靭! 無敵! 最強!」

 「うっさい! 静かにしてなさいっ!」

 「うははは!」

 「二人共元気ですねー」


 最高にハイになったローズはもう絶好調。

 見た目はやや変化しており、身長は然程変わらないが、身体が少し引き締まったか。

 純白のドレスもインディゴブルーのナイトドレスのように様変わりし、精霊としての定義が変化した証だ。

 もうここにダインスレイブはいない、ここにいるのはブルーローズだ。

 剣の精霊ブルーローズ、この精霊が今後どうなるかはおっさんにも分からない。

 ただ、子供らしく生きてくれればいいだろうなとは思う。


 おっさんはテーブルの前に座った。

 サファイアは無言でお茶を注ぐ。


 「主様、どうしてローズ様にあの儀式を?」

 「釈然としないか?」


 サファイアは椅子には腰掛けず、ただ側に寄り添う。

 彼女は少なくとも納得していないようだ。

 まあローズは赤の他人だから当然だろうが。

 おっさんはサファイアの淹れてくれた美味しいお茶を頂く。

 ちょっと口の中の血が混ざり、なんとも言えない風味だが、ローズを見て答えた。


 「多分納得だな……納得が欲しいんだ」

 「納得ですか? まるで真実を求める隠者かのようですね」

 「相変わらずよく分からん喩えを……、まあおっさんも教師の端くれだ、子供を見るとな、放っておけん」

 「やはり納得出来ません。主様はそのような危険な綱渡りをするべきですか?」


 サファイアの反論も最もだな。

 おっさんは「ううむ」と少し言葉を逃し俯く。

 その通り事無かれ主義のおっさんは、山なし谷なしの平坦な人生を求めている。

 過剰な幸福は要らない、その代わり不幸も要らない。

 それがおっさんの主義だ。


 「主様……ローズ様はそれだけの価値があるのですね。主様が命を賭しても良いという価値が」

 「だろうな……俺はローズは気に入らんが、子供を見守るとはそういうことだろう?」

 「……はい、主様の選ぶ道が例え茨の道でも私は主様をお支えします」


 ちょっと重たいな、言葉が重たい。

 おっさんは苦笑するがサファイアは大真面目だ。

 この子はいつだって大真面目なんだよな、少し浮世離れする程。


 やがて、おっさんがサファイアと話しているとローズは不意に此方を振り返った。

 彼女はにんまりと悪意ある笑顔を浮かべると、なにか呟いた。


 「うふふ……全速前進ダ!」


 なんとこの馬鹿、なにを思ったか思いっきり突進してきた。

 おっさん避ける間もなく、ローズはおっさんの懐に飛び込むと、そのままギュッと抱きしめてきた。


 「な、何だ突然……?」

 「感謝してる……私が変わったのを理解できた。ブルーローズ……この名前には優しさが含まれている。私が剣の精霊であることに違いはないけれど、今の私は聖剣でも魔剣でもない」


 ローズの雰囲気は茶化すようなものではなかった。

 ただ彼女は優しく微笑みながら、おっさんの身体を抱きしめる。


 「ていうか、痛い! 強く抱きしめ過ぎだ!」

 「え? そんなに力入れてないけど……あ!」

 「ちょ! 兄さんに何してんの!? て、兄さん血が!」

 「わ、私は悪くねえ! 悪くねえ!」


 ジーンと腹に熱いものがあった。

 腹部から血が滲む、儀式の反動は全身に及んでいるのだ。

 ローズは離れると、顔を青くしてビクビク震えていた。

 しかしガーネットはそれがローズの仕業だと認識し、憤慨する。


 「何するんだテメェー!」

 「アイエエエ! 私じゃない! 私じゃないよぉーっ!」


 やめろローズの性じゃない、と言いたかったが口には出来なかった。

 何故ならその時点でおっさんの視界はゆっくりと暗転しながら、意識が遠のいていたのだから。


 ――ただ、おっさんは嬉しかった。

 ローズに纏わりつく死の臭いは、おっさんが与えた名によって相殺されている。

 今のローズを悪用することは不可能だ、誰もブルーローズの安全装置の外し方を分からないんだからな。

 ローズの本当の笑顔、もし対価を求めるならばそれで十分お釣りがくる。

 おっさんはそう満足すると、気絶するのだった―――。

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