第87話 おっさんは、平常心の大切さを思い出す

 ブンガラヤの夜は賑わう。

 すでにホテルの灯りは街を照らし、観光街は飲食店を中心に道の側までテーブルと椅子が並んでいる。

 夜の海は暗い――いや、ちらほら明かりが見えるな。

 海底に居を構える人魚族やスキュラ族の住まいだろうか?

 浜辺を覗けば、人魚たちが相変わらず恋の歌を歌っていた。


 「すぅ……すぅ……」

 「ごめんなさい先生、ルルルちゃんを背負って頂いて」


 おっさんの背中には寝息を立てる赤いツインテール少女がいた。

 すっかりはしゃぎ過ぎてルルルも夕食の後、大人しくなってしまった。

 普段酔いどれを背負っているから慣れたもんだ。


 「気にするな、軽いもんだ」

 「ふふ、ルルルちゃんが聞いたら怒るかも」

 「ルルルさん身長気にしてるだ」


 年齢からしたらルルルの身長は低い。

 アルトも身長は低いが、ルルルはそれ以下だから、コンプレックスもあるのだ。

 おっさんからすれば、子供はどうも急かし過ぎる。

 ルルルも大人になれば素敵な女性になるだろうに。


 「アルトはまだ元気だな?」

 「おら、夜の番もするだ、だから慣れてるだ」


 そうか、アルトの場合は牧場の関係、家畜の見回り等もあるのだろう。

 魔物が現れれば、全力で死守しなければならないだろうし、それなりに過酷な生活だな。


 「シャトラは落ち着いているねー」

 「ふふ、きっと性分でしょうね?」


 レイナ先生はシャトラを落ち着いていると評価する。

 けれどおっさんからしたら、レイナ先生の方が逆に落ち着きがなく、子供っぽいと評価した。


 なんていうかシャトラは確かに大人びていて落ち着いている。

 けれどシャトラにも子供っぽい所はある。

 自分の大好きな家庭菜園の前では、嬉しそうに土いじりしているし、友達とお喋りする時は、時々地だって出ているからな。

 不思議と言えば不思議だが、シャトラにも事情はあるだろう。


 「グラル先生は楽しいですか?」

 「え? そうだな……楽しいよ。平穏が一番だが、こうやって遊ぶのも悪くない」


 突然シャトラからの質問に驚くが、おっさんは素直に答えた。

 まさかシャトラがおっさんのことを気にしているのは意外だった、おっさんなんて冴えないタダのおっさんなのにな。


 「おっさんのことを聞くなんてどうしたんだ?」

 「いえ……先生は優しいけれど本当は私達はただ、先生の責任に成り果てているんじゃないかって」

 「……シャトラ、子供を見守るのがおっさんの役目だ、負い目を感じるな」


 シャトラは小さく俯くと「はい」と頷いた。

 聞き分けの良い子だ、本当に非の打ち所が無い程に。

 見るとテンもなんだかしょんぼり耳を垂れさせ、尻尾をしならせた。

 まだまだおっさんも駄目だなと、痛感する。

 生徒を心配させる教師に何を導けるか。


 「あー、ほらほら! 旅行はまだ続くんだし、もっともっと楽しいことはあるんだよ!」


 なんとなく居心地が悪くなったのを察したのか、レイナ先生は小さな体を精一杯広げて、大げさに語った。

 そうだ、旅行は明日も続く。浮かれ方は思わず怖いと思える程だが、シャトラは優しく微笑んだ。

 おっさんはルルルを担ぎ直すと「明日も頑張らないとな」と呟く。


 「ふふふ、夜だって楽しいことあるんですからねー?」


 そう言うコールンさんの手元には大量の酒瓶が抱え込まれていた。

 相変わらずブレない先生だな、おっさんも思わず苦笑いだった。


 やがて泊まっているホテルが見えてきた。

 夜のアモタンビーチは静かだった、だけどよく耳を澄ませば音楽は優しく聞こえてくる。

 ある意味で眠らない街かもしれないな。




          §




 ホテルに着くとルルルをシャトラに預け、宿泊する客室に向かった。

 一夜を共にするのはアルトとサファイアだ。

 原始的な水上コテージは、明確な壁がなく、うっすらと大きな葉が幾重にも重なり壁になる。

 それ故にうっすらと外の光が中に届いていた。


 「主様、どうぞお茶です」

 「ああ、ありがとう」

 「サファイアさん、いつもそうしてるだか?」

 「勿論です」


 サファイアも実に平常運転だ、メイドとはかくあるべきという自信に満ちあふれている。

 まあ実際は行き過ぎな上、かなり拗らせたお世話厨なのは内緒だが。

 当然メイドなんて高尚な存在を間近に見てアルトは、苦笑してしまう。


 「良ければアルト様もいかがでしょうか?」

 「あ、そ、それじゃ頂くだ」


 アルトは完全に照れていた、よくよく考えれば多感な男の子にサファイアは刺激が強過ぎたか。

 すっかり慣れてしまったものだが、サファイアは超が付く程可憐な美少女だ。

 そんな銀髪の美少女が奉仕などしてきたら、アルトの性癖が拗れないか心配になる。


 「ずずず……、ありがとうだ、なんだかポカポカするだあ」

 「寝付きがよくなる薬草を煎じております」


 茶器にポットはサファイアがホテルに持ち込んだ私物だ。

 使い慣れた物が良いと、サファイアはわざわざホテルでさえ奉仕のパフォーマンスを下げようとはしない。

 正に完璧パーフェクト家政婦ハウスキーパーだな。


 「いつもと同じ味だな……まさか水まで持参したのか?」

 「いえ、それでは嵩張かさばるので生成しました」

 「生成だ?」


 何を言っているのか、アルトは目を丸くし、おっさんはポカンと口を開ける。

 サファイアは「えっへん」と小さな胸を張ると、掌に水を生成する。


 「魔法か?」

 「はい、私は氷の属性に適正があるようなので」


 普段飲んでいるピサンリ王国の水を態々わざわざ再現する為に、サファイアは氷の魔法を溶かして生活用水にしていた。

 魔法使いとしては並外れたというか、そもそもそういう発想には辿り着かないという所業におっさんはあ然となった。

 アルトは何が起きたか理解出来ずフリーズする。

 専門のレイナ先生が見たら何を思うかな?


 「魔法は得意ですから」

 「凄いだ、魔法も使えるなんて凄いメイドさんだ」


 アルトは純心な目でサファイアを見た。

 サファイアはいつも通り鉄面皮で平然としているが、少し嬉しそうだ。


 「ん……さて、もう寝るか」


 おっさんはお茶を飲み干すとカップをサファイアに返した。

 サファイアはうやうやしく受け取った。


 「お休みなさいませ主様」

 「ああ、アルトもお休み」

 「お休みなさいだ、先生!」


 アルトも飲み干し、カップを返すとベットに寝転がった。

 蚊帳の中、うっすらと透けたカーテンのようにも見えて、独特の雰囲気がある。


 おっさんはベッドに寝転がる。

 少し枕が硬いな。

 やはり暑さもあるか、寝付きは家ほど良くはなさそうだ。

 だが静かに目を閉じると、そっと夜風が壁の隙間から入ってくる。

 水上コテージは真下が海のためか、寝苦しくはない。


 「あの、主様……?」

 「ん? サファイア? どうした?」


 突然の声、おっさんは目を開くとサファイアの顔が近くにあった。

 少し驚く、サファイアの距離感がバグったかと錯覚するが、それはないと彼女の鉄の精神を信用する。

 一体どうしたのか疑問に思うが、サファイアは。


 「もしよろしければ私が枕になりましょうか?」

 「はい? 何を言って?」


 サファイアは虚言を飾る女じゃない。

 それは理解していても、それ以上は想定外だった。

 なんとサファイアは自らの腕を枕に変化させたのだ。


 「なんだか枕に問題がありそうですので、どうぞサファイアのお身体をお使いくださいませ」


 ………おっさん、思わず顔を赤くすると、勢いよくベッドから起き上がった!

 サファイアの身体を使え? 流石におっさんもそこまで免疫は無いわ!


 「ちょ、ちょっと夜風に当たってくる!」


 逃げるようにそう吐き捨てると、おっさんはコテージを出た。

 サファイアは追いかけてこない、一安心すると、おっさんは「はああ」と深いため息を吐く。


 「アルトの情操教育に悪い!」


 おっさん、自分のことは棚に上げて、アルトの為にサファイアを少し叱らないといけないと痛感する。

 サファイアは操を捧げるのに躊躇いが無いから、おっさん今も心臓バクバクだわ。


 とりあえず落ち着く為にも深呼吸。


 「すうー、はあー」


 息を整えると、少しだけ落ち着いた。

 おっさんは落下防止用の欄干に寄りかかると、空を見上げた。


 「平常心平常心、サファイアにはちゃんと説明しないと」


 おっさんは兎に角平常心を求めた。

 サファイアの暴走を止められるのも今はおっさんだけ。

 改めて自分にそう喝を入れる。


 「あはは、でねでねー?」

 「んひひー♪」


 レイナ先生達が宿泊するコテージから僅かに灯りと声が聞こえた。

 どうやら楽しく談笑しながら酒を開けているようだ。

 あっちは楽しそうだ、そう思いながらおっさんはもう少しだけここで時間を潰すことにする。


 ヤマなしタニなし、平坦な人生こそおっさんの望み。

 どうしてそれがなかなかに難しいものだ。

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