第107話 おっさんは、家に戻る
結局夕暮れまでおっさんは教会の図書室を利用させてもらった。
聖女様には足りない知識の補足をしてもらいながら、なんとかローズの措置に目処が立ったのだ。
「今日はありがとうございました、聖女様」
「いえ、それも私の、務めですので」
すっかり人の姿も少なくなった大聖堂の前で、おっさんは改めて感謝し頭を下げる。
聖女様は「良かったらこの本、持ち帰っても良いのですよ?」と仰ってくれたが、流石に貴重な蔵書を受け取るのは遠慮した。
「あの……ダルマギク様」
「はい? あ……自分は敬称を付けて呼ばれる程徳は積んでません、呼び捨てで構いませんよ」
「いえ……あ、いや……、そ、それではグラルさん、と」
「うん?」
何故だろう、ここはおっさんの経験則だが聖女様はもじもじと何かを言い出せずにいる様子だった。
教師を長年やっていると、引っ込み思案な子供も多く見てきた。聖女様はこのタイプにまず間違いないだろう。
歳上としてはどうするべきだろうか?
学生に対するようにでは不敬であろう、社会人の辛い所だな。
ともかく、聖女様を立てつつ、その意を
「聖女様、何か仰っしゃりたいことがあるのでは?」
「ッ! そ、それは……あの、その……!」
聖女様はみるみる顔を赤くする、それこそ茹で蛸のように。
神秘的で妖艶なようで、結構コミカルでもある人だな。
ガーネットも案外聖女様も普通の女性だと言っていた理由がなんとなく理解出来る。
聖女様はパクパクと口を動かし、しどろもどろに慌てふためいた。
おっさんは思わず彼女の前で、パン! と手を叩いた。
当然聖女様は鳩が豆鉄砲を食ったように驚く、だがお陰で頭の中が一旦真っ白になったろう。
「はう!」
「はい、落ち着きましたね?」
聖女様は無言でコクコクと激しく頭を上下させた。
おっさん、この手で落ち着かない生徒を何度も静かにさせてきた。
意外と人族は想定外の事態に弱いからな、ちょっとしたドッキリで充分なのだ。
「聖女様、まずは落ち着いて」
「は、はい……すみません。その、ガーネットさんによろしくとお伝えを……」
「ええ、喜んで。ガーネットも喜ぶでしょう」
なんだかんだガーネットは随分聖女様を信頼していた。
あるいは姉のように慕っていたとさえ言えるかもしれない。
最も下手な男性より男前なガーネットじゃ、エルフの王子様とお姫様の関係だったかもしれないが。
ガーネットも聖女様に情が移ったのは間違いないだろうからな。
ガーネットは一匹狼を演じているが、一人では出来ないことの多さも痛感している。
良い経験だったなら……兄としても喜ばしいさ。
「それ、と……その、これはグラルさんになん、ですけど……」
「俺に?」
「あの……ありがとう、ございました」
「はい? 感謝される謂れなんて……」
「二十年前……に、助けられました」
二十年前? それは戦争前か。
おっさんまだピチピチ若い夢溢れるガキみたいな頃だな。
おっさん、聖女様とそんな頃に関わりがあったか?
いや、落ち着け……二十年前なら、まだ彼女は聖女と呼ばれていない。
こんな金髪の少女、目が塞がれた。
「……っ! 生憎ですが、記憶違いですよ。それではもう行きます」
「はい、お気をつけて」
聖女様は頭を下げると、おっさんは手を振ってその場を離れた。
やがて聖女様が見えなくなると、おっさんは無言で後ろ頭を掻くのだった。
ありがとう、か……そりゃ遅すぎるだろう。
多分、ありゃ低級魔族に襲われた娘だ。
どこにでもいるような普通の少女に起きた不幸な事故だった。
「なにがありがとうだよ……俺は何もできなかった、のに」
あの時、おっさんはある少女を襲う低級魔族を撃退し、少女を抱えて実家の治療院に連れていった。
少女は何度も「助けて」と繰り返していた、おっさんはまだ力も学もなく、少女を鼓舞することしかできなかったんだ。
一命は取り留めた、けれど少女は目の光を失った。
おっさんは悔しかった、もっと真面目に治癒魔法を学んでいれば間に合ったかもしれないのに。
その後少女は引っ越し、それっきり音沙汰もなかった。
それがまさか……な。
「冗談きついぜ……おっさんには眩し過ぎる」
今の聖女様はおっさんにとっては眩し過ぎる存在だ。
彼女はあんなひどい目に合ったのに、聖女様なんて凄い存在なったのだ。
おっさんは何ができたのか、少なくとも感謝されるような謂れはない。
助けてと乞う少女一人救えなかったんだ。
「いいや、今はローズだ、ローズのことだけ考えろ」
おっさんは首を横に振ると、今に集中する。
経験則だが過去に囚われても意味はない、それよりも今が重要なのだ。
ローズはシェアハウスにガーネットと一緒に居るはずだ。
おっさんは思わず拳を強く握った。
ローズを救う、今度こそ失敗しない。
おっさんはそう思うと、足早に歩き出した。
§
「ただいま」
おっさんはシェアハウスに帰ってくると、真っ先に飛び込んでくる存在があった。
「グラルー! お帰りー!」
ローズだ、彼女は嬉々と呆れる程元気におっさんの腰に抱きついてくる。
そのまま彼女は腰に顔を埋めると、おっさんに顔を擦りつけてくる。
「やめろ、気持ち悪い」
「ムッキー! 折角それっぽく出迎えてやったのにー!」
「お猫様二匹めです」
そんな逆ギレローズを猫扱いしたのはサファイアだ。
彼女はいつもどおり玄関前で頭を下げる。
「おかえりなさいませ主様、お荷物をお持ちします」
「ああ、いつもありがとう」
「それと、お身体の方は大丈夫でしょうか? もし必要であればなんなりとお申しを」
そう言うと彼女はおっさんのバッグを手に取り、完璧なメイドっぷりを見せて、リビングへと向かった。
それを全てその目で見ていたローズは文字通り目が飛び出す程驚愕していた。
「あれが完璧で究極なメイド?」
「なにも言えん……それより歩きにくい、さっさと退け」
「対応が違い過ぎる!?」
おっさんは無理矢理ローズを引き剥がすと、ローズは悲鳴を上げた。
リビングに向かうと、帰ってきたのはおっさんが最後のようだ。
ガーネットにコールンさんはリビングで寛ぎ、ルビーとサファイアは協力して家事を熟していた。
「お帰り兄さん」
「グラルさんー、お身体お気をつけてくださいよ?」
「ああ、迷惑かけて済まないな」
コールンさんは特に心配そうだった。
肉体が資本な体育会系のコールンさんは、余計にだろうか。
おっさんも腰をやった時は命の危機さえ感じたが、一先ずおっさんの身体に違和感はない。
まあ医者には何言われるか分かったものじゃないが。
「それでそれで? 私の『首輪』、なんとかなるの?」
ローズはリビングに駆け込むと、ソファーに飛び込んだ。
ガーネットは「部屋で燥ぐな!」と注意するが、そんなことは知らないと、ローズはケタケタ笑った。
おっさんはそんな愛すべきバカを見て微笑み、そして為すべきことを思い浮かべる。
「ローズを取り巻く環境はローズが危険な兵器であるということに一点集中している」
兵器という言葉にガーネットは納得し、ローズは不快な顔をした。
生きた生体兵器とさえ言えるその存在は、サファイア達ショゴスとも違う。
心情的には理解できるのか、ルビーも頷いており、どちらかといえば同情的だ。
コールンさんだけは、相変わらず我関せずとのんびりお茶を飲んでいるが。
「兵器なら、安全装置が必要ね」
ガーネットは椅子に座りながら、武器の手入れをしていた。
彼女の得物は弓だ、それもある程度機械化させた。
ガーネットの弓は使いすぎで半ば壊れているが、矢を
そう、おっさんはその発想が必要なんだと確信している。
「安全装置……でもどうやって私に?」
「存在格を変えるんだ」
「存在格って?」
ガーネットは気になり質問した。
これは高度で呪術的なものだ、確信もって説明出来る訳じゃない。
説明するよりやってみる方が早いか。
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