第83話 おっさんは、テンと一緒に旅行を楽しむ

 海では結局どんちゃん騒ぎだった。

 人魚の一団に囲まれたおっさんは、脱兎の如く逃げ出したが、敢え無く人魚達に足を掴まれてしまう。

 おっさんとアルトの二人は、異性に興味津々の人魚たちに満足するまでおもちゃにされたのだ。


 堪らずサファイアとルビーが止めなければやばかった。

 特にアルトは性癖を破壊されていないと良いが。

 「おっぱいが、おっぱいが迫ってくるだあ」とうわ言のように呟いていたのを思い出すと、おっさんは憐憫れんびんの思いに目頭を抑えた。


 さて、そんな海での大騒ぎの後、夕暮れを迎えると一行は水着から私服に着替えて、街に出ていた。

 レイナ先生が「お小遣いだよー」と言って貧乏学生たちにお金を幾らか渡すと、自由時間とした。

 学生たちはお金を受け取ると、嬉しそうに駆けていき、おっさんは「ぶつかるなよー!」と注意する。


 「やれやれ……騒がしいもんだ」


 おっさんは自由時間、適当に街を散歩していた。

 観光街の賑わいは凄まじく、ブリンセル以上の喧騒は流石に初めてだった。

 大半が観光客であり、地元民は存外少ないのは驚きだな。


 「さあらっしゃい、らっしゃい! 土産はいかがー!」


 喧騒の中でも客引きの声は殊更によく届く。

 おっさんは振り返ると、小さな土産屋があった。

 土産屋を覗くと、ブリンセルでは見たことのない装飾品が売られていた。

 以前赤珊瑚事件を思い出すが、本当にブンガラヤは手工業が盛んなんだな。

 虹色の二枚貝のペンダントや、巻き貝のタリスマン等、海の産物達だった。


 「いらっしゃい! なんか買ってくかー?」


 おっと、客と思われたか。

 アロハシャツを着た浅黒い店主はテンガロンハットにサングラスと、中々に怪しい。

 おっさんは仕方なく店の前に近づくと、虹色の貝のペンダントを手にとった。


 「お目が高い。そいつはスキュラ族の中でも有名な、アルメリアの一作だ」

 「アルメリア?」

 「観光客なら知らないかも知れないが、マール・アルメリアっていう職人がいるのさ」


 おっさんはまさかと黙考する。

 アルメリア、スキラと同じ性か。

 もしかしてスキラの親族か?


 「いくらだ?」

 「二千ゴールドでどうだい?」


 時価なのか、値札はなく店主が値段を発表すると、「ふむ」と相槌を打つ。

 買えない値段ではないな、帰ったらスキラにでもプレゼントしてやるか。


 「貰おう」

 「毎度あり! おっ?」


 突然店主の視線が泳いだ。

 俺はその目線を追うと、スキュラ族の男性と人魚族の男性が何か話し合っていた。

 人魚族の方はご丁寧に車椅子で陸上を移動しており、ちょっとシュールだが。


 「さっき言ったアルメリアさんだ、厳密には夫のダラン・アルメリアだ」

 「隣の人魚は?」

 「ルサルカ・アンスリウムだ。この国の商業組合の会長様だ」


 以前スキラが赤珊瑚の件で言っていた組織のトップか。

 たしかに産業の保護と流通価格の調整をしてるって言ってたな。


 「では例の件は?」

 「うむ、またブリンセルを訪れよう」

 「その時はこのルサルカ殿も」


 ふむ、くだんの二人はおっさんよりも年上のダンディーなおじさん達だった。

 ダランの方はスキュラ族特有の蛸足にマッシブな上半身が生えたカイゼル髭のおじさんで、ルサルカはこちらもマッシブな上半身をした白髪眼帯の海賊ルックな褐色人魚だ。

 ぶっちゃけ濃ゆいぞ、濃すぎる。

 

 おっさん達には気づくことなく過ぎ去ると、何やら巨大な倉庫のような建物に入っていった。


 「……行くか」

 「ああ、お買い上げありがとうございます!」


 見た目は怪しいが、中身は普通のおっさんな店主は手を振ると、おっさんはペンダントを懐に納めた。

 改めて街を見渡すと、海棲人類が陸上にいるのは珍しいのだと気付く。

 リザードマンやハーピーの比率は高いが、スキュラはともかく、人魚やサハギンとなるとのほとんどいない。

 時々歌っている姿を見るが、その程度だった。


 「うーん」


 しばらく道を歩いていると、突然見知った背中があった。

 特徴的な尻尾を垂らし、頭部から生えた耳をピョコピョコさせる少女は、なにか悩んでいる様子だった。


 「テン、どうしたんだ?」


 俺はテンに話しかけると、彼女は嬉しそうに振り返った。


 「あっ、グラル。ねえこれ見て」

 「どれどれ? ん?」


 テンが見ていたのは真っ黒な円盤だった。

 これってレコード盤? 中古のようだがテンはどうしたのだろう?


 「音楽に興味があるのか?」

 「ううん、音楽ならスラムでも役に立つかなって……」


 なるほど、テンは地元のスラム街のことを思っていたのか。

 たしかに音楽は万人が楽しめるからな。

 とはいえ……。


 「再生機はあるのか?」

 「えっ? なにそれ?」

 「案の定か」


 おっさんは呆れてしまう。

 テンはレコード盤から音が鳴ると思っているらしい。

 店内では古臭いレコードプレイヤーが稼働していた。

 音質はあまり良くないが、知らない曲が流れているな。


 「ねえグラル、再生機っていうのがないと、音楽は流れないの?」

 「ああ、ブリンセルでも買えるは買えるが、な……」


 これが結構高いのだ。

 おまけに場所取るし、学生が手を付けられる値段じゃないな。

 しかしそれを知るとテンはあからさまに落ち込んだ。

 ううむ、なんとかしてやりたいが、流石に贔屓ひいきは出来ん。


 こんな場面ルルル辺りに見られたら、確実に乞食こじきのごとく付きまとわれるに決まっている。


 「もしかしたらレイナ先生なら、お古の再生機を持ってるかも知れないが」

 「……ううん。だったらいいよ、これ以上グラルやレイナ先生に迷惑掛けたくないし」


 テンは首を振ると、手に持ったレコード盤を元あった場所に戻した。

 彼女は諦めると、ニコッと微笑んでおっさんの手を取った。


 「それより旅行楽しもう! グラルいっぱい教えてよ!」


 テンは人懐っこく尻尾を振ると、おっさんを頼ってきた。

 おっさんは頭を掻くと、「やれやれ」と呟き、テンに付き合う。


 「うむり、ならばアレは知っているか?」

 「ううん、あれなに?」


 おっさんが指差したのは噴水だった。

 噴水からは真水が出ており、カップルが跋扈ばっこしていた。

 まあ良くある恋愛成就の噴水という奴だろう。

 何人かはコインを噴水に投げ込んでいた。


 「恋愛成就の噴水だな」

 「恋愛っ!?」


 ビクビクとテンは尻尾を震わせる。

 身の毛もよだつというか、びっくりし過ぎだろう。


 「グ、グラル……ボクまだそういう勇気は……」

 「このたわけがっ、何を勘違いしている。別にテンとお参りするつもりはないぞ」

 「あ、あはは……だよねぇ、うん」


 テンは何を勘違いしていたのか、こんな冴えないおっさんと恋愛成就の噴水にお参りするつもりだったようだ。

 だが勘違いに気づくと、乾いた笑いを浮かべて脱力する。


 「ボ、ボク、グラルなら別に良いけど……」

 「うん? 喧騒で聞こえづらい、もう一回言ってくれ」

 「絶対に嫌だ! グラルの馬鹿ぁ!」


 テンは顔を真っ赤にすると、大声で怒鳴った。

 突然ボソボソ呟いたり、落ち込んだり怒ったり、おっさんに今どき女子の思考には付いていけん。

 正直怒鳴られたのは理不尽で、おっさんが少し凹んだのは内緒だ。


 「あ、ねえねえ、あれって酒場かな?」


 テンは気を取り直すと、アルコールを提供する吹きさらしの店を指差した。

 ビアガーデンだな、供されているのは米酒だろう。

 時間帯も丁度いいからか、非常に賑わっていた。


 「そうだな、ブンガラヤ式の酒場だと思えば良い」

 「えへへ、ねえグラル? 特別にボクがお酌してあげよっか?」

 「お酌? 接待なんてパパ活みたいでやめなさい!」


 おっさんはテンにお酌して貰うのを想像すると、絵面が完全にアウトだと気付き否定した。

 どう考えてもこんな年端もいかない女の子を酒場に連れて行くだけで、おっさんがアウトだよ。

 体裁を死ぬ程気を付けるおっさんが、そんなハイリスクなこと出来る訳がない!


 「パパ活? ボ、ボクただ好意でしてあげたいって」

 「兎に角お酒は大人になってからな?」

 「大人になったら? 大人になったらお酌させてくれるの?」

 「まあそりゃ大人になれば、酒くらい付き合ってやるぞ」


 その時にはおっさんも四十代だなと考えると、もうその頃になったらおっさんも体裁とかどうでも良くなっているかも知れない。

 テンが大人になれば酒を嗜むのも悪くないだろう、しかし今はまだ、な?


 それを聞いたテンは上機嫌になると、笑顔で尻尾をブンブン振った。

 なにが本人にとって嬉しかったのか分からないが、まあ機嫌が良いのは良いことだ。


 「あっ、ルルルちゃんだ、おーい!」


 テンは少し先にいたルルルに気付くと手を振った。

 ルルルはイカの串焼きを頬張っており、買い食いに興じていたようだ。

 テンは俺の手を離すと、友人に駆け寄る。

 おっさんはさっきまで握られていた手を見つめると、少し名残惜しかった。

 だが、おっさんは諦めが早いのが売りなので、さっさと意識を切り替えると、ルルルと合流するのだった。

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