第四章
第77話 おっさんは、行きたい訳じゃないが、海は待っている
ジャンジャカジャンジャカ♪
軽快な音楽が
見渡す限り、そこは
水平線はどこまでも果てしなく広がる。
海岸線は白砂のビーチ。
魚の下半身を持つ
「海だーっ!」
誰かがそう叫んだ。
ここは男も女も夢や欲望やら
ブンガラヤ共和国、アモタンビーチ。
おっさんたちは今、この一大観光地になんの因果か降り立った。
そもそもなんで俺はこんな所にいるんだ?
それは五日ほど時を遡る。
§
「やっほー! 元気してるかグラルー!」
そんな元気な声でおっさんの住んでいるシェアハウスに突入してきたのは教師としてはお馴染み、ミニマム魔法使いのレイナ・ハナビシ先生だった。
夏場は休校中ということもあって、このお洒落さんは白のワンピースに着飾っており、肌は汗ばんでいた。
魔力発達障害の影響で、子供の体型で止まっている性で、全くエロさはなく、むしろおっさんは嫌な予感の方が強いので、渋い顔で出迎えた。
「あら、貴方様はたしかレイナ様。ようこそおいでくださいました」
「今お飲み物をお出ししますので、どうぞ中へ」
一方でレイナ先生に嫌悪感を抱かず、いつものように遺恨無礼な態度で接待するのは銀髪姉妹のルビーとサファイアだ。
そこまでお客様に、畏まらんでも構わないのだけどな。
「いやぁ悪いねー、じゃあ遠慮せず」
「全く、休みだというのになんの用ですか?」
おっさんはダイニングテーブルの前で、麦茶を頂きながらレイナ先生に、その目的を聞いた。
彼女は俺の隣に座ると、服を手で煽って熱を払う。
やっぱり汗ばんでいるな。
「いやあ今日は暑いねぇ、あ、ありがとね美少女ちゃん! えーと?」
「サファイアです、お見知りおきを」
サファイアはレイナ先生の前に氷の入った麦茶を差し出すと、礼をする。
つくづく良く出来た
レイナ先生は冷え切ったコップを持つと、美味しそうに一気に麦茶を呷った。
「ふう生き返るー、あーそうそう! グラルって来週なんか用事ある?」
「は? そんなものある訳がありませんよ」
突然来週の予定が聞かれるとは思わなかった。
するとレイナ先生はニヤリと笑う。
「へい、グラル君? 君は海を知ってるかい?」
「そりゃ知っているよ、まあ見たことはないが」
海、見渡す限り広大な青い塩の世界、とは様々な文学でも出てくる。
おっさんは戦時以外バーレーヌを出てこなかったし、戦時でもわざわざ海のある異国まで出向することもなかった。
そもそもピサンリ王国は内陸国なのに、海を見たことがあるのは、それこそ旅行する余裕のある貴族層程度だろう。
「だよねだよねえ? ふふふ」
レイナ先生は腕を組むと妖しく笑う。
一体何が目的だ? レイナ先生は時々突拍子もない事を言うから困る。
「グラル! 予定ないなら海行くよ!」
「……は?」
思わずおっさん間抜けな顔で首を傾げた。
「海へ行く……誰が?」
「私とグラルが」
「なんで?」
「暇なんでしょ?」
レイナ先生はニコニコ笑顔だった。
おっさんは麦茶を飲むと、落ち着いて沈思黙考する。
海へ、おっさんが?
何が楽しいというのか? そもそも海など若者の観光地でおっさんがわざわざ行っても、キモがられるだけだ。
下手すれば職質ではないか、おっさん運も悪い方なのだ。
だからおっさんの返答は即決だった。
「嫌です」
おっさんは無慈悲にそう言い放った。
すると案の定だが、レイナ先生は「えーっ!?」と
「やだやだー! もうグラルの分の予約も取ってるんだから、一緒に行こうよー!」
「ちょっと待てや、なに人の了承取る前に予約取ってるんだ!」
「だって、どーせ部屋でぐーたらするだけでしょ! 行こうよー! 料金だって私持ちなんだよ?」
ジタバタ手足を振って我儘放題の二十六歳、とりあえず非常に鬱陶しい。
サファイア達につまみ出して貰おうかと真剣に考えるがおっさんも鬼じゃない。
つーか、呪いだな。どうしておっさんはこうも女運が悪い?
いつもいつも面倒な女に絡まれる運命なのか?
おっさん、人間関係ギクシャクさせるのも嫌なので、「はああ」と深い為息を吐くと。
「分かりましたよ……行けばいいんでしょう?」
「え? 行ってくれるの? やったー!」
俺が行くと言うと直ぐに掌を返す勢いでレイナ先生は顔色を満面の笑みに変えてはしゃいだ。
どうあっても
「主様が旅行に行かれる……ならば私達は?」
しかし今度はサファイアが顔色を青くした。
お世話大好きお世話厨のサファイアは生き甲斐を奪われると、その場で立ち眩みに襲われる。
サファイアがへたり込むと、心配してルビーがサファイアを支えた。
「主様をお世話出来ない等、まるで禁断の果実を食べ、二度と戻れぬ身体となったペルセポネーの悪夢のようです……」
「しっかりなさいサファイア、その言い回しは分かり難い」
「あー、サファイアちゃんだったっけ、君たちも来る? 大人数の方が楽しいし」
見兼ねたレイナ先生は冷静に誘うと、サファイアは顔色を明るくした。
「お世話出来るっ」
観光とか海とか、本当にどうでもいい、一切ブレない娘だった。
「ですが良いのですか、サファイアだけでなく私も?」
「ああ、良いよ良いよ。コールンさんはもう誘ったし、元々人数集める予定だったから」
ルビーは自分も参加していいのかと聞くが、レイナ先生的には誰であれ構わないらしい。
というか、既にコールンさん誘ってたのかい。
因みにコールンさんは今、剣術部の部活の為に学校に行っている。
「コールンさんもって、もしかして先生方片っ端から誘ってるの?」
「いいや、後は校長位だけど、流石にアナベル校長は予定が取れなかったよ」
どうやら基本的に仲の良い先生を誘っている程度のようだ。
校長は欠席とは、やはり校長というのは忙しいのだろうか。
まぁ居ても気を遣うから、いない方が精神的には楽で良いのだが。
「あー、そうそう。グラルも誘いたい人いたら誘っていいよー?」
「費用はどうするんですか?」
「お姉さんに任せなさい! 最高のリゾートを体験させてあげる!」
レイナ先生はそう言うと麦茶を飲み干し、立ち上がった。
言いたいことだけ言って、もう行くようだ。
「じゃ、私はまだ用事あるからもう行くわねー! バイビー!」
レイナ先生はそう言うと足早に去っていった。
嵐のような女性の退場に俺達は呆然とすると、サファイアはポンと手を叩く。
「旅行なら、着替えの準備もしませんと」
早速切り替えの早いことで、サファイアはその後もテキパキと働くのだった。
俺は「やれやれ」と呆れると、のんびり麦茶をいただく。
§
聖星祭も後数日に控えた頃、おっさんは午前中カランコエ学校に来ていた。
本来仕事上用事はないのだが、生徒たちの姿を見たかったからだ。
「なあなあ、もうトマトは収穫してもええんちゃうん?」
園芸部が管理する農場(本当は花壇)は今収穫の時期だった。
この中で唯一の園芸部員のシャトラ・レオパードは優しい手付きで、丹精込めて育てた野菜達を撫でていた。
さっきから特徴的な喋り方で煩いのは、助っ人のルルル・カモミール。
相変わらず大きな赤いツインテールの髪を揺らして、忙しなく走り回っている。
「まだよ、ルルルちゃん。あっ、ナスは良い感じね」
「うわあ、お店で売ってる野菜みたいだね」
良く熟れたナスを持ち上げたのは、この中で唯一獣人族の狐娘テン・マリーゴールドだ。
美しいブラウンの毛並みに、大きな尻尾を揺らして彼女もシャトラの助っ人として積極的に働いていた。
「ズッキーニ箱詰めしただ! 次はどうするべ?」
そう言って出荷用木箱にズッキーニを積載していたのは、唯一の男子生徒アルト・シランだ。
本来なら実家に帰って牧場の手伝いをしている筈の少年は、今日はたまたまチーズや食肉に野菜を積載した馬車でこの街まで売りに来ていた。
アルトはすでにそっちの仕事は、レストランや小売への出荷も終えており、たまたま学校に寄ってきたと思ったら、そのまま手伝いを始めたのだ。
相変わらず凄い体力の持ち主である。
「お前ら、今日も暑いから水分は取り忘れるなよ?」
俺はそう言って注意すると、生徒達は「はーい!」と元気良く返事した。
やれやれ、俺は園芸部の顧問じゃないんだが、そもそも園芸部の顧問は誰だ?
シャトラに聞いても、「見たことがありません」と言っていたし、園芸部はマジでどうなってるのか。
シャトラの独断で花壇が完全に農場になっても、誰も突っ込まんし、カランコエ学園は農業学校じゃないぞ?
それともアナベル校長は農学部の新設でも考えているんだろうか?
……あの校長なら不思議じゃないな、俺は心の中で頷く。
「なあなあシャトラ、これフリマで売ったらあかんの?」
「だからこれは教会への寄付用よ? 聖星祭で振る舞う野菜なんだから」
ルルルは相変わらず未練がましくも、野菜を換金する気満々だった。
シャトラに駄目だと言われると、ルルルの視線はアルトに向く。
「アルトはええなあ? なんぼ稼いだんや?」
「こ、これは村の大切な稼ぎだ! 勝手には使えないだよ!」
アルトはビクンと背筋を震わせると、首から吊るした財布袋を大切そうに隠した。
ルルルのがめつさに危険を感じたのだろう、案外勘がいいな。
「なんでルルルさんって、そんなにガメついの?」
「ガメつい? ちゃうで! ちゃんと節約して稼ぐ時に稼ぐ! それが金持ちへの道なんや! ウチは貧乏はごめんやで!」
そんなルルルより生活水準が下のテンに疑問を持たれるのは大概だが、ある意味でルルルは的を射ている。
貴族以外にもチャンスを得たからこそ、金持ちになった市民は存在する。
持つ者持たざる者と、よく区別されるが、俺はそれこそが行動した結果だと思う。
ルルルはちゃんと行動しようとしている、それは良いことだ。
「テンも生活を良くしたいだろ、ルルルから学ぶことはあるだろう?」
「う、うん。でもボク、まだ何をしたら良いか全然分からないよ」
「それでいいさ、
おっさんは少なくともそう思う。
卒業してから焦るのは手遅れだが、少なくともテン達はまだ一年生。
学生生活四年で何を得られるかは、本人次第だ。
「皆さん精が出てますねー!」
「ん……、あ、コールン先生だ!」
体育館側から、校門側に姿を見せたのはコールンさんだった。
コールンさんも部活の監督だな、いや厳密には俺は監督じゃないが。
「ああ、そうだグラル先生、旅行の件はどうなりました?」
「旅行? なんなんどっか行くんか?」
そういえばレイナ先生が言っていたな。
忘れていたが旅行に誘いたい奴がいれば誘え、か。
「ふむ、どうせ旅の資金はレイナ先生持ちか」
俺はこの四人の生徒を見て一案する。
レイナ先生も一度言った以上、約束を破棄すまい。
「ルルル、シャトラ、アルト、テン。俺とコールン先生、それとレイナ先生で海へ行くんだが、お前たちも来るか?」
四人はおっさんを見て呆然と口を開いた。
最初に喋ったのはシャトラだった。
「え? あの私達が? えと良いんですか?」
「せや! それに金はどないすんねん! 学生は貧乏やで!」
「金はレイナ先生が全て出してくれるって話だ。詳しい話はレイナ先生に聞かないといけないが」
それを聞くと三人は納得した、けれど一人だけ問題があった。
アルトだ、彼だけは事情が少々異なる。
「おら、流石に行けるか分からないだ」
「ああ、アルトは村の手伝いもあるからな」
俺も無理は言えん、行けるならアルトにも来てほしいが。
この四人にとって、海へ行くというのは掛け替えのない記憶になるだろう。
まだ十代という多感な時期、色んな経験を積んで欲しい。
「アルト君、お仕事は休めないの?」とテン。
「ううん……相談してみないと分からないだ」
「そういやいつ行くんや先生?」
「確か五日後だったか」
今週の週末行く予定だった筈、集合場所は学校前でいいか。
「結構急やな」
「因みに何日位になるのでしょうか?」
「そういえば聞いてないぞ……」
考えてみればレイナ先生日程を言ってねえ。
流石に日程が分からないと、アルトの場合は問題がある。
レイナ先生に連絡を取らないといけないが……冷静に考えればレイナ先生の連絡先は知らないぞ。
「三泊四日の予定だよ!」
おっと、今度は逆だ。
コールンさんとは真逆に、校門側からレイナ先生は現れる。
俺達はレイナ先生に振り返ると、彼女はにかっと笑い、何か冊子のような物を差し出してきた。
「はい、これ予定表」
「……どうして学校にいるって分かったんですか」
「いいや、学校にいなかったら、宿舎の方に寄る予定だったし、はいこれコールンさんの分ね」
「ありがとうございます」
俺達は予定表を受け取ると、それはパンフレットのような形だった。
内容を確認すると、なるほど行き先はブンガラヤ共和国か。
あそこは東西に細長く伸びる海岸線の国だ。
まあ地図で見れば細長いと言うだけで、内陸側は田園風景が広がる長閑な景色だそうだが。
「ほい、みんな内容はこんな感じだ」
俺は予定表をシャトラに渡した。
シャトラは予定表を広げると、その周囲に皆は集まった。
「ふーん、ブンガラヤかあ、行ったことあらへんなあ」
「ボクもブリンセル以外知らないや、ちょっと楽しみかも」
「そうね。私は何度か行ったことあるけれど」
「おらも行きてえなあ、けんど……」
皆楽しみにしているな。
アルトも行けると良いが、こればっかりは彼の村の事情次第か。
「彼らも行くってことでいいの?」
レイナ先生は生徒達を指差した。
俺は頷く、アルトだけは微妙だが。
「ふーん、そうか! それじゃ出発日まで楽しみにね!」
レイナさんはそう言うと、また風のように去っていった。
本当、あの人止まらないな、今度はどこへ行くのか。
しかしそれにしても海か……。
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