第82話 おっさんは、人魚に恐怖する

 たぷんたぷん、上下にたわむ男達の夢がそこにある。

 男ならこの感情を否定出来るだろうか?


 ――俺はおっぱいが好きだ、やはりおっぱいは正義である、と。


 「あ、いやおっさんはその……」


 コールン先生は際どい水着で胸の谷間を強調してくると、おっさんは顔を真っ赤にした。はっきり言ってタジタジだった。

 ちょ、童貞には色々性癖やばい人だが、流石にまずい。

 しかし今のコールンさんには遠慮という言葉はなかった。


 「無理しなくても良いですから、さあさあ!」


 コールンさんは、むんずとおっさんの腕を掴むとその豊満な胸で抱き込んだ。

 や、柔らかい!? おっさん的にはもうその時点でアウトなんだが、コールンさんは馬鹿力で引っ張ってきた。


 「な、なんかコールン先生、今日は積極的では?」

 「そんなことないですよー? ほらほら海は怖くなーい、怖くなーい」


 歌うように嬉々として、コールンさんは海までおっさんを引っ張った。

 これが水着の魔力とでも言おうか、水着を着ると人は性格が変わるのだろうか。


 「グラルのおっさん! 気持ちええで! ほら!」


 足が海に浸かると冷たい、ルルルは待ち構えたように、両手で水を掬っておっさんの顔にかけてきた。


 「ワプ! こら、口、狙うなっ!」

 「アハハ、加勢せい皆ー!」

 「可哀想だけど、ごめんなさい先生?」


 普段は聡明でお淑やかなシャトラまで水掛けを行ってきた。


 「ほらテンも!」

 「えと、じゃあ背中から!」


 テンは顔を赤くすると、背中から優しく水を掛けてくる。

 て、そういうサービスじゃねえぞ!

 テンだけまるでソープ嬢みたいなやり方をしてくるのは、おっさんの股間がやばい!


 「なるほど、そういうリラックス方もあるのですね。主様よろしければ海に全身を浸けてみては?」


 一方でピントのズレた思考の持ち主は、おっさんに全身浴をオススメしてきた。

 サファイア的には、おっさんのリラックス方が大事なのだな。


 「アハハ、程々にねー?」


 レイナ先生はそう言うと、少し離れた場所で優雅に泳ぎだした。

 ていうかレイナ先生は水泳が出来るのか。


 「レイナ先生凄いだな、おら泳げないだ」

 「ボクも泳ぐのは怖いよ」

 「おっさんは? おっさんは泳げるん?」

 「無理、経験無し」


 内陸国のピサンリで、まず泳ぐという経験を積むのは不可能だろう。

 一部貴族ならば、自家用プールを持つことも出来るかも知れないが、水害の無い国だからな。

 そういう意味ではやっぱりレイナ先生はなんらか良家の出自なのか。


 「私一応経験はありますよ」

 「えっ? コールン先生、あるんですか?」


 コクンと頷くとコールンさん、学生たちも思わず驚いた。

 だがコールンさんはあまり自慢げではない、なぜなら。


 「といってもあくまで非常時の対応として、ですけど」

 「なんやねん、非常時の対応って?」


 思わず突っ込まずにはいられないルルル。

 おっさんもそれ気になるぞ。


 「例えば、船の上から突き落とされたら、まず慌てず、上下位置を把握する、とか。後は海底を歩く歩法とか」


 予想の斜め上だった。

 戦場知識であり、おおよそ今とは似つかわしくもない。

 コールンさんの傭兵時代の経験だった。


 「サファイア達は泳ぎ方分かるか?」

 「経験はありませんが……泳げると思います」


 その言葉に「おおっ」と泳げない組が感嘆の声をあげる。

 サファイアは泳げると言ったのだ。


 「人魚族マーメリアン魚人族サハギンのように鰓呼吸えらこきゅうすれば、泳げずとも問題ないのでは?」


 ルビーはあっけらかんと言うと、人魚のような姿に変化して、そのまま海に潜った。


 「いや、流石にえらは付けられんぞ?」

 「それはどうかなー?」


 レイナ先生が戻ってきた。先生は怪しく笑う。


 「なんなん? レイナ先生まさかそういう魔法でもあるん?」


 王国魔導師を志望するルルルは目を輝かせた。

 因みに潜水呼吸ダイビングの魔法は存在する。おっさんも一応は習得しているが。


 「魔法よりも便利な物だよ」

 「魔法よりも?」


 誰もが首を傾げた。

 すると、チャポンと沖合から何かが顔を出した。

 その姿に気づいたコールンさんが、何者か照合する。


 「人魚族、でしょうか?」

 「おっ、丁度いいや! おーいおねえさーん!」


 レイナ先生はこれ幸いにと人魚を呼ぶ、すると人魚は水面を飛び跳ねながら近づいてきた。

 俺はぎょっとする。海に適応特化した人魚族の俊敏性は驚異的だ。

 十八ノット時速33kmで水中を泳ぐのだから、狙われた獲物は一溜りもないな。

 人魚の女性は目の前で跳ねると、近くの岩に腰掛けた。

 淡いピンク色に輝く魚鱗を持った人魚だった。


 「貴方達余所者でしょ? 私になんの用?」

 「一つお尋ねしたいんだけど、『人魚の涙』ってある?」


 人魚の涙? 聞いたことがないな。

 純朴なアルトはそれを文字通りの意味で捉えて、涙目で顔を青くした。

 それを聞いた人魚は腰につけていたポーチを弄ると瓶を取り出す。


 「あるよ、ほら」

 「それは水薬ポーション?」


 おっさんはそれをポーションかと思った。

 透明な液体が入った瓶、恐らくマジックポーションか?


 「『人魚の涙』てのはね? 飲むとえらが生えるんだよ!」

 「ええっ、鰓が?」

 「ただし効果は三十分位だけどね」


 人魚がそう補足する。

 そんな物が存在するとは、誰もが感心するが、おっさんはふとした疑問を覚え、質問する。


 「ん? けど元々水中呼吸出来る人魚が持ってても意味なくないか?」

 「アンタ! 顔は渋めだけど、落ち着いたインテリっぽさ……結構イイ線よ!」

 「え? は?」


 人魚はビシッとおっさんを指差すと、おっさんは情けない声を出した。

 人魚は両手を握ると、天を仰ぐように言った。


 「だって、いついかなる時に、王子様が溺れるか分からないでしょ! 人魚族の女はその時に備えるのっ!」


 恍惚こうこつとした表情でうっとりする人魚に、俺はスキュラ族スキラが言っていた人魚の客観的な評価を思い出した。


 人魚族は恋愛の歌ばっかりで駄目だ、あいつらいつだって頭お花畑なんだから―――。


 うん、流石現地民評価だわ。目の前の人魚を見て、これが夢見る人魚の実態だった。

 いわく惚れっぽく、恋が大好きな歌の名人。


 「そう乙女はいつだって王女サマ、王子サマを待ってるの、さあ来て王子サマ、目覚めのキスを頂戴」


 特に歌ってくれとも言われてないのに、人魚は恍惚こうこつな表情のまま歌い出した。

 ブンガラヤ人程音楽を愛する民族はいないというが、目の前の相手は本当にそうなのだな。


 「とっても歌うのが上手なんだなー」

 「君! ちょっと幼い感じだけど、三年待てばイケメンになるかも!」

 「何でもありかこの人魚は!」


 流石にルルルが突っ込んだ。

 恋に恋するのが人魚族とはよく言ったものだ。

 ある程度俺達よりも把握している筈のレイナ先生も苦笑で「惚れっぽい種族だからね?」と言った。


 人魚からすると、異民族は王子様なのかも知れない。

 一体どういう文化があるのかよく分からないが。


 ポチャン、ポチャン。


 「ん? うえ! なんか人魚増えてますよ!」


 気がつけば、次々人魚族が水面から顔を出していた。

 しかも数が多い、十人以上の人魚達は一斉におっさんたちを見る。


 「ねえ、あの人どう?」

 「私は少年の方が」

 「ええっ、断然オジサマでしょ!」


 完全に俺とアルトが狙われていた。

 流石に怖くなったのかアルトが後退りする。

 うむり、おっさんもここは計を練るぞ。


 「アルト、覚悟は出来てるか?」

 「ん、んだ!」

 「三十六計逃げるに如かず!」


 俺とアルトは直ぐに逃げ出す。

 だが、逃げる獲物に敏感な人魚たちは一斉に海へ飛び込み追いかけてくる!

 陸上に上がれば怖くない……と思いたいが、人魚族の強かさは未知数。

 兎に角急いで陸に上がるのみだった。

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