第106話 おっさんは、教会に訪れる

 「さて、と」


 おっさんは、一人学校を出た。

 ローズとガーネットは一先ずシェアハウスに行ってもらい、おっさんはローズをなんとかする方法を考える必要がある。

 小心者のおっさんには王国に楯突たてつく気は毛頭ないが、それでもローズを王国側のように危険物扱いしたくはない。

 ――神々が鋳造せし必滅の剣ダインスレイブ、その力は絶大で過去に斬った魔人、魔王の数は千はくだらないという。

 もしもそれが悪意の下に振られれば、そんな恐怖が王国側にはあるんだろう。

 おっさんにもその恐怖は理解できる、誰だって過ぎたる力は恐れるものだ。


 しかし魔剣だか聖剣だか、そんな物は結局は主観的価値でしかない。

 おっさんにとっては、ローズも守るべき子供たちとそれほど違いはなかった。


 だからこそ、おっさんは今聖アルタイル大聖堂前にいた。

 国教にもなっている聖教会の建物、過去にも一度訪れたが教会前はかつて賑わいも戻っていた。

 おっさんは迷わず入口に向かう、幼い修道女がおっさんに気づくと声を掛けてきた。


 「あっ、せ、聖教会になんの用でしょうかっ!」


 随分舌足らずな幼い修道女だな、おっさんはなるべく温和な笑みを浮かべる、が。


 「ひい!? あわわわ!」


 修道女は涙目ですくみ上がった。

 畜生、おっさんが何したってんだ。

 そんなにおっさんの顔は不気味か?


 「教会図書室は使えますか?」


 おっさんは諦めて要件を伝える。

 図書室と聞くと修道女はキョトンとした。

 あまり勉強熱心ではないのだろうか、「図書室?」と首を傾げていた。


 「よろしければ、案内、しましょうか?」

 「えっ?」


 突然堂内から一人のスラッとした美女がゆっくりと腰を妖艶に振りながら近づいてきた。

 高位の修道服、目元を布で覆った金髪の人族。


 「し、シフ様ァ!?」


 修道女が裏返るような奇声で叫んだ。

 聖女シフは口元に人差し指を当てる。


 「落ち着いて、静粛に、ね?」

 「は、はひ」


 修道女は顔を真っ赤にすると、そのまま押し黙った。

 おっさんは聖女様を見る。前に拝見した時と殆ど見た目は変わらないな。

 流石に雰囲気はアノニムスに誘拐されたあの時と比べると元気になったようだが。


 「グラル、ダルマギクさん、ですね?」

 「俺を知ってるのか?」

 「ガーネットさんに、教えていただきました」


 ガーネットがわざわざ俺のことを聖女様に教えたのか?

 聖女様はおっさんの様子を見ると「クス」と微笑んだ。

 それにしても聖地マーロナポリスに居るはずの聖女様がなぜ聖アルタイル大聖堂に?


 「聖女様がどうしてここに?」

 「新しい、司教様が就任しましたの、それでご挨拶に」


 そう言えば夏休みの終わり位に新しい司教が選ばれたとウチの生徒が言っていたな。

 マーロナポリスから派遣されたと思ったが、違ったのか?

 まあ無宗派のおっさんには関係ないか。誰が指導者だろうと、おっさんの生活は変わらない。


 「どうぞこちらに、図書室、ですよね?」


 聖女様は背中を向けるとゆらり、ゆらりと腰を振りながらゆっくりと歩き出した。

 なんかエロいな、この聖女様。まるで歓楽街にいる客引き嬢みたいだ。

 とかくは突っ込めないが、おっさんはなるべく意識しないように、なるべく視線から聖女様を外した。


 「それにしても、図書室……どんな書物をお求めで?」

 「調べ物なんですがね」


 「ふぅん」と、聖女様は妖艶に呟いた。

 なんだろうな、近寄り難い雰囲気とは裏腹に、聖女様って思ったより人懐っこいのか?

 流石に身分の違い過ぎる相手だけに、おっさんも言葉選びは慎重にいかないと。

 聖女様は顎に手を当てると何かを思案した、そして。

 

 「もしよろしければ、お力になりますが?」

 「え? 聖女様がですか?」

 「はい、私がです」


 おっさん少し戸惑う、そこまでしてもらう義理はないと思うがな。

 どうも聖女様はお人好しの臭いがする、ガーネットは面倒臭いと言っていたが。


 「それで、何を調べようと?」

 「精霊契約について、なんですが」

 「まあ! 精霊と? それは凄い」

 「いや、自分が契約するんじゃないですよ? それに契約じゃなくて封印魔法をです」


 聖女様は言葉を反芻はんすうすると、表情を真剣な物に変えた。

 精霊の封印魔法、これは魔法使いならばどれだけ高度な術式か知っているだろう。

 聖女シフともあろうものなら、おっさんより詳しく知っていてもおかしくないが。


 「……こちらです、ここが、図書室になります」


 一階の奥に古びた扉があった。

 シフ様は「んしょ」と、力を込めると扉はギギギと重たい音を上げて開いた。

 図書室の中は暗く静かで、そして冷たい空気が流れていた。

 結界でも貼っているのか、異質な雰囲気がするな。


 「どうぞ」

 「ありがとうございます」


 おっさんは頭を下げると、図書室に入った。

 シフ様も後から入ると、重たい扉は閉じられる。


 「精霊の封印……詳しい説明を頂いても?」

 「ダインスレイブってご存知ですか?」

 「神々の鋳造せし、魔を討つ剣ですか……拝見したことはありますが」


 流石戦争の大英雄の一人、ダインスレイブを見たことがあるのか。

 シフ様は胸元に手を当てると、ある祝詞のような詩を詠った。


 「我、神の名において、これを鋳造する。汝ら罪なし」

 「……その詩は?」

 「ダインスレイブにまつわる詩です、その意味は殺しの免罪符、です」


 おっさんは苦虫を噛み潰したような顔をしただろう。

 殺しの免罪符だと? どんな命であれ死は存在する……だが殺しを肯定など出来るものか。

 そうか、ローズが自分の名前をあれ程まで嫌っていた理由、自身に刻まれた呪いのトラウマか。

 破壊や殺戮さつりくを教義とする魔族、その行い否定する人族が、魔族の行いを肯定する剣というのも皮肉だな。


 だが、今はそれはいい。

 重要なのはローズが安心して暮らせる方法だ。


 「ダインスレイヴ、そう……そう言えばあの剣には精霊が」

 「今はローズと名乗っています、彼女を悪用させない為に、安全装置を付ける必要があるんです」

 「まあそれで?」


 おっさんも洗いざらい事情を説明すると、聖女様は驚いた様子だった。

 まずこんなどこにでもいるようなおっさんが、伝説の剣ダインスレイヴが関わってくるなんて想像も出来んよな。

 ローズにしたって、これは運命なのか。


 「でしたら確かにこの辺りに――ん」


 聖女様は目が見えないにも関わらず、狭い書棚の隙間を縫いながら迷わず進んだ。

 少し高い場所にある蔵書に手を伸ばすが中々届かない。

 見かねて、おっさんは聖女様の後ろから目当ての本を手にとった。


 「あっ」

 「これで良いんですよね?」

 「は、はい」


 聖女様は微笑を浮かべると、小さく頷いた。

 おっさんはぶ厚い本を聖女様に渡すと、彼女は優しい手付きで本をめくった。


 「んと……、ああ、これ、ですね」


 聖女様は、本の表面をその綺麗な指でゆっくりと撫でると、なんと本を読んでいるようだ。

 インクで出来た僅かな厚みを指で認識しているとは、恐るべき能力……いや、これが神の加護か?

 おっさんは脇から本の内容をしたためる、そこにはおっさんの求める情報があった。


 「精霊の存在格を変える?」

 「ええ、これは過去に使われた術式になります。精霊とはまず何か?」

 「精霊……確か概念が現世に力を有して顕現した存在ですよね?」

 「その通りです。ですが概念とは? 水は何故水、火はどうして火なのか?」


 おっさんその言葉にすぐには答えが出てこなかった。

 いくら思い悩もうが、出てくるのは疑問ばかり、首を傾げるしかなかった。


 「何故、でしょうか?」

 「答えは神の理です」

 「神様のですか?」

 「我々聖教会の使用する聖魔法は星の神があってこそ、魔族の力もまた魔の神なくてはありません」


 神を知識としては理解しているが、宗教的な概念ではおっさんもさっぱり分からない。

 概念と理は密接に関係しているというのか?


 「理を変えれば、概念は変わる?」

 「そうですね、きっと火が冷たく、地が浮くような概念も生まれるかもしれませんね」


 おっさんつくづく学びが足りないのを痛感するな。

 専門知識の差と言ってしまえばそれまでだが、聖女様はこの若さで、これほど知識に溢れている。

 おっさんもこの領域にはまだ至っていない。


 「ですが問題は理を変える方法ですね」

 「簡単ですよ、精霊なら」

 「精霊なら簡単とは?」

 「精霊は概念に極めて近い、それ故に変化にはとても強い反面、ちょっした影響で違う概念を持ってしまうの」


 精霊は変化しにくい、しかし僅かな変化も許容しない性質に穴を突けば、違う概念を持つ、か。

 おっさんは知識をフル動員して、その言葉を探す。

 そう、それはまるで。


 「呪い、ですか?」

 「呪いという、言葉は少し違います、定義の変更です」


 聖女様は呪いは許容しないようだ。

 おっさんからすればこれは呪術的な呪いだと思うが。


 「例えば名前……剣に斧という名前を与えるの」

 「剣なのに斧?」

 「あるいはネギに剣とか、ね?」


 また微妙な例えが出てきたな。

 ネギだと剣にしても、直ぐに折れそうだが。


 「重要なのは、意味を与えるということ、別にネギが剣になるんじゃない、ただネギが自分を剣だと思えば、それでいいの」


 そうすればネギは剣になる……か。

 ダインスレイヴを本当のローズにすれば、概念は致命の魔剣から本当に一輪の花になる可能性があるのか?

 おっさんはより詳しく本の内容を覗き込んだ。

 まだ全てを理解するには時間が足りない。

 これがローズに可能なのか、検証も必要になるだろう。


 「聖女様ありがとうございます、お陰で糸口が見えました」

 「いいえ、そんな……こっち、こそ」

 「え? それって?」

 「ッ、お気にせず、これが私の努め、です、から」


 聖女様は顔を赤くすると、もじもじと腰を揺すった。

 一体なにを考えているのか、おっさんには理解不能だ。

 ともかくおっさんは顔を上げる、ローズを必ず救うぞ!

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