第89話 おっさんは、遊覧船に乗船して海の生物を観光する

 旅行三日目、最後の滞在日を迎えていた。

 今日には帰る準備もしなければならないだろう。

 思えば今回の旅行計画、最初こそおっさんは否定気味だったが、学生達が変えがたい経験が出来れば充分とさえ思っていた。

 しかし現実は、おっさんが楽しんでいる気がしてならない。


 「見てください、あれがプレシオスです」


 おっさんは遊覧船に乗っていた。遊覧船の先頭でガイドの女性がハキハキ元気な声で説明する。

 発案はテンで、ルルルとアルトも賛同し、皆で遊覧船に乗船して海上ツアーを体験していた。


 「へえプレシオスって可愛ええなあ!」

 「プレシオスって、海竜とも言われるけど、ドラゴンとは少し違うみたいよ」


 シャトラはガイドブックを片手に説明した。

 プレシオスは水面から顔を出し、群れで生活している。

 「キュオオン、キュオオン」と仲間達で鳴き合い、なんらかコミュニケーションをとっているのだろうか。

 人間に興味があるのか、プレシオスの視線は遊覧船に向けられていた。


 「ブンガラヤには少なくとも三百種以上の固有種が確認されているみたい、さっきのプレシオスは小型種だったね」

 「大型種ならどれ位あるん?」

 「えっとね……体長十二メートルだってさ」

 「大きいだ! まるでドラゴンだ!」


 プレシオスは小型種なら三メートル程、最大種になると確かにドラゴン並みだ。

 最も陸上の生物に比べて、海の生物は大型の傾向がある。

 浮力が陸上より水中の方が大型化させやすい環境作用があるのだろう。


 「あ、皆さん反対側をご覧ください。珍しい生き物がいますよ」


 ガイドさんが指差す。そこにいたのは大きな背ビレを水面から揺らす巨大な魚のような生き物だ。

 推定二十メートルはある、この遊覧船並みにデカイな。


 「シーサペントです。リヴァイアサンの幼体とも言われる列記としたドラゴンなんですよ」

 「プレシオスはドラゴンじゃないのに、シーサペントはドラゴンなの?」


 プレシオスは首長竜に似ている陸上動物が海に適応進化したような姿だ。

 ルルルに可愛いと言われるくりっとした目が特徴の肉食獣。

 一方でシーサペントは腕も足も無ければ、まして翼もない。

 理不尽に思えるが生物学上はあっちがドラゴンなのだ。


 「リヴァイアサンって?」

 「ブンガラヤの守り神よ」


 レイナ先生が即答する。

 シャトラは直ぐにガイドブックをペラペラと捲くっていく。


 「あった。リヴァイアサンは海の守護竜と呼ばれていて、ブンガラヤの海棲民族にウンディーネと並んで信仰されている存在だって」

 「ウンディーネってなんや?」

 「水の精霊ウンディーネ、もしくはアンダイン。各地に祠があって、土着信仰されているみたいね」


 島よりも大きいと言われるリヴァイアサンと、海の化身そのものなウンディーネ。

 ブンガラヤがいかに海に恵まれ、海に生かされているかが分かる話だな。

 エメラルドグリーンの海には豊かな生態系がある。

 ブンガラヤの独特の文化はこの海あってこそなんだろう。


 「あれ、遠くに見えるのって」


 シャトラが浜辺側を指差した。

 よく目を凝らすと、スキュラ族の女性達が何か海上で作業をしていた。


 「ああ、あれは養殖よ。この地域だと虹色貝の養殖ね」


 レイナ先生はこともなげに説明した。

 流石にそれはガイドブックにも掲載されていないだろう、シャトラもお手上げだった。

 そういえばスキラは母親が海女あまだと説明していたな、スキュラ族の多くが海産業に従事しているのだろう。


 「ええなええなー」


 ルルルは顎に手を当てると、ニヤニヤ薄ら笑いでスキュラ族を見つめた。

 なにがどうしたのか疑問に思うと、ルルルは自分の胸に触れて呟く。


 「ウチもあれくらいおっぱいあればなあ?」


 思わずおっさんずっこけてしまう。

 スキュラ族は人族と比べ身長が低く、いわゆるロリ巨乳という体型になる種族だった。

 丁度海女さん達も皆水着姿でくっきりと身体のラインが出ているのだから、持たざる者の妬みが炸裂する。


 「ル、ルルルちゃん、気にしてたの?」

 「気にしとるわ! 大体テンも持っとるな! 持たざる者の恨みをくらいやー!」


 獣人族故か、歳のわりに身体の成熟したテンにルルルの妬みは爆発する。

 ルルルはテンのおっぱいを鷲掴みすると、テンは顔を真っ赤にして尻尾を逆立てた。

 流石にまずい、おっさん慌ててルルルを静止する。


 「いい加減にしろ、周りの迷惑も考えろ」


 ルルルは「あ」と気付くと、少しだけ気まずそうにテンから手を離した。

 テンは顔を真っ赤にして服を正す。友達同士のじゃれあいとは分かっているが、親しき仲にも礼儀ありだろう。

 おっさんは「はあ」と溜め息を吐くと、隣に静かに鎮座していたサファイアがふと呟いた。


 「お胸が大きいことがそれほど良いのでしょうか?」

 「サファイアは毒されないでくれ……本当に!」


 人の姿でさえショゴスにとってはそういう擬態の為に、サファイアは女の妬みは理解出来ないようだ。

 かえって何にでも変身出来るサファイアの方が、個性の価値観を大切にしているのかも。


 「主様は、おっぱい好きですよね?」

 「ほわい!? 突然何!」


 おっさん心臓が口から飛び出るかと思った。

 思わず素っ頓狂な声を出すと、周囲の視線が不快そうにおっさんに向く。

 おっさんは頭を抑えると、隠れるようにしゃがんだ。


 「サファイア……どういうつもりだ?」

 「申し訳ございません。ただもしかして私は主様を満足させていないのではないかと?」


 出たよ、このお世話厨! 唯一絶対の価値観こそがお世話である。

 奉仕種族として生み出されたショゴスにとって喜びこそが奉仕であるならば、サファイアが生まれながらにして完璧パーフェクトなメイドさんだということだ。

 サファイアは少しでも奉仕に怠慢があるのではと考えると、直ぐに顔に現れていた。


 見方を変えたら、周囲を簡単にドン引きさせる変態さんだな。

 素直で優しい良い子なんだが、おっさんもすっかり毒されていたぜ。


 「俺が不満なんていつ漏らした?」

 「いいえ……ですが、枕になるのは許されませんでした」


 ガタタン!


 後ろの席が揺れた。

 確か後ろにはコールンさんとルビーがいた筈だが?


 「サファイアが主様と寝て……?」

 「拡大解釈!」


 なんとルビーが珍しく動揺し、狼狽してみせた。

 断じて男女の夜の営み的なものは起きていない!

 精々あれは添い寝のようなものだ。見るとコールンさんも顔を真っ赤にして口元を両手で抑えていた。

 むう、彼女に限れば何を考えているのかイマイチわからん。


 良くも悪くもコールンさんは極度のマイペース、学生達がわちゃわちゃしていても、この人だけはニコニコ笑顔で気にしないなんて日常茶飯事だ。

 おっさんには極めて扱い辛いからこそ、おっさんは頭を搔いて、その後を予想する。


 コールンさん、大抵突拍子もないから……な。


 思わずコールンさんの顔を覗くと、彼女は視線に気付き顔を逸らす。

 き、気不味い。


 「サファイアズルいです、奉仕の平等を求めます!」

 「では、今日だけ役割の交代を?」


 ルビーとサファイアは逆に平常運転、まあこのお世話厨どもが周りに影響されるような娘達じゃないわな。

 おっさんは正面を向くと、今はなんにも考えない無の境地を目指す。

 精神統一、精神統一……!


 「ご覧ください! カリュブディスの食事風景です!」


 精神統一、精神統一。


 「カリュブディスは海水ごと、餌を吸い込み、それを濾過ろかして、食べ物以外を吐き出す性質があります。 あっ!」


 精神統一、精神と――。


 バッシャアアン!


 「――はい?」


 突然海水が遊覧船に降りかかる。

 おっさんは顔面から海水を浴びた。

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